観念

観念という言葉がある
僕にとっての観念は
もうこれまでと観念するっていう
覚悟というか 諦めというか
まな板の上の鯉のような
ただ 状況を受け入れるという感じ
もう どうしようもないという感じなのだ
ところがインターネットには
イデアの訳語だと書いてある
プラトンによればとか デカルトによればとか
ロックによればとか ヒュームによればとか バークリーによればとか
うるさい うるさい という感じだけれど
ひとことでいえば 観念は
考えた結果だとか
いや 主観的な像だとか
いや 心に残る印象だとか
いずれにしても
意見の一致は見込めない

会議に遅れれば 時間の観念がないといって罵られ
意見を変えないと 固定観念に縛られてといって批判され
こだわりを持てば それは強迫観念だと決めつけられる
いずれにしても 観念という言葉が出てくると ろくなことがない

金子大栄は1925年に出版した『浄土の観念』の内容が異安心とされ
1928年に大谷大学教授を辞任してしまう
1942年に復職したとはいえ
観念という言葉を使うと ろくなことはない

病気を前にして
僕は観念する
医者は正しい
僕は間違っている

One thought on “観念

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