法、納得!どっとこむ

「痛い目にあわせてやる!」と相手に向かって自動車で突進し、重傷を負わせたら…。こんな場合、傷害罪(刑法204条)に問われることは、法律に明るくない方でもわかりますよね。
では、狭い道路のわきを子供が歩いているとして、「このまま走り抜けたら、ひょっとして、子供に接触するかも」と思いつつ、道路を走り抜けたところ、子供と接触して怪我を負わせてしまったら…。そういう場合は、過失運転致死傷罪(自動車運転死傷行為処罰法5条)として、過失犯なのでは、とも思えます。
しかし、この事例で、「子供に接触するかも。でも、仕方ない。」と、子供が場合によっては怪我をしてもやむをえない、と結果の発生を認めてしまうと、「未必の故意」として、故意が認定されます。
これに対して、「子供に接触するかも。でも、道路の幅がこれだけあれば、まさか、そんなことはあるまい」と思った場合はどうでしょう。子供に接触するかもとは思っても、そんなことはまず起こらないだろう、と結果の発生を認めない場合、「認識ある過失」として、故意は認定されず、過失が認定されるにすぎないのです。
同じ過失でも、急に路地から子供が飛び出してきたため、自動車がぶつかり、怪我を負わせてしまった場合には、運転者としては、子供が飛び出してきて怪我を負わせることは思いもしていなかったのですから、結果の認識がなく、「認識のない過失」ということになります。

2 thoughts on “法、納得!どっとこむ

  1. shinichi Post author

    「未必の故意」と「認識ある過失」

    法、納得!どっとこむ

    http://www.hou-nattoku.com/mame/yougo/yougo12.php

     「痛い目にあわせてやる!」と相手に向かって自動車で突進し、重傷を負わせたら…。

     いきなり、血生ぐさい話で恐縮ですが、こんな場合、傷害罪(刑法204条)に問われることは、法律に明るくない方でもわかりますよね。

     明らかに、傷害の故意がありますから。

     では、狭い道路のわきを子供が歩いているとして、「このまま走り抜けたら、ひょっとして、子供に接触するかも。」と思いつつ、道路を走り抜けたところ、子供と接触して怪我を負わせてしまったら…。

     そういう場合は、過失運転致死傷罪(自動車運転死傷行為処罰法5条)として、過失犯なのでは、とも思えます。

     しかし、この場合にも故意が認められ、傷害罪が成立する場合があるのです。

     それが、「未必の故意」なのです。

     上の事例で、「子供に接触するかも。でも、仕方ない。」と、子供が場合によっては怪我をしてもやむをえない、と結果の発生を認めてしまうと、「未必の故意」として、故意が認定されるのです。

     これに対して、「子供に接触するかも。でも、道路の幅がこれだけあれば、まさか、そんなことはあるまい。」と思った場合はどうでしょう。

     子供に接触するかも、とは思っても、そんなことはまず起こらないだろう、と結果の発生を認めない場合、「認識ある過失」として、故意は認定されず、過失が認定されるにすぎないのです。

     同じ過失でも、急に路地から子供が飛び出してきたため、自動車がぶつかり、怪我を負わせてしまった場合には、運転者としては、子供が飛び出してきて怪我を負わせることは思いもしていなかったのですから、結果の認識がなく、「認識のない過失」ということになります。

     このように、「未必の故意」と「認識ある過失」とは、非常に判断が微妙な隣り合った概念なのです。

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  2. shinichi Post author

    (sk)

    法律が大事だということも、必要だということもよくわかるけれど、でも、どうしても、馴染めない。

    法律を知っていると得をする。知らないと孫をする。そんな感じがたまらなく嫌だ。

    それにしても、過失という概念は、とてもおもしろい。negligence とは少し違うような気がしてならない。error でもないし、fault とも違う気がするし、いったいなんなのだろう。明日ぐらいにちゃんと調べてみようと思う。

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    [翌日]

    昨日のことは、疑問を持ってあたりまえのことだった。

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    過失は fault。無過失は no-fault。以上。

    それで済めばいいのだけれど、negligence や disregard も日本語では過失なので、わけがわからなくなる。

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    negligence には義務を怠ったり手抜きをしたりという「ちゃんとやらなかった」感じがあり、その反対の diligence には不断の努力とか勤勉というような「ちゃんとやった」感じがある。

    それで negligence liability は「ちゃんとやらなかった」ことに対しての責任。日本語では「過失責任」となる。

    進んでちゃんとやらなかった、つまりちゃんとやる気が全然なかったのが willful negligence。日本語にすると「未必の故意」。

    また、contributory negligence は「寄与過失」と訳され、comparative negligence は「比較過失」と訳されている。

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    disregard にも「ちゃんとやらなかった」という感じがあるが、それよりもむしろ、無視したり軽く見たりということだろう。

    だから reckless disregard は、気にもかけずに、無視してしまったということ。日本語で「認識ある過失」という。

    また conscious disregard は、気にはしていたけれど、軽く見てしまった、それが、日本語で「認識のない過失」ということになる。

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    明治時代に西欧に範を求め、なんでもかんでも持ち込んで、あわてて翻訳をした。その弊害は大きく、言葉という言葉がその意味を失い、哲学のようなものは限りなく難しいものになり、科学はわけのわからないものになり、文学は身のまわりのことばかりになってしまった。

    法律の整備も例外ではなく、日本の法律には、解説しないとわからないものが多くある。そして法律の条文には、法律を専門とする人以外には理解できないような言葉が連なる。

    fault も過失。negligence や disregard も過失。翻訳のなかで失われた意味は、説明しても取り戻せない。

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