猥褻か? 芸術か? どころの騒ぎじゃない!! チャタレイ夫人、悪徳の栄え、愛のコリーダ…、昭和の先人たちが挑んだ芸術論としての猥褻論争も今は昔。ネット社会化により混迷するワイセツ規制は、いまや「ブツ」から人々の「思考」そのものへと、その権域の拡大を試みる。海外配信から、準児童ポルノ、非実在青少年、JKリフレまで…。「ヘア」解禁が話題となっていた1994年に刊行された旧版を、大幅な加筆と註釈によりメタ的にリノベーション。弁護士であり名画座館主でもある著者が、豊富な判例をもとに実証的に描き出す。もはや現代は「見えた」か「見えない」かではない、「見られて」いるのだ!!
ワイセツ論の政治学──走れ、エロス!
by 内藤篤
【目次】
プロローグ[1994/2017]
①───────────1994
Ⅰ 発情するメディア───テクノロジーが駆動する欲望
Ⅱ まだ死ねずにいる猥褻裁判のために───チャタレイ夫人/サド/愛のコリーダ
Ⅲ 越境の規則───税関という名の超絶理論体系
Ⅳ 自主規制の政治学───映倫の存在理由
Ⅴ エンド・オブ・ザ・ロード───「有害」図書指定とは何であったのか
Ⅵ リベラリズムを超えて───フェミニズム・ポルノ批判異論
幕間 メディア・セックスの彼方に───エピローグ[1994]
②───────────2017
Ⅶ 「フリー経済」の果てに───ビデ倫摘発/海外配信
Ⅷ エロい芸術───エロと権力の付き合い方
Ⅸ エロと権力、ふたたび───準児童ポルノ/非実在青少年
エピローグ[2017]
あとがき