1960年安保闘争というものがありまして、日本にもあわや共産革命が起こるか?という寸前であったのですが、それを抑え込もうとした岸信介(首相)らはかねて防共主義であった木村篤太郎らを通じて一大防共勢力として右翼団体、やくざ、暴力団、愚連隊を統一組織化する構想が起こります。ここに児玉誉士夫などがまとめ役として登場し、全愛会組織などが結成され、親米愛国の政治団体としてやくざさんも自民党とのパイプを持つようになります。
その後の韓国利権や各種の開発事業の利権などには政治家と黒い集団との関わりが必ず噂されるようになります。
60年安保闘争のスケールとパワーは今日の日本では想像ができないでしょう。
(>どうして政治的に国の行政機関、警察機構等を法的整備と共に普通に使わなかったのですか?)
使ったよ。。。それでも足りない。自衛隊の治安活動まで要請した(防衛庁長官が拒否した)デモ隊は、主催者発表で33万、警察の発表で13万。これにカリスマ指導者が現れたら、日本は革命が起きていたでしょう。全国の警察から応援を求めて厳重警戒をしても守り切れるかどうか?岸首相は木村篤太郎に相談して、警察庁の許可を得た上で反共抜刀隊なる警察補助警備力を御成門付近に配置しました。構成は稲川会5000、松葉会2500、飯島連合3000、日本国粋会1500、義人党300、神農愛国同志会10000の22,300人のやくざ、テキ屋、博徒、愚連隊などが配置されました。岸の構想では、さらに宗教団体や旧軍人の動員で最低3万の人員が必要と騒いだそうです。
結果的にこの事件は、自民党が黒い勢力に大きな借りを作ることになってしまい、今日まで尾を引いてるわけです。
昔の映像で、ある自民党の議員(中曽根康弘)のパーティーでヤクザが券を売りさば…
by kameatamadekaikintamaさん
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1450672549
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昔の映像で、ある自民党の議員(中曽根康弘)のパーティーでヤクザが券を売りさばいたり、ヤクザからの花輪が届けられていたりしました。
これらが普通に行われていたのはなぜですか。
いまでもこういう事ってあるのですか。
なるべく詳しく教えて下さい。
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補足
質問追加です。
kuronekobyakudhanさん
>暴力団、愚連隊を統一組織化する構想が起こります。ここに児玉誉士夫などがまとめ役として登場し、全愛会組織などが結成
どうして政治的に国の行政機関、警察機構等を法的整備と共に普通に使わなかったのですか?
なぜリスクの高い右翼・ヤクザ等をわざわざ使う必要があったのか、出来たらなるべく詳しく教えて下さい。
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ベストアンサーに選ばれた回答
kuronekobyakudhanさん
1960年安保闘争というものがありまして、日本にもあわや共産革命が起こるか?という寸前であったのですが、それを抑え込もうとした岸信介(首相)らはかねて防共主義であった木村篤太郎らを通じて一大防共勢力として右翼団体、やくざ、暴力団、愚連隊を統一組織化する構想が起こります。ここに児玉誉士夫などがまとめ役として登場し、全愛会組織などが結成され、親米愛国の政治団体としてやくざさんも自民党とのパイプを持つようになります。
その後の韓国利権や各種の開発事業の利権、その他利権には政治家と黒い集団との関わりが必ず噂されるようになります。
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一応、そうしたやくざさんでも政治団体を名乗り、パー券の販売や献金などもしていましたので、政治家のパーティなどには必ず出席し面倒を見ていました。タカ派の古い政治家の所には必ずそうした取り巻きがいました。ある程度必要悪であったことも事実で、変なやくざにからまれた時は政治家に頼むと、政治家→古いやくざの親分→相手のやくざの親分と電話されていっぺんにカタがつくこともありました。
ご質問中の中曽根大勲位は、ことに児玉誉士夫と親しく、若い頃の中曽根事務所は児玉のビル内にあったこともあったし、大野伴睦(元副総裁)経由でしょうか、近い関係であったことは有名です。
今では。。。
引退された浜幸さんが元暴力団組織の舎弟だったことは有名です。
その他、表向きは自粛されている場合が多いですが、まだまだ政治の裏の世界では存在していますよ。
【補足】
60年安保闘争のスケールとパワーは今日の日本では想像ができないでしょう。
>どうして政治的に国の行政機関、警察機構等を法的整備と共に普通に使わなかったのですか?
使ったよ。。。それでも足りない。自衛隊の治安活動まで要請した(防衛庁長官が拒否した)、国会周辺のデモ隊は主催者発表で33万、警察の発表で13万。これに本当に革命的なカリスマ指導者が現れたら、日本は革命が起きていたでしょう。全国の警察から応援を求めて厳重警戒をしても守り切れるかどうか?岸首相は木村篤太郎に相談して、警察庁の許可を得た上で反共抜刀隊なる警察補助警備力を御成門付近に配置しました。構成は稲川会5000、松葉会2500、飯島連合3000、日本国粋会1500、義人党300、神農愛国同志会10000の22,300人のやくざ、テキ屋、博徒、愚連隊などが配置されました。岸の構想では、さらに宗教団体や旧軍人の動員で最低3万の人員が必要と騒いだそうです。
この辺はWiki程度でもいいですから、60年安保の項を読んでください。
結果的にこの事件は、自民党がそうした黒い勢力に大きな借りを作ることになってしまい、今日まで尾を引いてるわけです。