渡部泰明

恋と恋愛は、同じではありません。恋愛は、男女二人がいれば、それで完結します。一人ではできないものですし、また二人以外の邪魔者は、いないほうがいい。けれども恋は、もっと大きな世界をもっています。逆に一人でも恋せるのです。今でいう「片思い」ですね。それは、歌の恋の重要なテーマです。というより、和歌の中の恋は、いつでも片思いです。「恋ふ」は「乞ふ」ものです。全身で求め、願うものです。仮に両思いであったとしても、自分の恋しさのほうがずっと深い。それゆえ必ず片思いなのです。

社会はいつでも恋に対立します。恋する人間にとって、障害であり、敵です。社会というと堅苦しいですが、歌の言葉でいえば、「世」であり「世の中」です。恋の歌には「世」「世の中」が繰り返し詠まれます。恋しい相手だって、現実に囚われていて、恋に逃げ腰であれば、もう社会の一部でさえあるのです。障害としての社会にぶつかりながら、「恋ふ」気持ちを抱きしめている。それが「恋」の核心です。社会という制約の中で、自分の真情を大事にすること。そう考えれば、これは人が生きるあらゆる局面にかかわってくることがわかるでしょう。だからこそ恋は、公的な一大テーマとなったのです。

黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき  和泉式部
かきやりしその黒髪の筋ごとにうち臥すほどは面影ぞ立つ  藤原定家

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