横山源之助

Yokoyama生活は人生の第一義なりと、若し単に生活の意味を以って見れば、日本の労働の如き生計も支へ得ざる廉価にして品位なき労働は、決して形而上の意を含める神聖といふ文字入るべき余地あらざるなり、而して工業の発達を望み、社会の進歩を求めんとす、余輩は世人の言ふところに疑惑を置くと共に、労働者自身も学者の空言に甘んじて得々たる竊に怪しむなり。余を以て卑近なりとする莫れ、是れ寔に日本の實情也。
小作人の一カ年に得るところ、これを五段歩耕作する中等小作人に択ぶも、小作料・肥料・種籾代を除きて、たとい労力費を計算外に置くも五十円に出づること頗る難きは上来既に説くところのごとし。大工・左官のごときは日に四十銭ないし四十五銭を得、労力者の低級なる日稼ぎ人足といえども三十銭ないし三十五銭を得べし。仮に一カ年六十五日休業し、実際労働するところ三百日なりとするも、職人一カ年の所得百二十円ないし百三十五円、日稼ぎ人足は九十円ないし百円なるなり。

One thought on “横山源之助

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *