唯円

親鸞は、父母の孝養のためとて、一返にても念仏まふしたることいまださふらはず。そのゆえは、一切の有情はみなもて世々生々の父母兄弟なり、いづれもいずれもこの順次生に仏になりてたすけさふらうべきなり。わがちからにてはげむ善にてもさふらはゞこそ、念仏を廻向して父母をもたすけさふらはめ。たゞ自力をすてゝ、いそぎさとりをひらきなば、六道・四生のあひだ、いづれの業苦にしづめりとも、神通方便をもて、まづ有縁を度すべきなりと云々。

3 thoughts on “唯円

  1. shinichi Post author

    歎異抄

    http://ja.wikipedia.org/wiki/歎異抄

    『歎異抄』は、鎌倉時代後期に書かれた日本の仏教書である。作者は、親鸞に師事した唯円とされる。書名は、その内容が親鸞滅後に浄土真宗の教団内に湧き上がった異義・異端を嘆いたものである。

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  2. shinichi Post author

    (sk)

    祖先崇拝も、墓や仏壇を守ることも、もともとの仏教にはなかった。死後の私たちを救うなどという考えも、もちろんなかった。

    親鸞は自分の親の供養をしたことは一度もないと言っているし、道元は祖先崇拝を批判している。日蓮が葬式や法要のことを話した形跡もない。

    そもそも仏壇は、仏を祀るところであって、先祖を祀るところではなかったはずだ。位牌を仏壇に入れるというのは、どう考えてもおかしい。

    日本の仏教は、日本人の需要に対応することで、変化してきた。それは悪いことではないが、やはりなんだかおかしい。

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