杉崎知喜

何か一点人工の手を加えると、大自然全体が瞬時にして鑑賞すべき風景、しかも気の遠くなるような文化の蓄積を背負った一幅の画になってしまうのが、中華文明の特徴ですね。例えば険しい崖に漢詩を掘り込むと、いきなり中華文明における名勝(泰山、赤壁などもそうでしょうか)に早変わりするように。人文世界に取り込まれて初めて自然は文人が愛でるべき対象になる、といっては言いすぎでしょうか。もし鎌倉が中国人の街だったら、稲村ガ崎の断崖に「湘南観止」とかなんとか大きな字を彫り込んでしまったことでしょう(討幕軍の稲村ガ崎越えにちなんだ文句にしたかもしれません)。崖に字を彫り込まなくても、文章で詠みこんでしまえば、これと同じことなのかもしれません。

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *