「バイオリンを生涯やめる」。母に胸の内を語ったとき、母は共に泣いてくれた。「あなたにつらい想いをさせるためにバイオリンをさせたんじゃない」。しかしバイオリンを辞めた途端、私の人生はさらにつらくなっていった。濁流の下にまだ深い谷があったのだ。いったい私はどこまで堕ちていくんだ?
思えば2歳からはじめた大好きなバイオリン、嫌いになって辞めたわけではないから、音楽が体から抜けることがない。四六時中バイオリン中心に夢中で過ごしてきた私から音楽を取り除くことは、身を剥ぐような耐え難い痛みだった。そんな私を救ってくれたのは一本の電話だった。
「ホスピスの患者さんの最期の夢をかなえる団体」と名乗ったその電話で、千住真理子に会いたいという患者さんがいることを伝えられた。
私は弾かなくなった楽器を手にホスピスに向かった。だが数ケ月も弾いていないので弾けない。散々な演奏にもその方は「ありがとう」と、痩せ細った手をわたしに伸ばしてきた。握手をしながらその方の目を見ると透き通った瞳がにじんだ。
「ありがとう」という言葉が胸に突き刺さり、後悔の念が深まる。と同時にその言葉が私の心を救った。 こんな私でも! 貴方の大切な最後の時間を、私のどうしようもない音が汚してしまったのに。私は心の底でわびながら、家に帰るとがむしゃらにバイオリンを弾いた。
1週間後その方は亡くなった。取り返しのつかない後悔が私をボランティア活動に駆り立てた。
堕ちるだけ堕ちてごらん
by 千住真理子
音に命あり
バイオリニスト 千住 真理子
産経新聞 2012年5月18日 (金) 朝刊
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挫折の記憶は今も消えない。しかし大事な私の体験でもある。20歳の時、丁度今頃のだるい季節であった。
順風満帆といわれた私の少女時代は12歳のプロデビューから始まった。バイオリンが大好きだった私は幼少時こそ天真爛漫に輝いていたが、天才少女と呼ばれるようになってから雲行きは変わった。
10代から新聞や雑誌、テレビやラジオに天才少女と騒がれると、師・江藤俊哉氏に厳しく叱咤されるようになった。「あなたは天才なの? 天才らしい演奏をしなさいよ。人々の期待はどんどん膨らむ。下手になったらボクが言われる」。先生のお顔に泥を塗るようなことがあってはいけない。子供ながらにひしと責任を感じ、日々10時間を超える練習量になった。次第に身体は疲労困憊、心も追い詰められ、誹謗中傷に傷つき、思わぬ事件に巻き込まれ、ついには濁流にのみ込まれる勢いで私は堕ちていった。
「バイオリンを生涯やめる」。母に胸の内を語ったとき、母は共に泣いてくれた。「あなたにつらい想いをさせるためにバイオリンをさせたんじゃない」。しかしバイオリンを辞めた途端、私の人生はさらにつらくなっていった。濁流の下にまだ深い谷があったのだ。いったい私はどこまで堕ちていくんだ?
思えば2歳からはじめた大好きなバイオリン、嫌いになって辞めたわけではないから、音楽が体から抜けることがない。四六時中バイオリン中心に夢中で過ごしてきた私から音楽を取り除くことは、身を剥ぐような耐え難い痛みだった。そんな私を救ってくれたのは一本の電話だった。
「ホスピスの患者さんの最期の夢をかなえる団体」と名乗ったその電話で、千住真理子に会いたいという患者さんがいることを伝えられた。
私は弾かなくなった楽器を手にホスピスに向かった。だが数ケ月も弾いていないので弾けない。散々な演奏にもその方は「ありがとう」と、痩せ細った手をわたしに伸ばしてきた。握手をしながらその方の目を見ると透き通った瞳がにじんだ。
「ありがとう」という言葉が胸に突き刺さり、後悔の念が深まる。と同時にその言葉が私の心を救った。 こんな私でも! 貴方の大切な最後の時間を、私のどうしようもない音が汚してしまったのに。私は心の底でわびながら、家に帰るとがむしゃらにバイオリンを弾いた。
1週間後その方は亡くなった。取り返しのつかない後悔が私をボランティア活動に駆り立てた。
思えばあれが私の新たな第一歩だったのだ。その後細々と続けた施設慰問の場で、私は人のぬくもりに触れた。見知らぬ方々の優しさに心の傷は癒された。そこに満ちるのは音で繋がる心の交流、これこそが私の目指す音楽だった。私の心は震えた。「神様ありがとう」。心で叫んだ。「一人でもいい、こんな私の音を聴きたいと言ってくれる人のために弾きたい」。2年後プロ活動を再開した。
今、私は聴いてくださる方が待っている場所へ、楽器を持っていそいそと向かう。20歳の自分へ「堕ちるだけ堕ちてごらん。次は上り坂だ」と言ってあげたい。生ぬるい風が時折頬をかすめるこの季節、私はあの時の自分に、ふと出逢う。
(せんじゅ まりこ)
抜萃のつづり その七十二
宮脇保博編集
クマヒラ/熊平製作所
(2013/01/29)
(sk)
クマヒラの「抜萃のつづり」はいい。選ばれた文章のどれもが、心を打つ。
まるで天皇の言葉のように、まるで教科書のなかのきれいごとのように。
心のことよりも、頭のことのほうがわかりやすい。体のことはもっとわかりやすい。
心のことはわからない。心のことは不得意だ。
で、「抜粋のつづり」を読みながら涙している私がいる。