渡辺正雄

日本では「自然である」ということはよいことで、「自然」という言葉は、なにか理想的な状態、ないしは望ましい状態を示すものとして用いられることが多いですね。「自然体」とか、「自然に生きる」というのは、どちらかといえばプラスの価値を持っています。一方、西洋ではどちらかというとマイナスのイメージ、「陶冶(cultivate)されていない」とか、「洗練されてない」という含みを持っています。
日本における自然の肯定的なイメージの問題は、自然と人工の区別の曖昧さとも関わっていると思います。長いこと自然の中に浸っているという状態で過ごしてきた日本人には、未だに自然と人工のはっきりした区別が欠けていて、両者の境界線も曖昧です。日本の庭とか箱庭は、自然を再現しているから自然だと思っている。それらを人工的なものとはあまり感じないわけです。
こういう人工と自然の区別の曖昧さから、次のような言葉が平気で使われるようになります。例えば「自然食品」。農薬や添加物などをあまり用いないものを「自然食品」と呼んでいるわけですが、食品というのはもともと人工物であって、英語ではそう言いません。それから、ラジオの道路交通情報などで「自然の渋滞」というのがありますね。道路を造ること、自動車を造ること、それらを走らせること、これらはすべて人工であるにもかかわらず、事故でない渋滞は「自然の渋滞」と呼ぶのです。さんざん人工を加えた公園でありながら、草木が植えてあったり、池や川があったりすると、「自然公園」と呼ばれたりします。そして丁寧にもそこに建物を建てて、「自然観察センター」と呼んだりするわけです。

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