災害 | 死亡者 | 地域 | 発生時期 |
---|---|---|---|
黒死病 | 7,500万人 | ヨーロッパ、アジア | 1347~51年 |
餓死 | 4,000万人 | 中国北部 | 1959~61年 |
虐殺 | 3,500万人 | 蒙古族の中国人虐殺 | 1311~40年 |
スペイン風邪 | 2,164万人 | 世界中 | 1918~19年 |
暴風雨 | 100万人 | バングラデシュ | 1970年 11月 |
洪水 | 90万人 | 中国黄河 | 1887年10月 |
地震 | 83万人 | 中国狭西省 | 1556年2月 |
ダム決壊 | 23万人 | 中国河南地方 | 1975年8月 |
地滑り | 18万人 | 中国甘粛省 | 1920年12月 |
原爆 | 15万5千人 | 広島 | 1945年8月 |
空襲 | 14万人 | 東京 | 1945年3月 |
火山 | 9万2千人 | インドネシア | 1815年4月 |
雪崩 | 18,000人 | ペルー | 1970年5月 |
世界では何で死ぬのか
http://www.osoushiki-plaza.com/institut/dw/199608.html
ギネス災害記録
ギネスではこれまで地球上で起きた災害の記録を42項目に分類し、そのなかで最も被害の大きかったものを取り上げている。
餓死
・ロシアでは1914年から24年にかけて1300万人が餓死、1930年代初めには500万人が餓死した。(同上、164頁)
・中国では前世紀半ばの清朝時代に1300万人が餓死。また1960年から1961年、農業政策の誤りから数億人が飢餓にさらされ、2000万人の餓死者を出した。(丁抒「人禍」)
・1968年5月18日、ナイジェリア連邦政府軍がビアフラの港町を制圧。ビアフラは70年1月11日まで抵抗を続けたため、国際赤十字の7月の推計では、ビアフラの餓死者は150万人にのぼる。
・1968年から73年にアフリカ大陸のサハラ砂漠の南側に位置する地域で起きた干ばつで、2500万人が被災、10万から20万人の餓死者が出た。エチオピアでも20万人を超す餓死者が出た。
・1972から73年のインド南部から北西部にかけての干ばつで100万人を超える餓死者が出た。
・1979年8月、国際赤十字と国連は、225万人のカンボジア人が飢餓状態にあると報告した。
・1982年から85年の干ばつで、セネガルからスーダンに至る地域で300万人以上が餓死した。
・1989年だけでスーダンの餓死者は25万人という。
自然災害
・1939年 中国北部で洪水、死者20万人を出す。
・1953年2月1日、オランダとイギリスの沿岸地帯が洪水に見舞われ、オランダでは干拓地の堤防が決壊して死者1487人を出した。
・1981年夏、揚子江上流を襲った洪水で、堤防決壊が続出。この影響で家屋の倒壊が50万戸、死者は4000人に及んだ。
・1996年の中国の南部と中部を洪水が襲い、716人の死者を出した。
・1900年9月8日、テキサス州ガルベストンにハリケーンが襲い、洪水で6000人の生命を奪う。
・1970年11月13日バングラデシュにサイクロンが発生、20メートルの高潮が、ガンジス河河口地帯を襲い、50万人が死亡。74年の洪水と飢餓で30万人、85年には1万1000人が、91年4月には死者14万人の犠牲者が出た。海面から3メートル以内の低地に人口の7分の1が住むバングラデシュでは、毎年自然災害にみまわれている。
・1906年4月18日、サンフランシスコで大地震が発生。地震後の火災で町の3分の2が消滅。死者約1000人、家を失った人は30万人に達した。
・1908年12月28日、イタリアのシチリア島で大地震が発生。西岸のメッシナと本土のカラブリアが被害を受け、両方の死者は15万人。
・1915年1月13日、イタリアのローマ周辺で地震が発生。死亡者は2万9500人に及ぶ。
・1920年12月16日、中国甘粛省で地震が発生。死者20万人を出す。
・1923年9月1日、関東大震災が発生。死者・行方不明の合計は14万2800人。
・1935年4月21日、台湾中北部で地震。死者3000人。
・1935年5月30日、パキスタンのケッタで地震が起き、死者5万人を出す。
・1939年12月27日、トルコのアナトリア半島の東北部で地震。火災が発生し、死傷者は人口の7割の11万人にのぼり、吹雪と飢えが重なり、死者は3万人を超えた。
・1970年5月31日、ペルー北部の山岳地帯と太平洋岸一帯に地震が発生。地震後の山崩れと洪水で死者5万人、負傷者は60万人。
・1976年に中米のグァテマラで起きたM7.5の大地震で、死者2万2千人を出した。この地震で100万人が家を失った。
・1976年7月28日、午前4時頃、中国河北省の唐山士にM7.8の地震が襲い、同市の人口の14%にあたる15万8千人が死亡した。
・1978年9月16日、戒厳令下のイランをM7.7の地震が襲い、イラン全土での死者2万5千人といわれる。
・1980年10月10日、アルジェリア北西部でM7.5の地震が発生。震源近くのエルアスナムで死者2590人。
・1980年11月23日、イタリア南部で大地震発生。死者・行方不明約4500人。
・1985年9月19日、メキシコ南西部でM8.1の大地震が発生。死者は約8000人。
・1985年11月13日、南米コロンビア西部のネバデルルイス火山(5399メートル)が噴火。約2万5千人が死亡する。
・1902年5月8日、カリブ海の仏領マルティニーク島プレー火山が爆発、約4万人が死亡。
戦争の犠牲者
太平洋戦争の死亡者数
中国 1000万人、朝鮮 20万人、ベトナム 200万人以上、フィリピン 105万人(うち市民100万人)、インド 350人(大部分はベンガルの餓死者)、ニュージーランド11625人、モルディブ 数10人、シンガポール 5000人、ビルマ 5万人、セイロン、ラオス、カンボジア、オーストラリアは不明、以上合計約1882万人。日本221万3903人(うち一般国民65万8595人)本多公栄「ぼくらの太平洋戦争」による。
なおベトナムの死者200万人は、ほとんどが餓死といわれる。(早乙女勝元「ベトナム200人飢餓の記録」)。
朝鮮戦争の死者
1950年6月に始まった朝鮮戦争で、北朝鮮の死者は250万人、韓国市民100万人、韓国軍人5万人、米国人5万4000人、中国軍人100万人。(J・ハリデク「朝鮮戦争」岩波)南北朝鮮の合計死者数が355万人というから、太平洋戦争での日本人死亡者221万人をはるかにうわまっている。アメリカ軍人の死者も、ベトナム戦争の時より1万人も多い。
チベット人虐殺
1950年に中国に併合されたチベットでは、数十万人の住民が殺された。アジア監視委員会では「1950年から1980年に百万人を超えるチベット人が不自然な死を遂げたと推定される」と報告されている。(タッド・シュルツ「1945年以後」)
インドシナ戦争
1954年5月7日、ディエンビエンフー陥落。フランス軍の死傷者5,000人、ベトミン軍の死傷者8,000人。
ベトナム戦争
1973年1月28日、南ベトナム全土で停戦が発効。アメリカ軍の死者4万6000人、重軽傷者30万3000人。南ベトナム軍民の死傷者は300万人以上。
カンボジア内戦
ポルポトのクメール・ルージュ政権は1975年のアメリカ軍撤退後の4年間に、300万人の市民を虐殺し、2800の寺院を破壊。
グアテマラ内戦
1960年代の内戦以来死者・行方不明者は14万人にのぼる。
ウガンダ内戦
ウガンダでは1971年から1979年までにアミンの軍によって30万人以上の市民が殺害された。
エルサルバドル内戦
1979年以来の内戦で、81年8月までに死者が2万6000人に達する。
アフガン内戦
1989年末で12年目を迎えアフガン内戦の推定死者は130万人。
ルワンダ内戦
1994年、アフリカ中部のルワンダでは3か月で50万人規模のジェノサイド(民族せん滅)が起きた。
ブルンジ内戦
ルワンダの南に接するブルンジでは、1993年10月から始まった内戦で、死亡者が1996年7月現在、15万人に達した。
伝染病
世界保健機関(WHO)の推定によれば、第3世界で毎年1700万人が予防できる病気で死亡している。病名でいうと、毎年マラリア患者が1億人、結核患者が1000万人、住血吸虫患者が2億人発生している。
エイズ
国連エイズ計画が1996年7月に発表した世界のエイズ累積死亡者数は、1995年の1年間で130万人。累積死亡者数は580万人であると発表された。またこれまでの累積エイズ感染者は2790万人である。西暦2000年には4000万人に達すると予測されている。。地域的にはサハラ以南のアフリカが850万人、東南アジアおよび東アジアの300万人がこれに続く。日本での累積エイズ患者数は、1995年8月現在で1026人。
コレラ
1994年WHOへの報告では、患者数は38万人で、死亡数は1万余人。
スペイン風邪
1918年8月27日、米でスペイン風邪が流行。約50万人が死亡。ワシントンでは棺の在庫がなくなった。日本人の死者は38万人。このスペイン風邪は世界中で約2500万人が死亡したと推定される。
増え続ける結核
結核で毎年約300万人が死亡し、約800万人の患者が新たに発生している。その95%は発展途上国が占める。WHOでは新規患者は2000年には1000万人に達すると予測している。
髄膜炎
WHOによると、1996年、中央アフリカで髄膜炎が流行し、15000人が死亡した。