さよならだけが人生ならば またくる春はなんだろう
もしも愛がすべてなら、愛しいお金はなんになる
一つのことを信じることは べつのことを裏切るということだ
教育は与えるものではなく 受け取るものである
私は水に書く詩人である 私は水に愛を書く
ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない
さよならだけが人生ならば またくる春はなんだろう
もしも愛がすべてなら、愛しいお金はなんになる
一つのことを信じることは べつのことを裏切るということだ
教育は与えるものではなく 受け取るものである
私は水に書く詩人である 私は水に愛を書く
ふりむくな ふりむくな うしろには夢がない
さよならだけが人生ならば またくる春はなんだろう
**
もしも愛がすべてなら、愛しいお金はなんになる
**
一つのことを信じることは べつのことを裏切るということだ
**
教育は与えるものではなく 受け取るものである
**
身捨つるほどの祖国はありや
**
去ってゆく夏は、言わば一人の老人であった。だから今年のように、いつもの老人に会わなくなると、突然私は、こんなふうに考えたりするのだ。
「夏は、終わったではなくて、死んでしまったのではないだろうか?」
**
水に何を書きのこすことが できるだろうか
たぶん何を書いても すぐ消えてしまうことだろう
だか 私は水に書く詩人である 私は水に愛を書く
**
夢の中で、夢を見たわ。
『夢だと思っていたことが現実で、現実だと思ってたことが夢だった』
という夢なの
**
ふりむくな
ふりむくな
うしろには夢がない
**
時計の針が
前にすすむと「時間」になります
後にすすむと「思い出」になります
**
夏は一つの約束でさえなかった。
私は夏にたった一つのことばさえ彫りこむことが出来なかった。
**
人間の体ってのは「言葉の容れ物」にすぎないし、出し入れ自由である。
**
少なくとも、薪を背負って本を読むよりは、薪を下ろして本を読む方が頭に入ります。それに、読書は人生のたのしみであって、義務ではない。
山道を歩くときには、本ではなくて、山道を”読む”べきです。
**
たどえば書物とは「印刷物」ばかりを意味するものではなかった。街自体が、開かれた大書物であり、そこには書きこむべき余白が無限に存在していたのだ。
かつて、私は「書を捨てよ、町へ出よう」と書いたが、それは「印刷物をすてよ、そして町という名の、べつの書物を読みに出よう」と書き改められばならないだろう。
**
人間は土着するが、決して「近代化」などすることはない。近代化するのは、人間ではなくて環境だからである。