北野邦彦

第二次大戦後の我が国の行政におけるPRの普及に果たしたGHQの役割には、きわめて大きなものがあった。むしろGHQ主導の下に戦後の行政PRは、その進展をみたといっても言い過ぎではない。「民主主義国アメリカ」を中軸とした連合国軍は、日本に対する占領政策の実施にあっても極力民主主義的態度を取ろうとした。GHQから出される様々な指示を「命令」ではなく「示唆」(サゼッション)であると表現したことも、その一例である。しかし、その実態は命令そのものであったといえよう。絶対的な天皇制の下で長い年月を過ごした日本国民にとって、天皇より上位の存在であるマッカーサー司令部の指示を、単なる「示唆」(サゼッション)と理解することには、かなりの困難があった筈である。
パブリック・リレーションズの導入においても同様な困難があった。1947(昭和22)年のGHQによる「PRO設置のサゼッション」により、行政はパブリック・リレーションズを早急に実行したいと考えた。否、実行しなければならなかった。しかし行政側がGHQの意図するところを確実に理解し、実行していったというわけではない。何よりも第一に「パブリック・リレーションズ(PR)」なる英単語が何を意味するかがよく理解できなかった。

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