外山滋比古

われわれはどれほど対象のあるがままを正しく理解しようとしても、なお、個人的偏差、色づけを免れることはできない。“誤解”のない理解はない。いわゆる誤解となるか、いわゆるおもしろい解釈となるかは、質的差異ではなく、程度の差に過ぎないのである。

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