>多胡 光純

>中国を飛ぶと、日本がすでに過去のものにした
景色や雰囲気をもちあわせる空間を目にすることがほとんどだった。
飛び手にとっては心和み、
この先の空間はどうなっているんだと思える瞬間が多々訪れた。
これこそ撮りたかった中国だと思い、
一生懸命飛んだのを記憶している。
同時に上海を筆頭に日本を飛び越え世界の中国だ、と思わせる空間も同居する。
広い中国、離発着場所などどこにでもあろう、
と思っていたがなかなか見つからなかった。
10億を上回る人々が暮らす空間に存在する平地のほとんどは
住居はじめ田畑や工場など残らず見事に活用されいるといっても過言ではなかった。
人は水と平地を求めて動くものだ、ということを大陸は教えてくれた気がする。
自由だ、広いと、思えた空間は標高3000mを越えた辺りからはじまった。
。。。メディアが伝える中国外交事情同様に、撮影行も困難を極めた。
当初予定していた撮影のほとんどは現場で中止となった。
躍動し、のし上がる中国そのものを象徴した成り行きだったと、今にして思う。
。。。標高5000mにおいて挑戦したフライトは忘れまい。
今後の旅の指針としたい。

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