逸村裕 1 Reply 多くの情報を迅速に集める、それに関しては学生の技量というのは明らかに上がっています。 しかし集めすぎた情報に振り回されてしまって、結果的に自分の意見の論理的展開は弱くなり、『どこに君の意見があるのか』というのが見えなくなっている。
shinichi Post author03/02/2015 at 1:48 am 広がる“読書ゼロ” ~日本人に何が~ NHK クローズアップ現代 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3592_all.html “私、もう3年ぐらい本を読んでいないんです。 そういう人いっぱいいるんじゃないですか。” 本を読まない。 読書時間ゼロ。 日本人の2人に1人にまで拡大しています。 男性 「1年くらい読んでない。」 女性 「3年に1冊読めばいい。」 今、大学でも本を読まない人が増えています。 論文の課題を出しても自分の意見を言えない学生が増え、読書ゼロの影響を危惧する専門家もいます。 大学教授 「表面的な話をいくつかつなげて、それが自分の意見であるというふうに錯覚する。」 20万冊の蔵書を持つジャーナリストの立花隆さんは、人々が本を読まなくなったのはむしろ自然な流れだと指摘します。 ジャーナリスト 立花隆さん 「インターネット経由で人類の知識の総体にアクセスできる、今は。 本の持つ社会的機能が変わった。」 読書ゼロは社会に何をもたらすのか。 読書ゼロの実態と最新研究から考えます。 日本社会に広がる読書ゼロ。 強い危機感を抱いているのが大学です。 この大学では今、これまでにない事態に直面しています。 帝京大学メディアライブラリーセンター 中嶋康グループリーダー 「こちら整然と並んで、手がつけられていない状態。」 4年前まで貸し出し数は増え続け、年間およそ17万冊に達していました。 それが一転、毎年1万冊のペースで貸し出し数が減り続けているのです。 帝京大学メディアライブラリーセンター 中嶋康グループリーダー 「図書館というものが日常的に、大学の中で中心の存在であると言われながら(貸し出しが)減っている。 そういう意味では、衝撃が大きかった。」 大学は貸し出し数減少の背景に、スマートフォンの普及があると見ています。 学生 「インターネットで調べた方が本で読むよりもすぐに調べられるので。 読書に回す時間はほぼないですね。」 学生 「SNSを利用したりもそうですし、スマートフォンは実際に情報がたくさん詰まっているので、そちらを見ている時間でとられてしまう。」 図書館では読書好きのタレントが推薦する本を並べるなど、本に関心を持ってもらう取り組みを続けています。 しかし、貸し出し数は回復していません。 帝京大学メディアライブラリーセンター 中嶋康グループリーダー 「読書離れっていう単純な問題じゃないんじゃないか。 情報を入手する、あるいは本を読む時の意識ということ自体が変わって来てる。」 本を読まなくなったことで学生にどんな変化が起きているのか。 人間の情報探索行動を研究する逸村裕教授です。 逸村教授は学生が小論文を書き上げる際、本を読む人と読まない人でどんな違いが出るのか実験をしています。 筑波大学図書館情報メディア系 逸村裕教授 「今回やっていただく課題です。」 課題は英語の早期教育は必要か。 1時間で1,500字以内に意見をまとめよというものです。 実験に参加したのは、読書時間ゼロの4人と読書をする2人の合わせて6人。 インターネットや図書館の本を自由に利用できる環境に起き、どのように情報を集め自分の論を展開していくか、つぶさに観察するのです。 筑波大学図書館情報メディア系 逸村裕教授 「はい、じゃあどうぞ。」 まず全員がインターネットに向かい、大手検索サイトで“英語の早期教育”という同じキーワードを入力。 100万件に上る検索結果の見出しをチェックしていきました。 開始から12分後。 1人の学生が席を立ちます。 鈴木康平さん 「じゃあちょっと探しにいってこようと思います。」 図書館に向かったのは1日2時間は本を読むという読書家、鈴木康平さん。 あるネット記事の参考文献になっていた2冊の本を探し出しました。 鈴木康平さん 「教育学論集みたいなのがある、これも…。」 さらに、偶然目にした本も2冊手に取りました。 鈴木康平さん 「ネットだとワードで調べたものしかヒットしないという面があるのに比べて、本は検索では結びつかないようなものも拾ってこれる。」 一方、インターネットを続ける読書ゼロの学生たち。 特殊な装置で視点の動きやホームページの閲覧数を計測したところ、驚くべき結果が出ました。 学生がチェックしていたのは、検索結果に表示される見出しと150字ほどの概要。 僅か1秒で必要な情報かどうかを判断していたのです。 パソコンとスマホを同時に操る学生もいました。 1分当たりに学生が閲覧するホームページの数は、11年前(2003年)の学生たちの3倍以上。 学生たちは高い情報処理能力を身につけていました。 一方、見つけた記事を時間をかけて読み込むことはありませんでした。 一部をコピーし、貼り付けそこに手を加えることで小論文を完成させていったのです。 学生 「終わりました。」 インターネットだけの情報で書かれた小論文です。 際立ったのは提示されたテーマの多様さ。 夏目漱石による英語論から英語の早期教育を巡る親子の関係まで多岐にわたっていました。 一方、自分の意見は。 筑波大学図書館情報メディア系 逸村裕教授 「意見に関しては、この後ろの部分にわずかに見られる、そういう形になってます。」 課題をいかに解決していくかが重要。 早期教育を行うには教員が大量に必要。 自らが提示した多様なテーマとの関連性はほとんどなく考察も深まっていませんでした。 筑波大学図書館情報メディア系 逸村裕教授 「多くの情報を迅速に集める、それに関しては学生の技量というのは明らかに上がっています。 しかし集めすぎた情報に振り回されてしまって、結果的に自分の意見の論理的展開は弱くなり、『どこに君の意見があるのか』というのが見えなくなっている。」 図書館で見つけた文献を読み込む鈴木さんです。 ネットだけを利用していた学生と違い、小論文のテーマをむしろ絞っていきました。 鈴木康平さん 「あーなるほど…。」 英語の早期教育が必要だとする主張に科学的裏付けはあるのか、集中的に調べました。 鈴木康平さん 「ん?」 その過程で気になる記述を見つけました。 大人になっても外国語の習得は可能という研究結果でした。 幼少のころから英語教育を行う必要性は必ずしもないのかもしれない。 鈴木さんなりの視点にたどりつきました。 鈴木さんが書いた小論文です。 “年齢を重ねたあとも言語習得が可能であるとする意見もある。 早期教育に過度に重点を置いて、ほかの教科の授業時間を減らすようなことになっては本末転倒であると考える。” インターネットの膨大な情報の中から文献をたどって考えを深め、自分なりの意見を展開したのです。 筑波大学図書館情報メディア系 逸村裕教授 「ググれば(検索すれば)すぐに出てくるからというので手に入れるのでは、やはりだめで、それをどのように新たな話に展開していく、新たな知識を発見する、読書の効用というのもそういうものがある。」 読書の目的は情報を得ることだけではありません。 文学のように私たちの心を豊かにする本もあります。 “そういえば、本が人生を豊かにしてくれるって聞いたことあったな。” 東京大学大学院総合文化研究科 酒井邦嘉教授 「五感を駆使しながら我々読書するんで。」 読書が脳に与える影響を研究する、東京大学大学院の酒井邦嘉教授です。 東京大学大学院総合文化研究科 酒井邦嘉教授 「本を読むという行為は決して情報を得たいというためにやるわけではなくて、むしろ『自分の中からどの位引き出せるか』という営みなのです。」 読書をしているときの脳は、ほかの活動をしているときとは違う特徴があるといいます。 例えば、雪国の場面をテレビで見ているとき。 映像は視覚をつかさどるこの部分で。 ナレーションなどの音声は言葉をつかさどるこの部分で捉え、脳の前方にある部分に伝達。 場面の意味を理解します。 テレビは次々と場面が変わるため、脳は入ってくる情報の意味を理解することに追われます。 一方の読書。 「トンネルを抜けると雪国であった」という一節を読むとき、まずは言葉を視覚で捉え、次にその意味を理解しようとします。 このとき脳は、どんな景色なのか、主人公はどんな人なのか、イメージを補おうと視覚をつかさどる部分が動きだします。 すると、過去に見た風景などの記憶をもとに、想像を膨らませ場面のイメージが脳の中に出来上がります。 読書による、こうした一連のサイクルが、想像力を養うことにつながると考えられています。 東京大学大学院総合文化研究科 酒井邦嘉教授 「読書と言っても、そういう言葉だけでは実はなくて、視覚的に映像を頭の中に想起するとか、過去の自分の体験と照らし合わせて対比して考えるとか、自分で得られた情報から更に自分で自分の考えを構築するというプロセスがはいってくるので、人間の持っている創造的な能力がフルにいかされることになります。」 皆さん、こよい、本を手に取ってみてはいかがでしょうか。 ゲスト立花隆さん(ジャーナリスト) ●もし今、大学生だったら、どう情報に接するか? それは難しいけども。 1つは、この今のコンテクストだと、スマホをわりと否定的に捉えてますよね。 だけど、要するにスマホの向こうに何があるかが大事な問題であって、スマホの向こうに、ネットを通して、ほとんど人類が持ってる知識全体があるんですよ。 そりゃ、引き出し方いかんで、どんな情報でも取れるんですよね。 だから、スマホだからみたいな議論っていうのは相当は成り立たない。 それと、もう1つは、さっきの雪国、トンネルを抜けると雪国であった、あれの解釈で、脳がこういうふうに働いてみたいな話がありましたけど、あれは人によって、ものすごい違いますよね。 例えば、僕はあの文章読んで、あの文章、その、トンネルを抜けると雪国であったという、これは日本語としてはすごい破格の文章ですよね。 だから、そこに僕はぱっと関心がいって、だから視覚がまず来てみたいなね、そういう感じは全くないですね。 あっ、不思議な文章だなって。 で、その文章が自分に与えるイメージとか、要するに、ある本、あるいはある文章を通して、その人の脳を刺激するしかたっていうのは、ものすごい違うわけですよ。 だから読書論とか、その本に関するいろんなものの考え方っていうのは、何について言うのか、それから、どういう人について言うのか、それによってものすごく違うんですね。 ●“読書ゼロ”の知的劣化や偏った考え方の広がり 学びの機関がスマートフォンやネットとなった場合どう見るか? それは両面あると思います。 それは、学生によってものすごく違うというか、今の若い人をそういうふうな感じで、ばかにしたり、どんどん知性が劣化してるみたいな言い方をすることもできるけれども、でも現実の学生、僕、いろんなタイプの学生に会ってますから、そうするとね、今、そういうふうに、なんというか、知的環境そのものの変化の中で、むしろこの変化を利用して、どんどん自分の知的能力を膨らませていってる、そういう若い人たちが一方でものすごくいるんです。 だから、それは一概に、こう、ああとは言い切れない。 (それは何をネットで読んでいるかということ?) それはありますね。 1つはそれがありますね。 それから…。 (良質なものがたくさんある?) 両方あります。 それでとにかく、1つはほとんど無限の可能性っていうかね、言ってみれば、昔、これまでに発行されたすべての書物を集めた、アレキサンドリア図書館というのがありましたよね。 今はすべての人がネットを通して、アレキサンドリア図書館を自分なりに作っちゃうことができる、そういう時代なんです。 だから、それはもう要するに、ここにネットっていうか、スマホが1つあれば、もうすでに、そういう時代に入ってるんですね。 だから、それを通してどういう利用をするか、これでものすごく違うんじゃないですか。 (今の若い人たちの閲覧するスピードが速くなり、1秒間で判断できるというが?) でも、それはそうでしょ。 例えば、本を広げて、あるいは新聞広げて、この記事をちゃんと読むか、あるいはさっと目を通すだけにするか、その判断っていうのは、恐らく1秒以下っていうかね、それぐらいでやってるはずなんですよ、日常生活において。 ただそのこと自体はそんな驚くべきことじゃなくて、だから、そういうものを語るときにこれまでインプットとアウトプット、その2つでしかものを考えていなかったけれども、今はスループットという言葉があって、だから情報が頭を通過する、そのスピード、その内容、そちらを問題にする。 スループットがものすごい勢いで、どんどん増えてるっていうのが、現代の一番の特徴なんですよね。 だから、スループットがいやおうなしに増えてきますから、その中で、その人がどういう情報を拾い上げて、その人の自分自身の脳を作り上げていくか、さらにね。 そこが大事だという、そういう感じに今、なってるんじゃないかしら。 ●情報収集のしかたはネットだけで足りると思うか? そうは思いません。 現実にそうじゃないし、それはやっぱりね、ネットだけだと、やっぱりどうしても掘り方が浅くなるんですよ。 もうちょっと深い情報を得たいと思ったら、本なり、あるいはその他もろもろ、ほかの手段がいろいろありますから、それを通して、より深い情報を得るってことが必ず必要なステージに行くんですね。 ●自身の思考力を培ううえで、どんな経験が役に立ったか? それは、圧倒的に本を読む経験ですよね。 だから、本っていうのは、じゃあ、なんなのかということになりますけれども、それは僕は、ひとまとまりの知識だと思ってるんです。 つまり本を1冊読むと、そん中にまとまって封じ込められてる知識みたいなものがあって、それが自分に獲得できる、そういうメディアなんですよね。 それで、ただ、そういうふうに言うと、その中に込められている知的な部分だけみたいな感じになりますけど、そうじゃなくて、僕は本ってのは、総合メディアだと思ってるんですよ。 (総合メディア?) つまり、人間の脳ってのは、基本的に知と情と意と、知情意が総合された。 (知が知識、情は感情の情、意は?) 意は意欲の意、意思の意ですね。 それが全部あるのが、この脳なんですね。 それで、本を語るときに、わりとしばしば、人がやりがちなのは、もっぱら知のメディアとして考えちゃうんですね。 本というのはそうじゃないんです。 情の部分がものすごく大きくあって、意の部分がものすごくあって。 (意の部分というのは?) 意の部分っていうのは、例えば、ビジネスの世界でもいいし、あるいは戦国時代の話でもいいけれども、いろんな人物の行動を通して、人間の意思の世界っていうかね、それにどれほど人間が突き動かされて、その中で、どういう判断をするかが重要なのかっていうそういうことを学習することが、その人の人生にとって、ものすごく重要でしょ。 そういうのがその本で、そういうことについて、そういうことを物語化して書いたエピソードの集積によって、その人は学習するんですね。 つまりいろんな人の意を決する場面、そういうものが、どういう結果をもたらしたかみたいなね。 それは本を通して、疑似体験を自分の中に入れることによって、それが学習できるわけですね。 (その中で感情も揺さぶられる?) だから、情の部分がそうですよね。 だから、その全部を合わせた体験を与えてくれるのが本というメディアだから、本は常に、総合メディアとして考えなきゃいけない。 この単発に、知識だけ、文章を書くとき、いい論文が書けたかみたいな、そんな話をすると、本っていうものの世界をわい小化することになっちゃうと思うんですよね。 ●思考力を鍛えていくうえで、本を読むプロセスの中で何をすべきか? 読むだけじゃなくて、その次のステージとして、アウトプット、つまりなんかをまとめて書くっていうね、その体験に行かないと、なんていうか、より読書が深められない。 そういう知識を深める、なんていうか、知的な内容のものを深めるだけじゃなくて、その全体をまとめるためには、やっぱり書くっていうことが必要なんですね。 (そういう中で自分も考える力が出てくる?) そうです、書くのが一番役に立ちますね。 Reply ↓
広がる“読書ゼロ” ~日本人に何が~
NHK クローズアップ現代
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3592_all.html
“私、もう3年ぐらい本を読んでいないんです。
そういう人いっぱいいるんじゃないですか。”
本を読まない。
読書時間ゼロ。
日本人の2人に1人にまで拡大しています。
男性
「1年くらい読んでない。」
女性
「3年に1冊読めばいい。」
今、大学でも本を読まない人が増えています。
論文の課題を出しても自分の意見を言えない学生が増え、読書ゼロの影響を危惧する専門家もいます。
大学教授
「表面的な話をいくつかつなげて、それが自分の意見であるというふうに錯覚する。」
20万冊の蔵書を持つジャーナリストの立花隆さんは、人々が本を読まなくなったのはむしろ自然な流れだと指摘します。
ジャーナリスト 立花隆さん
「インターネット経由で人類の知識の総体にアクセスできる、今は。
本の持つ社会的機能が変わった。」
読書ゼロは社会に何をもたらすのか。
読書ゼロの実態と最新研究から考えます。
日本社会に広がる読書ゼロ。
強い危機感を抱いているのが大学です。
この大学では今、これまでにない事態に直面しています。
帝京大学メディアライブラリーセンター 中嶋康グループリーダー
「こちら整然と並んで、手がつけられていない状態。」
4年前まで貸し出し数は増え続け、年間およそ17万冊に達していました。
それが一転、毎年1万冊のペースで貸し出し数が減り続けているのです。
帝京大学メディアライブラリーセンター 中嶋康グループリーダー
「図書館というものが日常的に、大学の中で中心の存在であると言われながら(貸し出しが)減っている。
そういう意味では、衝撃が大きかった。」
大学は貸し出し数減少の背景に、スマートフォンの普及があると見ています。
学生
「インターネットで調べた方が本で読むよりもすぐに調べられるので。
読書に回す時間はほぼないですね。」
学生
「SNSを利用したりもそうですし、スマートフォンは実際に情報がたくさん詰まっているので、そちらを見ている時間でとられてしまう。」
図書館では読書好きのタレントが推薦する本を並べるなど、本に関心を持ってもらう取り組みを続けています。
しかし、貸し出し数は回復していません。
帝京大学メディアライブラリーセンター 中嶋康グループリーダー
「読書離れっていう単純な問題じゃないんじゃないか。
情報を入手する、あるいは本を読む時の意識ということ自体が変わって来てる。」
本を読まなくなったことで学生にどんな変化が起きているのか。
人間の情報探索行動を研究する逸村裕教授です。
逸村教授は学生が小論文を書き上げる際、本を読む人と読まない人でどんな違いが出るのか実験をしています。
筑波大学図書館情報メディア系 逸村裕教授
「今回やっていただく課題です。」
課題は英語の早期教育は必要か。
1時間で1,500字以内に意見をまとめよというものです。
実験に参加したのは、読書時間ゼロの4人と読書をする2人の合わせて6人。
インターネットや図書館の本を自由に利用できる環境に起き、どのように情報を集め自分の論を展開していくか、つぶさに観察するのです。
筑波大学図書館情報メディア系 逸村裕教授
「はい、じゃあどうぞ。」
まず全員がインターネットに向かい、大手検索サイトで“英語の早期教育”という同じキーワードを入力。
100万件に上る検索結果の見出しをチェックしていきました。
開始から12分後。
1人の学生が席を立ちます。
鈴木康平さん
「じゃあちょっと探しにいってこようと思います。」
図書館に向かったのは1日2時間は本を読むという読書家、鈴木康平さん。
あるネット記事の参考文献になっていた2冊の本を探し出しました。
鈴木康平さん
「教育学論集みたいなのがある、これも…。」
さらに、偶然目にした本も2冊手に取りました。
鈴木康平さん
「ネットだとワードで調べたものしかヒットしないという面があるのに比べて、本は検索では結びつかないようなものも拾ってこれる。」
一方、インターネットを続ける読書ゼロの学生たち。
特殊な装置で視点の動きやホームページの閲覧数を計測したところ、驚くべき結果が出ました。
学生がチェックしていたのは、検索結果に表示される見出しと150字ほどの概要。
僅か1秒で必要な情報かどうかを判断していたのです。
パソコンとスマホを同時に操る学生もいました。
1分当たりに学生が閲覧するホームページの数は、11年前(2003年)の学生たちの3倍以上。
学生たちは高い情報処理能力を身につけていました。
一方、見つけた記事を時間をかけて読み込むことはありませんでした。
一部をコピーし、貼り付けそこに手を加えることで小論文を完成させていったのです。
学生
「終わりました。」
インターネットだけの情報で書かれた小論文です。
際立ったのは提示されたテーマの多様さ。
夏目漱石による英語論から英語の早期教育を巡る親子の関係まで多岐にわたっていました。
一方、自分の意見は。
筑波大学図書館情報メディア系 逸村裕教授
「意見に関しては、この後ろの部分にわずかに見られる、そういう形になってます。」
課題をいかに解決していくかが重要。
早期教育を行うには教員が大量に必要。
自らが提示した多様なテーマとの関連性はほとんどなく考察も深まっていませんでした。
筑波大学図書館情報メディア系 逸村裕教授
「多くの情報を迅速に集める、それに関しては学生の技量というのは明らかに上がっています。
しかし集めすぎた情報に振り回されてしまって、結果的に自分の意見の論理的展開は弱くなり、『どこに君の意見があるのか』というのが見えなくなっている。」
図書館で見つけた文献を読み込む鈴木さんです。
ネットだけを利用していた学生と違い、小論文のテーマをむしろ絞っていきました。
鈴木康平さん
「あーなるほど…。」
英語の早期教育が必要だとする主張に科学的裏付けはあるのか、集中的に調べました。
鈴木康平さん
「ん?」
その過程で気になる記述を見つけました。
大人になっても外国語の習得は可能という研究結果でした。
幼少のころから英語教育を行う必要性は必ずしもないのかもしれない。
鈴木さんなりの視点にたどりつきました。
鈴木さんが書いた小論文です。
“年齢を重ねたあとも言語習得が可能であるとする意見もある。
早期教育に過度に重点を置いて、ほかの教科の授業時間を減らすようなことになっては本末転倒であると考える。”
インターネットの膨大な情報の中から文献をたどって考えを深め、自分なりの意見を展開したのです。
筑波大学図書館情報メディア系 逸村裕教授
「ググれば(検索すれば)すぐに出てくるからというので手に入れるのでは、やはりだめで、それをどのように新たな話に展開していく、新たな知識を発見する、読書の効用というのもそういうものがある。」
読書の目的は情報を得ることだけではありません。
文学のように私たちの心を豊かにする本もあります。
“そういえば、本が人生を豊かにしてくれるって聞いたことあったな。”
東京大学大学院総合文化研究科 酒井邦嘉教授
「五感を駆使しながら我々読書するんで。」
読書が脳に与える影響を研究する、東京大学大学院の酒井邦嘉教授です。
東京大学大学院総合文化研究科 酒井邦嘉教授
「本を読むという行為は決して情報を得たいというためにやるわけではなくて、むしろ『自分の中からどの位引き出せるか』という営みなのです。」
読書をしているときの脳は、ほかの活動をしているときとは違う特徴があるといいます。
例えば、雪国の場面をテレビで見ているとき。
映像は視覚をつかさどるこの部分で。
ナレーションなどの音声は言葉をつかさどるこの部分で捉え、脳の前方にある部分に伝達。
場面の意味を理解します。
テレビは次々と場面が変わるため、脳は入ってくる情報の意味を理解することに追われます。
一方の読書。
「トンネルを抜けると雪国であった」という一節を読むとき、まずは言葉を視覚で捉え、次にその意味を理解しようとします。
このとき脳は、どんな景色なのか、主人公はどんな人なのか、イメージを補おうと視覚をつかさどる部分が動きだします。
すると、過去に見た風景などの記憶をもとに、想像を膨らませ場面のイメージが脳の中に出来上がります。
読書による、こうした一連のサイクルが、想像力を養うことにつながると考えられています。
東京大学大学院総合文化研究科 酒井邦嘉教授
「読書と言っても、そういう言葉だけでは実はなくて、視覚的に映像を頭の中に想起するとか、過去の自分の体験と照らし合わせて対比して考えるとか、自分で得られた情報から更に自分で自分の考えを構築するというプロセスがはいってくるので、人間の持っている創造的な能力がフルにいかされることになります。」
皆さん、こよい、本を手に取ってみてはいかがでしょうか。
ゲスト立花隆さん(ジャーナリスト)
●もし今、大学生だったら、どう情報に接するか?
それは難しいけども。
1つは、この今のコンテクストだと、スマホをわりと否定的に捉えてますよね。
だけど、要するにスマホの向こうに何があるかが大事な問題であって、スマホの向こうに、ネットを通して、ほとんど人類が持ってる知識全体があるんですよ。
そりゃ、引き出し方いかんで、どんな情報でも取れるんですよね。
だから、スマホだからみたいな議論っていうのは相当は成り立たない。
それと、もう1つは、さっきの雪国、トンネルを抜けると雪国であった、あれの解釈で、脳がこういうふうに働いてみたいな話がありましたけど、あれは人によって、ものすごい違いますよね。
例えば、僕はあの文章読んで、あの文章、その、トンネルを抜けると雪国であったという、これは日本語としてはすごい破格の文章ですよね。
だから、そこに僕はぱっと関心がいって、だから視覚がまず来てみたいなね、そういう感じは全くないですね。
あっ、不思議な文章だなって。
で、その文章が自分に与えるイメージとか、要するに、ある本、あるいはある文章を通して、その人の脳を刺激するしかたっていうのは、ものすごい違うわけですよ。
だから読書論とか、その本に関するいろんなものの考え方っていうのは、何について言うのか、それから、どういう人について言うのか、それによってものすごく違うんですね。
●“読書ゼロ”の知的劣化や偏った考え方の広がり 学びの機関がスマートフォンやネットとなった場合どう見るか?
それは両面あると思います。
それは、学生によってものすごく違うというか、今の若い人をそういうふうな感じで、ばかにしたり、どんどん知性が劣化してるみたいな言い方をすることもできるけれども、でも現実の学生、僕、いろんなタイプの学生に会ってますから、そうするとね、今、そういうふうに、なんというか、知的環境そのものの変化の中で、むしろこの変化を利用して、どんどん自分の知的能力を膨らませていってる、そういう若い人たちが一方でものすごくいるんです。
だから、それは一概に、こう、ああとは言い切れない。
(それは何をネットで読んでいるかということ?)
それはありますね。
1つはそれがありますね。
それから…。
(良質なものがたくさんある?)
両方あります。
それでとにかく、1つはほとんど無限の可能性っていうかね、言ってみれば、昔、これまでに発行されたすべての書物を集めた、アレキサンドリア図書館というのがありましたよね。
今はすべての人がネットを通して、アレキサンドリア図書館を自分なりに作っちゃうことができる、そういう時代なんです。
だから、それはもう要するに、ここにネットっていうか、スマホが1つあれば、もうすでに、そういう時代に入ってるんですね。
だから、それを通してどういう利用をするか、これでものすごく違うんじゃないですか。
(今の若い人たちの閲覧するスピードが速くなり、1秒間で判断できるというが?)
でも、それはそうでしょ。
例えば、本を広げて、あるいは新聞広げて、この記事をちゃんと読むか、あるいはさっと目を通すだけにするか、その判断っていうのは、恐らく1秒以下っていうかね、それぐらいでやってるはずなんですよ、日常生活において。
ただそのこと自体はそんな驚くべきことじゃなくて、だから、そういうものを語るときにこれまでインプットとアウトプット、その2つでしかものを考えていなかったけれども、今はスループットという言葉があって、だから情報が頭を通過する、そのスピード、その内容、そちらを問題にする。
スループットがものすごい勢いで、どんどん増えてるっていうのが、現代の一番の特徴なんですよね。
だから、スループットがいやおうなしに増えてきますから、その中で、その人がどういう情報を拾い上げて、その人の自分自身の脳を作り上げていくか、さらにね。
そこが大事だという、そういう感じに今、なってるんじゃないかしら。
●情報収集のしかたはネットだけで足りると思うか?
そうは思いません。
現実にそうじゃないし、それはやっぱりね、ネットだけだと、やっぱりどうしても掘り方が浅くなるんですよ。
もうちょっと深い情報を得たいと思ったら、本なり、あるいはその他もろもろ、ほかの手段がいろいろありますから、それを通して、より深い情報を得るってことが必ず必要なステージに行くんですね。
●自身の思考力を培ううえで、どんな経験が役に立ったか?
それは、圧倒的に本を読む経験ですよね。
だから、本っていうのは、じゃあ、なんなのかということになりますけれども、それは僕は、ひとまとまりの知識だと思ってるんです。
つまり本を1冊読むと、そん中にまとまって封じ込められてる知識みたいなものがあって、それが自分に獲得できる、そういうメディアなんですよね。
それで、ただ、そういうふうに言うと、その中に込められている知的な部分だけみたいな感じになりますけど、そうじゃなくて、僕は本ってのは、総合メディアだと思ってるんですよ。
(総合メディア?)
つまり、人間の脳ってのは、基本的に知と情と意と、知情意が総合された。
(知が知識、情は感情の情、意は?)
意は意欲の意、意思の意ですね。
それが全部あるのが、この脳なんですね。
それで、本を語るときに、わりとしばしば、人がやりがちなのは、もっぱら知のメディアとして考えちゃうんですね。
本というのはそうじゃないんです。
情の部分がものすごく大きくあって、意の部分がものすごくあって。
(意の部分というのは?)
意の部分っていうのは、例えば、ビジネスの世界でもいいし、あるいは戦国時代の話でもいいけれども、いろんな人物の行動を通して、人間の意思の世界っていうかね、それにどれほど人間が突き動かされて、その中で、どういう判断をするかが重要なのかっていうそういうことを学習することが、その人の人生にとって、ものすごく重要でしょ。
そういうのがその本で、そういうことについて、そういうことを物語化して書いたエピソードの集積によって、その人は学習するんですね。
つまりいろんな人の意を決する場面、そういうものが、どういう結果をもたらしたかみたいなね。
それは本を通して、疑似体験を自分の中に入れることによって、それが学習できるわけですね。
(その中で感情も揺さぶられる?)
だから、情の部分がそうですよね。
だから、その全部を合わせた体験を与えてくれるのが本というメディアだから、本は常に、総合メディアとして考えなきゃいけない。
この単発に、知識だけ、文章を書くとき、いい論文が書けたかみたいな、そんな話をすると、本っていうものの世界をわい小化することになっちゃうと思うんですよね。
●思考力を鍛えていくうえで、本を読むプロセスの中で何をすべきか?
読むだけじゃなくて、その次のステージとして、アウトプット、つまりなんかをまとめて書くっていうね、その体験に行かないと、なんていうか、より読書が深められない。
そういう知識を深める、なんていうか、知的な内容のものを深めるだけじゃなくて、その全体をまとめるためには、やっぱり書くっていうことが必要なんですね。
(そういう中で自分も考える力が出てくる?)
そうです、書くのが一番役に立ちますね。