世間に多く人を殺すこと四あり。刑兵歳病なり。
一には刑を誤りて、科なき者と科軽き者とを殺す。
二にはわが身、乱をおこして、科なき敵見方を多く殺し、又我が不仁無禮なるによりて、人に兵乱を起こさしむるなり。
三には水旱風蟲の災にあひ、民多く餓死す。
四には、民諸の病にかゝり、殊に疫病はやりて、人多く死するなり。
この四の物は、皆よく人を殺す。この内刑と兵とは人に係り、歳と病とは天にかゝる。されど四のもの倶に人民を殺さずに至らずして、活す道あり。
是人に優るものゝ憂を去るのみならず、天に係るものといへども、人力を以てうれへを防ぐなり。
君子訓(下)
by 貝原益軒
(元禄16年)
江戸時代前期の政治課題
―― 「御救」の転換過程 ――
by 福田千鶴
国文学研究資料館学術情報リポジトリ
https://kokubunken.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1242
PDF file
https://kokubunken.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=1242&file_id=22&file_no=1
**
小括にあたって貝原益軒の「君子訓」下(元禄一六年著)を引用しておく。
裁判(死罪)・戦争・飢鍾・疫病の四つが、「人を殺す」事態を引き起こす。前二者は人に、後二者は天に係るものだが、い ずれも「人力」を以て憂えを防ぐことができる。『君子訓』のなかでは、「人を殺す」とい う生命剥奪の行為は君子(領主)の忌避すべき事柄であり、それを「人力」によっ て防ぐことは君子の才覚により、そこに「天」から「人民」を預かる君子の「職分」があり、それこそが君子の「天命」であると位置づけるのである。
(sk)
江戸時代は、十両盗んだだけで死罪だったから、死刑になった人がたくさんいたのはわかるけど、こうやって戦争や飢饉や疫病と並べられて多かったといわれると、うーんとうなるしかない。