山名元

発生当初に民放テレビにかり出されたが、原子力についての知識はあっても、今回の事故についての情報は全く持っていなかった。ただ、パニックを防ぐために専門家の解説が必要だということは理解していた。原子炉についてのデータがなく、水位すら分からない状態で、専門家は自分の知識で分かる範囲で言えることを言うという苦しい状況が1、2週間続いた。やがて報道は犯人捜しと責任追及に流れていった。
原発の推進派であることや、初期の解説が誤っていたとしてやり玉に挙げられ、嘘つきに仕立てられた。メディアはいったん批判型の流れができるとあっという間にそれが主流になっていく。これは怖く、えげつないことだと思った。これでは再び事故が起きたとき、メディアの求めに応じて国民に説明しようとする人間がいなくなるのではないか。
日本のメディアは悪人を作って叩いて溜飲を下げるような発想が多い。それよりも情報の検証力を向上させるべきだ。

One thought on “山名元

  1. shinichi Post author

    【震災後のメディア】風評(2)専門家の当惑 山名元・京都大原子炉実験所教授

    by 草下健夫

    2012年4月10日

    http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/120410/ent12041007490004-n1.htm

    http://ameblo.jp/isukeya/entry-11219272260.html

     福島第1原子力発電所の事故では当初、原発・原子力の専門家が連日テレビなどに出演して事態の解説を求められたが、途中からは原発を推進してきた「原子力ムラ」のメンバーだとして、逆にメディアから批判を受けることにもなった。この一部始終を経験した山名元・京都大原子炉実験所教授は「日本のメディアは悪人を作って叩いて溜飲を下げるような発想が多い。それよりも情報の検証力を向上させるべきだ」と指摘する。

    「科学」遠ざけた情緒的報道」   

     --原発事故の報道と風評との関係をどうみる

     事故の重大性を報道するのはもちろん大切だが、発生から1、2カ月が過ぎた後は事故の犯人捜しや、悲惨さを伝える実況中継的な報道ばかりが流れ、「ではどうすべきか」「科学的にどうなのか」といった視点に欠けていた。例えば「がれきを燃やすのは心配ない」といった科学的見地から噂に惑わされないようにする報道が早くに必要だった。それをきちんとやったテレビ局は少なかったのではないか。がれき受け入れにヒステリックに反対する住民を映すだけでは、事実ではあっても真実の報道ではない。報道は、世の中がこれだけエモーショナル(感情的)に動くときにこそ、慎重になるべきだと思う。

     --自身もテレビに識者として出演していた

     発生当初に民放テレビにかり出されたが、原子力についての知識はあっても、今回の事故についての情報は全く持っていなかった。ただ、パニックを防ぐために専門家の解説が必要だということは理解していた。原子炉についてのデータがなく、水位すら分からない状態で、専門家は自分の知識で分かる範囲で言えることを言うという苦しい状況が1、2週間続いた。政府が情報を出さなかったことが一番の問題だ。やがて報道は東京電力や政府を相手に「犯人捜し」と「責任追及」に流れていった。

     --専門家も批判された

     原発の推進派であることや、初期の解説が誤っていたとしてやり玉に挙げられ、嘘つきに仕立てられた。メディアはいったん批判型の流れができるとあっという間にそれが主流になっていく。これは率直にいって怖く、えげつないことだと思った。これでは再び事故が起きたとき、メディアの求めに応じて国民に説明しようとする人間がいなくなるのではないか。下手なサッカーのように、ボールが右に行ったら全員が右に行くのではなく、メディアは上手なサッカーを、視点を広く持って力を分散することを行うべきだと思う。

     --報道の正確性は  

     いわゆる原子力ムラは、メディアが「原子力は危ない」という記事を書くたびに抗議してきた。だが、抗議一辺倒でなく、自分たちが社会からどう見られているかという自覚も重要だと考えている。独善に陥らないためにだ。ただ、科学的に間違っている報道は実際にあり、「それは違うよ」と言いたくなる。

     報道にとって、隠れていた問題を明るみに出す「問題発見力」は大事であり、かたやデータや情報を吟味する「価値認定力」も非常に大事だ。しかし、こと原子力に関しては、低線量被曝(ひばく)に関するものなど、しっかりと価値認定されていない情報が大変に多い。事故をビジネスにして書き立てるメディアや、にわか専門家も出てきている。メディアは情報の価値認定をもっと高い次元で行う必要があると思う。

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