湯浅誠

ある日の子ども食堂のメニューにコロッケが入っていたそうです。そして、その日に来ていた小学校5年生の子が、出されたコロッケを見たとき『これ何?』と言ったそうなんです。そのときに初めて、スタッフはその小学生がそれまでコロッケを食べたことがなかったと気付いた。このように、子どもたちの何気ない発言や行動の中に、家庭環境を知るヒントが隠れていることも多いんです。そういう意味での気付きの拠点です。
そして、『コロッケを食べたことがないならメンチカツも出してみようか』『誕生日を祝ってもらったことがないならみんなで誕生日会をやろう』『家族旅行に行ったことがないならみんなでBBQしよう』というように、ほかの子が家庭の中で経験しているけれどできていなかったことを経験する機会を提供することもあります。この子のように、児童相談所や生活保護に頼るほどではないけれど、周りの多くの子が経験していることをできていなかったり、小さな課題やモヤモヤを抱えたりしている子どもたちがたくさんいます。そういった子どもたちは、ぼろぼろの服を着ているわけではないし、がりがりに痩せ細っているわけでもなく、周囲からは気付かれにくい。しかし、子ども食堂で一緒に時間を過ごしていると、潜在的な貧困の要素に気付くことはしばしばあります

3 thoughts on “湯浅誠

  1. shinichi Post author

    子育て支援は貧しい人だけのもの、なんてない。

    by 湯浅誠
    (2021/07)
    https://media.lifull.com/stories/20210720151/

    生活の中のさまざまな場面で耳にするようになったSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)。そのスローガンは、“誰一人取り残さない”だ。今でこそあちらこちらで聞かれるようになり、少しずつ認知されるようになったSDGsだが、湯浅さんは、その言葉が生まれるずっと前から、貧困問題に関わり、「誰一人取り残さない」を実践してきた。湯浅さんが、貧困という問題に取り組み始めたきっかけはなんだったのだろうか。

    「友達がホームレス支援に携わっていて、それを見に行ったのが最初です。ただ思い返してみると、兄が身体障がい者だったことが何かしら関係している気がしています。兄は車いすに乗っていて、外を歩くときはよく私が車いすを押していたのですが、周りの人たちからかなり見られるんですよ。今でこそ、身体障がい者だからという理由で変な目で見られることは少なくなっていると思いますが、その頃はまだまだ変なものを見るようなまなざしで見られることが多かったんです。あからさまな差別やひどい言葉を投げかけられたわけではないのですが、 通りすがりにジロジロと見たり、逆に見ちゃいけないと思ったのかチラチラと見たりする人も少なくなかった。そんな“特異な対象”として見られる、という経験が、同じようにジロジロ見られることの多いホームレスの人たちと重なったのかもしれません。正直、自分では何がきっかけで支援を始めたか分かりませんし、うまく説明できませんが、無意識的に兄の存在が影響していたのだと思います」

    多くの人を巻き込む子ども食堂が貧困解決の糸口に

    無意識に覚えた「取り残された」ような感覚から「誰一人取り残さない」社会に欠かせない、貧困問題への取り組みを始めた湯浅さん。ホームレス支援を中心に、これまで日本の貧困問題に関わってきたが、現在は主に子ども食堂の支援活動に力を入れている。どうして今、大人の貧困ではなく子どもの貧困に取り組むのだろうか。
    「“貧困問題のフェーズ”が変わったのが大きいです。1966年に始まった高度成長期以降の40年間ほどは、戦後の復興を遂げ、貧困問題は終わったとされていました。私が、貧困問題は存在していると言っても、逆の立場の人からは、『本人の努力が足りないだけだ』『社会のせいにするのはおかしい』と言われることが多かった。そもそも貧困問題があるかないかという議論で終始していたんです。

    しかしその後、政府が2009年の10月20日に、日本の貧困率を発表し、日本に『貧困問題がある』と認知されるようになっていきました。そのときを起点に、これまでの『貧困問題があるかないか』の議論から『あるとされた貧困問題にどう取り組んでいくか』というフェーズに移っていったんです。子どもの貧困、女性の貧困、高齢者の貧困……いろいろあるけれど、どう取り組んでいくのか? そのフェーズになったとき、私は子ども食堂という場所が素晴らしい解決策だと気付きました」

    貧困問題にアプローチする取り組みがいろいろとある中で、どうして、子ども食堂が素晴らしい場所だったのか。

    「貧困をなくすためには、多くの人の力が必要です。よりたくさんの人が関われば関わるほど、大きな力になります。しかし貧困問題と言うと、『深刻な貧困』『壮大な社会問題』というイメージを持つ人が多く、『自分にはどうすることもできない問題』と考えられてしまいがちです。一方で子ども食堂は、子どもも大人も高齢者も、みんなが関わることができる場所であり、助けが欲しい人、何かしたいと思っている人……みんなの受け皿になっています。そんな多様な人たちが集まる子ども食堂こそが、貧困問題に関わる人の数を増やし、貧困の解消への糸口になると感じたんです」

    「気付きの拠点」になる子ども食堂

    湯浅さんが、「地域交流の場」だと話す子ども食堂は、子どもたちに対して食事を提供しているだけの場所ではない。子どもや親、高齢者など、多様な人たちにとっての拠点となっており、単なる食堂を超えたさまざまな役割を持っているという。どんな役割があるのか伺ってみた。
    「一つは、『気付きの拠点』としての役割があります。これは、先日九州の子ども食堂を訪れたときに聞いた話ですが、ある日の子ども食堂のメニューにコロッケが入っていたそうです。そして、その日に来ていた小学校5年生の子が、出されたコロッケを見たとき『これ何?』と言ったそうなんです。そのときに初めて、スタッフはその小学生がそれまでコロッケを食べたことがなかったと気付いた。このように、子どもたちの何気ない発言や行動の中に、家庭環境を知るヒントが隠れていることも多いんです。そういう意味での気付きの拠点です。

    そして、『コロッケを食べたことがないならメンチカツも出してみようか』『誕生日を祝ってもらったことがないならみんなで誕生日会をやろう』『家族旅行に行ったことがないならみんなでBBQしよう』というように、ほかの子が家庭の中で経験しているけれどできていなかったことを経験する機会を提供することもあります。この子のように、児童相談所や生活保護に頼るほどではないけれど、周りの多くの子が経験していることをできていなかったり、小さな課題やモヤモヤを抱えたりしている子どもたちがたくさんいます。そういった子どもたちは、ぼろぼろの服を着ているわけではないし、がりがりに痩せ細っているわけでもなく、周囲からは気付かれにくい。しかし、子ども食堂で一緒に時間を過ごしていると、潜在的な貧困の要素に気付くことはしばしばあります」

    そんな「気付きの拠点」である子ども食堂では、場合によっては食事だけでなく、「裏メニュー」を提供している、と湯浅さんは言う。裏メニューとは、一体何なのだろうか。

    「子ども食堂で話している中で、子育てや生活に必要な情報を手に入れられていない人がいたとき、その人たちに情報を提供しています。例えば、日本の義務教育は無償とされていますが、副教材や体操着、給食費、ランドセル代など、実際はいろいろとお金がかかるため、これらの費用を賄えない家庭のために就学援助という制度が存在しています。東京23区では25%、日本全体では15%の人が、この就学援助制度を利用していますが、実はこういった制度の存在を知らず、必要な支援を受けられていない人がいます。子ども食堂では金銭的なサポートはできませんが、情報が行き届いていない人が必要な支援を受けられるように『裏メニュー』として情報提供をするようにしています」

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    経済的に貧困状態の家庭を救済するさまざまな支援制度がある。一方で、子ども食堂が重点的にアプローチしているのが「心の貧困」である。「貧しい子どもが食事をとるためにやって来るところ」というイメージを持たれることが多い子ども食堂だが、実際は貧困家庭の子から裕福な家庭の子まで、また子どもから高齢者まで、あらゆる人々に開かれた「地域交流の場」、そして「つながりづくりの場」としての機能を持っている。
    その雰囲気は、「まるで子ども会のお祭りのよう」と表現する湯浅さんは、子ども食堂が広義での「教育機関」としての役割も担っていると話してくれた。

    「『ケイドロ』っていう遊びを知っていますか。警察と泥棒の役に分かれた鬼ごっこのようなものです。私も小さい頃は、よく異年齢集団でケイドロをしたものですが、そのときにやっていたことを思い出すと、『ルールをカスタマイズする』ということだったと思い至りました。幼い子がいると、その子が毎回鬼に捕まってしまい、ゲームがすぐに終わってしまう。面白くない上にみんなが楽しめないんですね。だから、私たちは自分たちで工夫してルールを変えていたんです。これって、考えてみたら結構すごいことだと思います。大人の世界では、ルールに従えない人がいたら、ルールを守れないあなたが悪い、と排除してしまうことも多い気がします。でも子どもたちは排除せず、むしろ誰もが楽しめる仕組みにしていく。今回のように『幼い子』だけでなく、発達障がいの子や外国籍の子がいる場合も、同様にルールをカスタマイズするのかもしれません。

    ルールや自分にとっての「当たり前」が通用しない人といかに共存できるか。その力は、多様な人と交わって生き方や価値観が広がることで身についていく。そして、そのような経験をできるのが子ども食堂の強みだと湯浅さんは話す。

    「時代とともに、子どもたちは異年齢の子と遊ぶことが少なくなり、また多世代居住が減ったことから、お年寄りなど年の離れた人と話す機会も貴重になってきています。年を取ったら立ち上がるのにこんなに時間がかかるんだとか、食べるのがゆっくりなんだといった気付きは、同じ空間の中で過ごしてみないと得られないです。自分の親との関係性しか知らず、さまざまな立場の人との間合いを体験しないまま大人になってしまうと、社会に出たときに困ることも多いと思うんです。
    そういう意味で、子ども食堂のような老若男女、多様な人が混在する場所で、自分とは違う人と接し、自分とは違う見え方を知ったり経験したりすることが、子どもの成長にとってとても大切だと思っています」

    また湯浅さんは、最近うれしかったというエピソードを共有してくださった。

    「ある子ども食堂に、インドネシア国籍の小学校2年生の女の子が来ていました。ぱっと見たところでは外国籍だと分からないのですが、恥ずかしかったのか、その子はそれまで学校では自分のルーツを隠して日本名で通していたんです。ある日、その子のお母さんが子ども食堂でインドネシア料理を振る舞い、来ていた人たちに母国であるインドネシアの話をしていました。その中で、ムスリムの女性が身に着けるヒジャブのかぶり方についても話していたのですが、そのとき、その小学校2年生の女の子が、『私もこれをかぶるときがある』と言って、来ていた人たちにヒジャブのかぶり方を教え始めたんです。

    それがきっかけとなり自信がついたようで、その少女は学校でもインドネシア国籍であることをカミングアウトしました。これまで自分の出自を隠していた子が、お母さんがキラキラしている姿を見て、自分のルーツに素直に生きていけるようになった。こんなことが起こるのも、子ども食堂には多様な人がいて、刺激を受け合える場所だからだと感じました」

    「母子カプセル」を解消して母親の休憩場所になる子ども食堂

    気付きの場であり学びの場にもなる。そんな子ども食堂にはもう一つの顔がある。それが、お母さんたちにとっての「休憩場所」だという。
    「子育てをする日本のお母さんお父さんは、とにかく大変。特に母親は、大体父親の7倍くらいの時間を家事・育児に費やしているといわれています。そんな日本のお母さんたちは、子どもが小さいうちは常に一緒、ずっと同じ空間にいます。そんな母子密着の状態が一日中、365日続くことだって珍しくありません。こういった現状から、『母子カプセル』という言葉が生まれました。カプセルの中に母子が閉じ込められているイメージですね。

    子育ての歴史をさかのぼると、人類は昔から共同養育が一般的でした。それは狩猟をしていたような時代のことだけでなく、近代的な家族の形になってもそうです。近隣のつながりがあり、親やその上の世代と同居をしていれば、地域の中で、あるいはおじいちゃんおばあちゃんが子どもの面倒を見ることができました。でも今は核家族化が進み、孤立してしまう母子が増えたんです。これは人類史上初の現象ともいわれています」

    そんな母子カプセル状態、つまり親子だけでほとんどの時間を過ごすことの課題として、母親がほっとできる時間がないことが挙げられる。

    「例えば食事のとき、ご飯を作り終えると、多くのエネルギーと時間を使ってそれを子どもに食べさせ、自分は5分くらいで急いでご飯をかき込む……そんな親も少なくないと思います。一息つく時間さえないんです。しかし子ども食堂では、ご飯を自分で作らなくていいことに加えて、お母さんたちが食べている間に、ボランティアさんが子どもをあやしてくれたり、子どもが周りの子たちと遊んでいたりする。お母さんはそれを目にしながら、ゆっくり食べたり他のお母さんと話したりと落ち着ける時間を持てるんです。お母さん同士で話が盛り上がり、帰りたくないのは子どもよりお母さん。そんな光景も子ども食堂ではよく見られます」

    生活圏内に子ども食堂を。みんなにとって当たり前の場所に

    年齢や立場を越え、さまざまな人が支え合って育児を行う。地域での子育てを可能にする子ども食堂は、また母たちの休憩場所にもなっている。本来は経済状況や家庭環境を問わず、「誰でもウェルカム」な場所であるが、子ども食堂を「貧困層が行くところ」だと思っている人も多いようで、まだ参加する人が少ない拠点も多くあるという。今後は子ども食堂が、子育てをする親や子どもたち、地域のおばあちゃんやおじいちゃんなど、属性問わず、もっと幅広い人たちに来てもらえる「居場所」となってほしい。そして、そんな「地域の拠点」を増やしていきたい。そんな思いを湯浅さんは持っている。

    「今5,000ある子ども食堂を、2025年までにはすべての小学校区に一つあるように、つまり全国で2万にまで増やしていきたいです。子ども食堂は子どもと大人、両方にとっての居場所。そこに行くといつも誰かがいて、自分のことを気にかけてくれる場所です。そんな『誰かが待っていてくれる場所』が、生活圏内にあることが大事だと思っているからです。

    理想は、例えば物件探しの際に、コンビニや病院、学校までの距離を教えてもらえるように、『あなたが行ける子ども食堂が自宅から○○メートル以内にあります』というように公開できること。子ども食堂が、子ども、親、おばあちゃんおじいちゃん……みんなにとって当たり前のものになっていくことで、孤独がなくなると思います。『孤育て』ではなく地域で子どもを育てる『子育て』。そんなことが可能になっていくかもしれませんね。

    段々と仲間が増えていて、今では子ども食堂をやりたいという人が北海道から沖縄まで、全国に山のようにいます。思いを持って頑張っている人たちがたくさんいる。そんな状況を見ると、たとえ課題が山積していても、世の中捨てたもんじゃない、まだまだいけるんじゃないかと思うんです」

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  2. shinichi Post author

    貧困ビジネスとは何か? 低所得者を喰う者たち

    by 湯浅誠
    (2010/04)
    https://www.itmedia.co.jp/makoto/articles/1004/15/news006.html

    貧困ビジネスの定義

     「貧困ビジネス」とは、どういったことを指すのかご存じだろうか。たまに誤解されていることがあるが、貧困ビジネスとは「貧困層をターゲットにしていて、かつ貧困からの脱却に資することなく、貧困を固定化するビジネス」という意味。そもそも貧困ビジネスという言葉は私が考えたものなので、これが正式な定義と言っていい(笑)。

     貧困層をターゲットにしているさまざまな活動には、いいモノも悪いモノもある。しかし私が呼んでいる貧困ビジネスとは、貧困状態を固定化したり、貧困からの脱却に資さない、そういった悪いビジネスを指している。なので定義上、良い貧困ビジネスというモノはない。貧困は克服されなければいけないモノであって、貧困ビジネスも克服されなければいけないのだ。

     貧困に関してはいくつかの特徴があるが、まず「複合的」であることが挙げられる。さまざまなトラブルが折り重なって起きていて、「五重の排除」から成り立っている。五重の排除というのは、家族、教育、企業、公的から排除されるということ。さらに自分の尊厳が守れず、自暴自棄になる――つまり自分自身からも排除されてしまう。

     その結果、いろんな分野でトラブルが複合的かつ必然的に起きてしまうのだ。複合的なトラブルというのは、労働、金融、住宅、福祉のトラブルであったりする。例えば、当座のお金がないためにハローワークに行っても、月払いの仕事を選ぶことができない。そういう人は必然的に日払いや週払いの仕事をせざるを得ない。それは本人が選ぶ、選ばないという問題ではなく、本人に選択の余地がないということ。

     そして月々の家賃のほか、敷金、礼金を支払えない人たちは、安い宿を渡り歩くしかない。サウナやカプセルホテルなどで泊まるわけだが、こうした行動も本人に選択の余地はない。複合的なトラブルを抱える――これが貧困の特徴だ。このような状況に追い込まれる人たちは、障害者であったり、ドメスティックバイオレンスの被害者であったり、多重債務者であったり、生活保護者であったり、いろいろな人たちの間で起きている。

    金融の分野にはサラ金やヤミ金があったり、労働では悪質な人材派遣会社があったりする。また住宅ではいわゆるゼロゼロ物件(敷金、礼金なしで入居できる物件)があったり、福祉の分野でも悪質な無料低額宿泊所があったりする。1つ1つを見てみると、バラバラで存在している。しかし貧困という枠で見てみると、バラバラに活動しているビジネスがつながってくる。つまりヤミ金や悪質な人材派遣会社、ゼロゼロ物件などは貧困層をターゲットにし、貧困を固定化する役割を果たしているのだ。

    カギは「住宅」

     貧困ビジネスは金融や福祉などさまざまな分野に広がっているが、その中でもキーになるモノがある。それは住宅だ。なぜ住宅がキーになるかというと、住む所がなくなれば人は無抵抗になるから。

     仕事を辞めれば収入がなくなるので、当然、生活が苦しくなってくる。しかしそれよりもさらに問題なのが、住む所を失うということだ。逆に言うと、住宅さえ押さえてしまえば、強い支配力を持つことになる。貧困ビジネスというのはさまざまな分野に及んでいるが、住宅にからんでいるケースが多い。無料低額宿泊所しかり、囲い屋(部屋と食事を提供する見返りに生活保護費の大半を天引きするビジネス)しかり、追い出し屋(家賃滞納者を強引かつ暴力的な手法で追い出す業者)しかり。また飯場(はんば:建設現場などの労働者のために、現場付近に設けられた宿泊設備)については、食と住居が一体化している。

     例えば「エム・クルー」という人材派遣会社は、かつての飯場をブラッシュアップしたようなもの。この会社は建築現場に人を派遣しながら、偽装請負を行っていた。エム・クルーはレストボックス(家のないフリーターが安く宿泊できるホテル)を持っていて、そこに泊まっている人に仕事を紹介していたのだ。また不動産会社「スマイルサービス」という会社は、敷金ゼロ、礼金ゼロ、保証人不要を強調。低所得者でも安心して入れますよ、ということをうたい文句にしていた。

     住み込みの仕事というのは、自分の大家と社長が同一人物であることが多い。大家による支配力、社長による支配力――この2つの力を兼ね備えているので、とても強い。そして大家兼社長はその強い力を背景に、いろいろなことを言ってくる。もし彼らに抵抗すれば、住む所と職を失うかもしれない。なので必然的に、言いたいことが言えなくなってしまう。そして大家兼社長は、低所得者の弱みにどんどんつけこんでいくのだ。

    貧困ビジネスの理屈

     貧困ビジネスの理屈というのは、基本的に2つある。1つめは「嫌だったら、(サービスを)利用しなければよかったじゃないか」というもの。よく「本人は『利用しない』という選択肢があった」と言ってくるが、これは貧困ビジネスを利用する前の立場に立った理屈。もう1つは「嫌だったら、(サービスの利用を)止めればいいじゃないか。でも止めたら、困るのはあなたですよ」と、利用後の立場に立った理屈。

     例えば、悪質な不動産会社は「(ゼロゼロ物件を利用することで)低所得者は喜んでいる。契約のときにきちんと説明しているので、嫌だったら断ればいい」と主張してくる。またヤミ金も、同じようなことを言ってくる。実際にお金を借り、助かったケースを例に挙げ「ほら、役に立っている人もいるでしょう」というのが、彼らの理屈だ。

     この2つの理屈は貧困ビジネスに常について回ってくるが、実は人身売買でも同じようなことが起きている。例えば海外から売春をするために来日した人たちのことを、悪質業者はこのように言う。「本国にいるよりお金はたくさんもらえるし、『良かった』という人がたくさんいる。嫌だったら、来なかったらいい」と。一方、本人に対しては「お前はココを出て行けば、本国に強制送還させられるぞ」と脅したりする。

     本人は拾ってもらってありがたいと言っている。嫌だったら、辞めればいい――という彼らの理屈はおかしい。もし時給100円で働いていても「0円よりましだ。それでいい」と本人が納得していれば“問題ない”というのであれば、最低賃金もいらなくなり、労働法上の規制もいらなくなる。彼らの理屈を突き詰めていくと、こうした荒唐無稽の話になるのだ。

    拡大している貧困ビジネス

     かつて飯場(はんば:建設現場などの労働者のために、現場付近に設けられた宿泊設備)と呼ばれる職住一体型の建設現場は、人里離れた所でひっそりと立っていた。そして飯場の供給源になっている、いわゆる寄せ場(青空労働市場)という日雇い労働者の町は全国に数えるほどしかなかった。なので飯場や寄せ場というのは、一般社会と隔絶している存在だった。

     しかしいまは飯場的な業者が増えてきていて、それは悪質な人材派遣会社や不動産会社であったりする。彼らは職住一体型の貧困ビジネスを行い、低所得者からお金をむしり取っているのだ。職住一体型の特徴は労働の現場だけではなく、生活をも押さえているということ。寝起きそのものが搾取の対象になり、高い賃料、高い光熱費、現場までのバス代、ベッド代、テレビ代、冷蔵庫代なども請求される。つまり人間の生活、一挙手一投足に対し、お金を巻き上げていくのだ。

     こうした職住一体型の貧困ビジネスが全国的に広まっているが、このことは何を意味しているのだろうか。かつての日雇い労働者は寄せ場にいたが、いまではそうした貧困状態にある人が社会全体に広がっているのだ。このような“日本社会の寄せ場化”によって貧困ビジネスも社会の陽の当たる場所に出てきた、と言えるだろう。

     例えば保証人代行を行っている貧困ビジネスがあるが、10年前であればこういった会社は駐車場に「保証人になります」といった看板を掲げていた。つまり保証人代行ビジネスは捨て看板のような存在でしかなかった。しかしいまや保証人代行を求める人は増えていて、一定規模の市場を形成している。こうした現象の背景には、政府が行ってきた規制緩和があるのだ。

     規制緩和の中には本当に不要なモノを緩和したケースもあれば、必要なモノを緩和したケースもあった。しかし政府は何もかも一緒くたに緩和してきたので、生活が保証されるべき、または守られるべき人たちが市場に放り出されるようになってしまった。そして、取り残されてしまった人たちは単に取り残されるだけではなかった。公共サービスが撤退することによって、低所得者をターゲットにしてお金を巻き上げようとする貧困ビジネスが現れたのだ。

     例えば無料低額宿泊所が知られるようになる前に、お金を持っていない野宿状態の人を相手に“ビジネスになる”と思いついた人たちがいる。実際、彼らはどんどん利益を上げていった。公共サービスの撤退と貧困ビジネスの隆盛というのは、“一方が引けば一方が出てくる”といった関係なのだ。それは「ひそかな共犯関係にある」とも言えるだろう。

    貧困ビジネスと社会的企業

     貧困ビジネスには難しい問題が残っていて、私もまだその答えを持っていない。それは貧困ビジネスと社会的企業の問題だ。社会的企業というのは貧困層を対象にしているが、その人の生活を支援する企業を指す。例えばノーベル平和賞を受賞したバングラディッシュの「グラミン銀行」などが挙げられる(関連記事)。しかし社会的企業と貧困ビジネスは、どのようにして区別すればいいのだろうか。

     この問題は、分かるようで分からないのだ。分かるようで……というのは企業の実態を見れば分かるということ。現場に行って、その会社を見れば分かる。例えば利用者の顔つきであったり、生活状況がどのくらい改善したのかであったり、運営している人たちへの信頼感であったり。いろいろなことを見ていけば、社会的企業であるかそうでないかは分かる。しかしこれを形式的に区別しましょう、という話になれば非常に難しい問題にぶち当たる。いま無料低額宿泊所の法規制問題が出てきているが、この法規制問題が難しい。形式的に区別しようとすると、いいモノと悪いモノが同じ網に引っかかってしまう。貧困ビジネスと社会的企業を見分ける形式的な指標を、私たちはまだ持っていないのだ。

     形式的な指標というのはどういったモノなのだろうか。しかしいまの私には、よく分からない。ただこの法規制がなければ、貧困ビジネスと社会的企業の境界というのが、非常にあいまいになりやすい。悪質な業者で「自分は貧困ビジネスをやっている」という人はいない。貧困ビジネスに携わっているすべての人は「私たちは社会的企業です」という。なので本人の言葉だけで判断することはできない。無料低額宿泊所に1カ月寝泊りして、どういった運営をしているのか、といったことを丁寧に見ていかない限り判断することはできないのだ。

     また、いろいろな噂にも注意しなければいけない。「あそこはどうも評判が悪いらしい」「いろいろな問題があるらしい」といった類の噂は多い。一方、きちんと運営している企業に対し、根も葉もない悪い噂を流す人もいる。こうした噂に対しても、きちんと区分けする指標がないのだ。

     しかし将来的には、貧困ビジネスであるかどうかの指標を生み出していかなければならない。ひょっとしたら、すでに外国でいろんな指標が開発されているのかもしれない。いずれにせよ私たちは「貧困ビジネスであるかどうか」を見極める目を養っていかなければいけない。また社会的にも作っていかなければいけないのではないだろうか。

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  3. shinichi Post author

    【胡散臭い!】子ども食堂に感じる違和感とは?悪用されてない?

    by はかせ
    (2022/1)
    https://h-kitano.jp/2022/01/01/a-feeling-of-strangeness-in-the-childrens-cafeteria/

    悪用されているかもしれない

    もちろん子ども食堂に来る人たちが、実際には何も困っていない人ということもあり得ます。

    しかしその人が、どんな気持ちで食堂に来るのか、どんな悩みを持っているのかは誰にも分かりません。

    そしてそのような人も地域の一員です。

    悪用しているという見方もあれば、いずれは心を開いて地域の一員として大切な仲間になってくれるかもしれません。

    そんな広い心を持っていなければ、子ども食堂は成り立たないのではないでしょうか。

    本当に悪意を持って来ているのだとすれば、なおさら手を差し伸べるべき人なのかもしれません。

    参加ハードルの低いコミュニティは貴重

    悪用している人がいるからといって、ルールを厳格にして排除するというのは、本来の子ども食堂の目的から離れてしまいます。

    気軽に行ける身近なコミュニティであり、安心できる場所として子ども食堂の存在意義はとても大きいです。

    地域のつながりがどんどん薄れてきていますが、ちょっと助け合うことで救える人たちはたくさんいるはずです。

    そんないつでもちょっと助け合える関係づくりのために、子ども食堂のようなコミュニティは貴重な場所ではないでしょうか。

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