Jill Bolte Taylor

Although many of us may think of ourselves as thinking creatures that feel, biologically we are feeling creatures that think.

7 thoughts on “Jill Bolte Taylor

  1. shinichi Post author

    My Stroke of Insight
    by Jill Bolte Taylor

    Voyage au-delà de mon cerveau
    par Jill Bolte Taylor

    Мой удар просветления
    Джил Боулт Тейлор

    奇跡の脳: 脳科学者の脳が壊れたとき
    by ジル・ボルト テイラー

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  2. shinichi Post author

    Jill Bolte Taylor is an American neuroanatomist, author, and public speaker. Her training is in the postmortem investigation of the human brain as it relates to schizophrenia and the severe mental illnesses.

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  3. shinichi Post author

    Unfortunately, as a society, we do not teach our children that they need to tend carefully the garden of their minds. Without structure, censorship, or discipline, our thoughts run rampant on automatic. Because we have not learned how to more carefully manage what goes on inside our brains, we remain vulnerable to not only what other people think about us, but also to advertising and/or political manipulation.

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  4. shinichi Post author

    女性脳科学者の涅槃体験とは…

    http://d.hatena.ne.jp/doiyumifilm/20080618/1213761812

    ジル・ボルト・テイラーが37才で脳卒中を体験した時の発見について

    当時彼女はハーバード大で脳の研究をしていた博士だったが、出血したのが左脳だったため身体機能に始まり線的思考や言語能力を失なった。同時に左脳に蓄積された知識や記憶も失ない、社会的存在としての彼女はこの時点で消滅したとも言える。そして、右脳の人、感性や感覚のみの世界の住人となった。
    ところが運の良いことに、彼女は脳卒中が始まってから4時間も意識があり、その時の体験を覚えていた。彼女はその体験を「涅槃の境地だった」と熱っぽく語る。

    大変なことが起きた自覚はあるが、電話をかけるにも数字が認識できず、電話に出た友人の声は犬が吠えているようにしか聞こえなかった、という。左脳が止まるとこういう状態になるらしい。

    反面、頭の中で常に回っていた思考の扇風機が止まり、完全なる静寂が訪れた。自分を囲む環境が生き生きと鮮烈に感じられ、平和な宇宙との一体感が身体を包み、それまで体験したことのない幸福感を味わったというのだ。

    その後、彼女は手術をして左脳機能を取り戻し、別人として生まれ変わる過程を経験する。その時、彼女は意識的な選択をした。きれいになった左脳にゴミ即ち否定的な記憶を溜め込まないと決めた、と言うのだ。なぜかと言えば、失望や怒り、悲しみの感情は身体的に痛かったから。痛みを溜めても良いことは何もない、と明快に言う。

    左脳の機能は線的で、常に物事を観察し、安全か否か、有益か否かなどの情報を整理判断を不断に繰り返している。これが否定的な声の大本だ。だが、意識的になれば、左脳で何を考え、何を残していくかを選択できる。誰にも今すぐできることだと言い切るのだ。

    右脳は今目の前に広がる世界、その色、香り、音を体験することにしか関心がない。幼児の状態がそうだ。左脳は他と自分を分ける個の形成を担い、右脳は集合意識との一体感を体験させてくれる。テイラーは右脳体験を経て、過去や未来、他人の思惑など気にならなくなった、という。自分が今ここに在って「大いなる存在」の一部であるという確かな自覚を持つことができたからだ。

    簡単にまとめたので、でき過ぎた話に聞こえるかもしれないが、私は彼女の屈託ない話しぶりと明るさに感動して、懐疑的な左脳の働きを止めた。そう、否定的な考えを止めることは誰にでもできる。

    アメリカも日本と同様に戦争、不況、失業、地球温暖化という暗いニュースばかり。だからこそなのだろう。覚醒や悟りという話題がマスメディアに多く登場する。なぜ戦争を終結できないのか、なぜ消費文化は衰退しないのかという問いが、なぜ否定的な声が止まらないのか、という問いとようやく繋がった気がする。これまでのやり方とまったく違った進化が人類にとって必要な時に来ているのではないだろうか。

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  5. shinichi Post author

    (sk)

    「情報について」というとき、「考えること」が中心になり、「感じること」は忘れられてしまう。

    情報処理 (Information Processing) でも、情報技術 (Information Technology) でも、主役の座はコンピュータに明け渡し、コンピュータの発達だけが話の中心になり、情報のことはどこかに忘れ去られる。

    情報は、人間がいてこその情報なのだ。人間にわかるものが情報なのであって、コンピュータにしかわからないものは情報とはいわない。

    実際、コンピュータのセキュリティーに携わる人たちは、そのあたりのことを明確に考えているようで、ソフトウェア・テスティング・ソフトウェア (Software Testing Software) は、「データは人が読めなかったり理解できなかったりすることがあるが、情報はいつでも人が読んだり理解したりできる」という。バイナリーデータの羅列はほとんどの人にとって意味がない。なにかを決めるのに役だつのはデータではなく情報だ。そういうことは、はっきりさせたほうがいい。

    IT システムは、真面目に取り組まなければあっという間に破壊される。そういうギリギリの場所で働く人たちには、きっと、曖昧な理解は許されないのだろう。そういう人たちを見習って、データと情報とをはっきりと区別して考えことにする。

    情報は人が読んだり理解したりできる。言い換えれば、人がわかるのが情報。だとすれば、人間がいてこその情報という考えは、そうは間違ってはいないことになる。

    そして、人間の基本が、「考える」ことではなく「感じる」ことなのだとすれば、情報も「感じる」ことを中心に考え直さなければならないのではないだろうか。

    そう思って、「情報処理」でも「情報技術」でもない、「情報」について、考え続けている。

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