プライバシーのない社会

 インターネットに「プライバシーへの関心は、これまでになく高まっている」という記事が載る。その一方で、プライバシーの意識が低下してきているという記事が載る。この一見矛盾した見方は、どうして出てきたのだろうか。
 ネットワークに繋がれた監視カメラや自動車に組み込まれたセンサーといった私たちが知っているものから、知らず知らずのうちに部屋のなかに入り込んできている私たちが知らないものまで、社会のあちらこちらにバラ撒かれた IoT端末が、ひとりひとりの行動を見守っている。見守るという言葉が適当ではないのなら、監視という言葉に置き換えてもいい。
 そういう現実のなかで、プライバシーについての意識や感覚は、明らかに変化している。かつて、人びとは管理を避けようとしていた。それが今、人びとは管理を受け入れ、安全を確保し、進んで IoT端末と共存しようとしているように見える。人びとは諦めではなく、割り切ることを選んだのだ。
 個人の私的な部分を聖域化してきたプライバシーが、IoT端末・AI・ブロックチェーンなどを聖域化するプライバシーへと変容しているのではないか。旧来の人権の枠のなかのプライバシーが、テクノロジーの枠のなかのプライバシーに取って代わられつつあるのではないか。
 古い人間にとっては、テクノロジーの枠のなかのプライバシーはプライバシーではない。そういう見方からすると、目の前に現れた社会にはプライバシーはない。

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