小林直剛

最近“わからないもの”にすごく興味があります。もっと言うと“わからないもの”に可能性を感じるんです。わたしたちは何でもかんでも“わかりたい”、言い直すと論理的に、体系的に把握したいと思っています。そうやって、世の中のあらゆる事象を自分たちの方にたぐり寄せようとする。自分の陣地で戦った方が有利に立てるわけですし、理由が“わかっている”方が安心できる。当然です。
しかし、です。そうやって何でも“わかっている”という状態に持ち込んでいくと、新たな問題が発生します。今度は、(すでに)知ってしまったこと、つまり、取り込んでしまったことが面白くないのです。説明できるものはつまらない。わがままな話です(笑)。

One thought on “小林直剛

  1. shinichi Post author

    わびさびを読み解く
    Wabi-Sabi for Artists, Designers, Poets & Philosophers
    レナード・コーレン著

    by 小林直剛

    唐突ですが、最近“わからないもの”にすごく興味があります。もっと言うと“わからないもの”に可能性を感じるんです。わたしたちは何でもかんでも“わかりたい”、言い直すと論理的に、体系的に把握したいと思っています。そうやって、世の中のあらゆる事象を自分たちの方にたぐり寄せようとする。自分の陣地で戦った方が有利に立てるわけですし、理由が“わかっている”方が安心できる。当然です。

    しかし、です。そうやって何でも“わかっている”という状態に持ち込んでいくと、新たな問題が発生します。今度は、(すでに)知ってしまったこと、つまり、取り込んでしまったことが面白くないのです。説明できるものはつまらない。わがままな話です(笑)。何でも知りたいのに、知ったら知ったで今度はつまらないと言い出す。あの子と何としてでも付き合いたいと思ってあらゆる努力をして、いざ付き合えるとなったら、何だかシラけてしまったというような感じでしょうか。

    この話、マーケティングやブランディングの領域でよく語られる企業や商品・サービスの「差別化要因」みたいなものにも当てはまると思うんです。「これがこの商品の差別化ポイントだ!」「A、B、Cという3つの要因でこのサービスは競合サービスと差別化を図っているんだ!」などという会話を仕事柄よく聞いたり、したりします。が、そうやって論理的に、体系的に説明できてしまう差別化要因(=魅力)って、その時点で誰にとってもすでに知ってしまっているもの(=つまらないもの)になってしまっているのではないかと。そうやって、論理的に捉えることができたはずの魅力は掴んだと思った瞬間に手からこぼれ落ちてしまっているのではないかと。

    裏を返すと、掴もうとして掴もうとして、それでもやっぱり掴みきれないようなところにこそ、本当の差別化要因、他の何物とも違う魅力が潜んでいるんじゃないか、と思ったりするわけです。

    そんなことを思いながら、ふらっと立ち寄った書店で手にとったのが、わびさびとは何か?ということを解き明かそうとしている本書でした。(やっと本書の紹介にたどりつきました!)

    わびさびという概念について示唆に富むさまざまな話が出てくるわけですが、今回はわたしの問題意識とつながる部分に焦点をあてて、手短にお話したいと思います。次の一文がすべてを言い表していました。

    「わびさびが提示するのは、まさに解像度と微調整の問題なのである。」(P80)

    「わびさびがデジタル形式のうちに存在できるか」という問題を取り扱ったところで出てきた一文。この「解像度」と「微調整」の問題が、論理的にすでに“わかってしまったもの”と“わからないもの”の違いをうまく言い当てているような気がしたんです。長くなりますが、もう少し引用します。

    「デジタル形式では、わびさびが必要とする無限大の繊細さに応えることができない。以下は、その理由である。何かがデジタル化されるためには、事象の分析と「0」と「1」からなるバイナリーコードへの変換という2段階の手続きを必要とする。…(中略)…「無限大の繊細さ」(「リアルな」世界と等しい情報量)を表現するためには、文字通り無限のバイナリーコードが必要である。分析に要する時間も無限であり、記述されたイメージや物を表示するデバイスは無限の解像度を要する。…(中略)…「無限大の繊細さ」こそが「バーチャルな」世界に対する「リアルな」世界の基準なのだ。そして、わびさびが提示するのは、まさに解像度と微調整の問題なのである。」(p78-p80)

    「0」と「1」からなるバイナリーコードへの変換を行う際に抜け落ちてしまった「無限大の繊細さ」。これこそが、「解像度」と「微調整」の問題であり、論理で説明しきれない“わからないもの”であり、そこにこそ他の何物とも違う魅力が潜んでいると思うのです。

    著者は、デジタル化が進む世の中で「無限大の繊細さ」が希薄化の一途をたどることに警鐘を鳴らして本書を締めくくります。世の中が「0」と「1」だけで描き出せること、説明できることだらけになってしまったら、こんなつまらないことはありません。わたし自身、何でもすぐに論理立ててしまいがちなので、“わからないもの”をわからないままに魅力あるものとして受け入れることのできる人間になりたいものです。

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