Alex Kerr

Since the 1970s, Japanese quality has become a byword, and many a book and article has been penned on the subject of Kaizen, ‘improvement,’ a form of corporate culture in which employers encourage their workers to submit ideas that will polish and improve efficiency. The writers on Kaizen, however, overlooked one weakness in this approach, which seemed minor at the time but has seriously impacted Japan’s technology. Kaizen’s emphasis is entirely on positive recommendations; there is no mechanism to deal with negative criticism, no way to disclose faults or mistakes—and this leads to a fundamental problem of information. People keep silent about embarrassing errors, with the result that problems are never solved.

7 thoughts on “Alex Kerr

  1. shinichi Post author

    Dogs and Demons: Tales From the Dark Side of Modern Japan

    by Alex Kerr

    . . . Japan has a fundamental problem with information itself: it’s often lacking, and when it does exist, is fuzzy at its best, bogus at its worst. In this respect, Japan’s traditional culture stands squarely at odds with modernity—and the problem will persist. The issue of hidden or falsified information strikes at such deeply rooted social attitudes that the nation may never entirely come to grips with it. Because of this, one may confidently predict that in the coming decades Japan will continue to have trouble digesting new ideas from abroad—and will find it more and more difficult to manage its own increasingly baroque and byzantine internal systems.

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    Tatemae is a charming attitude when it means that everyone should look at the other way at a guest’s faux pas in the tearoom; it has dangerous and unpredictable results when applied to corporate balance sheets, drug testing, and nuclear-power safety reports.

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    It is not, of course, only the Japanese who find flat sterile surfaces attractive and kirei. Foreign observers, too, are seduced by the crisp borders, sharp corners, neat railings, and machine-polished textures that define the new Japanese landscape, because, consciously or unconsciously, most of us see such things as embodying the very essence of modernism. In short, foreigners very often fall in love with kirei even more than the Japanese do; for one thing, they can have no idea of the mysterious beauty of the old jungle, rice paddies, wood, and stone that was paved over. Smooth industrial finish everywhere, with detailed attention to each cement block and metal joint: it looks ‘modern’; ergo, Japan is supremely modern.

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    No foreign architect of stature, such as I. M. Pei, resides in Japan. Foreign architects come to Japan on short-term contracts, erect a skyscraper or a museum, and then leave. But subtle and sophisticated approaches to services and design—the core elements of modern building technology—cannot be transmitted in this way. Japan is left with the empty shells of architectural ideas, the hardware without the software.

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    As a matter of historical fact, Japan has suffered far less from wars, famines, and floods than China, for example, where these disasters have resulted in the loss of millions of lives and the destruction of much of China’s perishable physical heritage… Italy, likewise, has endured volcanoes and earthquakes far more severe than Japan has ever experienced, yet ‘impermanence’ is not the abiding theme of Italian or Chinese literature. That it so dominates Japanese thought may have something to do with the ancient desire for Wa, ‘peace’ or ‘stasis.’ Any sudden change, whether in politics or the weather, is an insult to Wa. Hence the fear of and fascination with ‘impermanence.

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    The emperor of China asked his court painter, «What’s easy to paint and what’s hard to paint?» and the answer was «Dogs are difficult, demons are easy.»

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  2. shinichi Post author

    犬と鬼-知られざる日本の肖像
    by アレックス カー
    (2002)

    子供の頃から日本に住んでいた私は、古い街が破壊され、山と川がコンクリートで覆われていく様子を幾度となく目にしていたが、次第にこうした光景は、先進国として何かおかしいと違和感を抱くようになった。

    ただ憂いているばかりでは仕方ないため、1995年から官僚制度などの統計データを収集して、政治や経済の仕組みがどのようにして困難な状況を招いたのか、他の先進国との比較を通して調査を行った。「文化」と「自然破壊」というテーマから始まった調査だったが、「バブル」、「金融」、「教育」、「観光」、「原発」など、対象は多分野に広がった。2001年に出版された“Dogs and Demons”(英語版)、翌年の『犬と鬼』(日本語版)は、この研究の成果である。

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  3. shinichi Post author

    意外と知らない、トヨタの「カイゼン」の本質

    コミュニケーションでも生産性は上げられる

    by 岡内 彩

    現状を常によりよい方向に改善

    みなさんの職場風土を、ひと言で表現してみてください。「アグレッシブ」「成長志向」「安心・確実」……。さまざまな表現があるでしょう。同様に、トヨタであればどのような言葉をイメージしますか。おそらく、代名詞のように使われる「改善」が思い浮かんだ方も多いのではないでしょうか。

    「改善」は海外でもそのまま“Kaizen”と表現されるほどに、現在は世界規模で取り組まれている日本のお家芸の1つです。元々は製造業で行われていましたが、今はサービス業などにも広がりつつあります。

    トヨタにとって、「改善」は会社経営の根幹です。創業期からの価値観をベースに従業員の行動規範としてまとめられ、2001年に発表された「トヨタウェイ」にも、「知恵と改善」「人間性尊重」が2本柱として明記されるほどです。わかりやすく言うと、無限の可能性をもっている人間の力を最大限に活かすには、知恵を絞って現状を常によりよい方向に改善しようということです。

    この考えはトヨタの行動規範として掲げられているだけではなく、実際に現場の日々の業務でも実践されています。だからこそ、トヨタの現場では以下のような言葉が脈々と語り継がれています。

    「会社には仕事に行くのではなく、知恵を出しに行くのだ」
    (常に現場では知恵を求められる)

    「ムダな仕事をさせることは、その人の人生をムダにすること」
    (部下の能力を最大限に引き出すことが、上司の役割)

    「仕事とは、作業+改善である」
    (決められたことをやるだけ(作業)では、仕事とは言えない)

    今日はこの「トヨタの改善」を続けることでどのような組織になることができるのか、2つの観点からお伝えします。

    ①常に組織が進化するようになる

    みなさんの組織も、それぞれに目標があると思います。しかし、改善ができるようになると、目標を達成できるだけではなく、目標自体がどんどんレベルアップして、組織も進化していくというサイクルが出来上がります。しかし、それには次の3つのステップがあります。

    まずはどのレベルにあたるのかを把握する

    1つ目のステップは、「標準」があること。標準とは、現時点で最善とされるやり方や条件で、仕事の進め方や所用時間、物の置き場などさまざまなものがあります。また、標準があれば現状に対しての正常・異常も判断できます。正常であればより上を目指し、異常であればまずは標準を守るように対策するというように、現状に即した正しい判断ができるようになります。弊社が多くの顧客企業にトヨタ方式を導入するときにも、改善活動の初期段階では、まずこのレベルを目指します。

    2つ目のステップは、標準通りにできること。ここで初めて、現段階で目指している状態に達しているということになります。現場で標準をキープしてもらうためには、標準が組織の隅々にまで理解・納得されていることが大前提です。そのために行う現場へのアプローチは、出来上がった標準の内容を丁寧に説明して理解を促すことだけでなく、標準の作成段階から関与してもらうことで、「現場の納得感」を高めることが必要です。一見、標準を決める段階だけにフォーカスすると余計な時間がかかっているように思えますが、現場の落とし込みがスムーズになるので、周知・徹底まで含めて考えると十分にやる価値があるのです。

    3つ目のステップは、標準が常に進化していること。そのタイミングでの標準を達成したとしても、常により上の標準を設定してそれを目指すことで、現場は進化していきます。継続的な進化の際に有効なのが、他職場・他社での好事例の活用です。

    トヨタでは、職場での好事例はさまざまな会議でスピーディに共有され、担当者は上司から「他部署の良い取り組みはその現場に行って、自分の目で見てくるように」と言われ、自職場への応用を促されます。このように、他職場や自社以外の業界全体の流れにもアンテナを広げることで、新しい目標設定がスムーズになります。

    最初から最上位レベルに達することはできません。まずはご自身の職場はどのレベルにあたるのかを把握したうえで、目指すべきレベルを設定してください。

    全体が一体となって成長する

    ②組織の縦・横のコミュニケ―ションが活発になる

    次は、コミュニケーションです。トヨタの現場で必ず実行される5S(Seiri整理・Seiton整頓・Seisou清掃・Seiketsu清潔・Sitsuke躾の頭文字をとったもの)は、「キレイになってうれしい」という心理的効果以上に、仕事の生産性を上げることを目的にしています。トヨタのコミュニケーションも同様で、「職場の風通しがよくなる」こと自体よりも、仕事の生産性を上げることを目的としています。

    まずは、縦のコミュニケーションから。トップが現場に対して行うコミュニケーションでは、組織として目指している方針・取り組み等がしっかり現場レベルでも理解され、従業員の頑張りが会社方針の達成に寄与するようにします。現場の意見を無視した上意下達となって現場で不満がくすぶることや、現場ではいろいろとやっているけれどその方向がバラバラということがなくなります。

    逆に、現場が組織の上層部に対して働きかけるコミュニケーションの場合は、従業員のさまざまなアイデアを会社運営のプロセスに取り入れるようにします。特にオペレーション面では現場の従業員が最も熟知しているので、彼ら・彼女らに継続的に改善の提案・実施をしてもらうことで、現場は着実に進化していきます。

    従業員のアイデアを活用する効果は、当面のオペレーション進化にとどまりません。通常の作業をひたすらミスなく繰り返すことを求められる現場では、従業員のモチベーションは低下しがちです。ミスの分だけ減点するのではなく、質の良いアイデアの分だけ加点するスタイルに加えて、自らのアイデアが会社に貢献しているという満足感から、メンバーのモチベーションが大きく向上するのです。

    これは、1分前後の作業サイクルをひたすら繰り返すトヨタの工場といった現場でも言えることです。トヨタには、現場の作業者のアイデアを具現化する社内制度「創意くふう提案」があります。これは、従業員のモチベーションを向上させる貴重な機会だったとトレーナーたちは口をそろえます。

    モチベーションが向上した従業員はさらに多くのアイデアを出してくれるので、現場はどんどん成長していきます。多くの現場では従業員のアイデアを引き出すためのしかけが往々にして不足しており、その意味で大きな成長余地があると言えます。

    組織全体の進化を後押し

    次は、職場間で行われる横のコミュニケーションです。改善活動の初期は1つの部署などの小さい範囲で完結できるテーマが大半ですが、活動が進んでテーマが壮大になるほど多くの人・部署の協力が必要になります。そのため、改善活動が進むにつれ、部署間の連携が進んできます。

    また、部署間で切磋琢磨する風土も醸成されるので、ほかの職場での好事例を自身の職場に取り入れようという動きが生まれます。このような動きを「横展開」と言いますが、この動きは、個別の職場での効果を全体に波及させる意味で組織全体の進化を後押しします。また、基になるアイデアがあるので、ゼロベースで考えるよりもスピーディに職場が成長することにつながります。

    このように改善活動は、目指すレベルをどんどん進化させ、縦・横の密なコミュニケーションを通じて全体が一体となって成長する組織をつくりあげます。ここまで来れば、会社の方針と各職場でのさまざまな取り組みが連動し、現場での人材育成もどんどん進むようになります。そして、「こんな人材がいたのか」というスターが現場から継続的に排出され、人が交代しても時間が経っても常に組織が進化している状態になります。これらの効果は、改善活動を愚直に続けた組織だけが、得ることができる「果実」なのです。

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  4. shinichi Post author

    Kaizen

    Wikipedia

    https://en.wikipedia.org/wiki/Kaizen

    Kaizen (改善, かいぜん), the Japanese word for “improvement”, is a concept referring to business activities that continuously improve all functions and involve all employees from the CEO to the assembly line workers. Kaizen also applies to processes, such as purchasing and logistics, that cross organizational boundaries into the supply chain. It has been applied in healthcare, psychotherapy, life coaching, government, and banking.

    By improving standardized programs and processes, kaizen aims to eliminate waste and redundancies (lean manufacturing). Kaizen was first practiced in Japanese businesses after World War II, influenced in part by American business and quality-management teachers, and most notably as part of The Toyota Way. It has since spread throughout the world and has been applied to environments outside business and productivity.

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  5. shinichi Post author

    2024年7月19日(金)

    日本の肖像

    今週の書物/
    『犬と鬼 – 知られざる日本の肖像』
    アレックス・カー著、講談社、2002年刊

    海外を拠点にしている日本人は、日本を拠点にしている日本人とはだいぶ違う。生活様式が違い、使っている言語が違い、考え方が違い、価値観が違う。

    日本についてもだいぶ違うイメージを持っている。日本にいる日本人が持っている日本のイメージと、海外にいる日本人が持っている日本のイメージは、大きくかけ離れている。

    海外にいる日本人が、日本について語ることは まれだ。ほとんどの人が自分を戒め、語らないよう努力している。だから、日本のことをよく知っている外国人が日本のことを語ると、海外にいる日本人はみんな、複雑な気持ちになる。

    「日本のことを知りもしないで、よくそんなことを言えるなあ」とか「日本って、そんなじゃないよ」とか、ろくに聞きもせず 説明もしないで、いきなり否定する。

    ところが、言っていることが的を射ていたり、話のなかに知らない日本が出てきたりすると、うろたえる。グローバル化が進み、人の交わりが進んでしまえば、「日本人かどうか」「どこに住んでいるか」などということと、日本についてどれだけ知っているかということは、関係がなくなってくる。

    外国人が日本のことを書いた本のなかにも、ほほうと思わず唸ってしまうようなものが見かけられるようになってきた。

    で今週は、日本のことをよく知っている外国人が 日本について書いた一冊を読む。『犬と鬼 – 知られざる日本の肖像』(アレックス・カー著、講談社、2002年刊)だ。『Dogs and Demons: Tales From the Dark Side of Modern Japan』(Alex Kerr著、Hill and Wang、2001年刊)の翻訳なので、読みにくい箇所が多いのだが、日本のことについて書いた本なので、原文ではなく日本語で読むことにした。

    『犬と鬼』という題名は、『韓非子』の「外儲説篇 左上」に出てくる「犬馬難 鬼魅易」という言葉からきている。皇帝の「描きやすいものは何か、描きにくいものは何か」という問いに、宮廷画家は「犬や馬は描きにくい、鬼や魅は描きやすい」と答えた という故事をなぞらえたのだ。

    日本のやり方がうまくいかなくなると、日本の官僚たちは地味に犬を描くことをやめて、国を破産させる勢いで鬼を描きだした。『犬と鬼』という題名は、諸問題の基本的な解決にカネを使おうとせず、モニュメントを作ったりイベントを催すことにカネをつぎ込んできた日本の官僚システムへの、筆者の精一杯の皮肉だったのだ。

    この本でアレックス・カーは、いまの日本には「実」がないという。現代の生け花のように、現代日本のシステム全体に「実」がない。アレックス・カーは、そう言い切る。

    例としてあげられたのは以下のようなものだ。

    • 山河が瀕死の状態になるまで 目的なく進められる土木工事
    • 環境破壊に目をつむり 環境保護に無頓着な環境省
    • 市場に合わない価格が設定され 利潤を生まない不動産
    • 曖昧で 秘密が多く 隠され 改竄され 嘘に満ちた情報
    • 公の資金を必要なところに使おうとしない官僚
    • 人間には適さず、大根には適している野菜専用空港
    • 古きを壊し 暮らしの智恵と伝統的な技術を消してしまう街づくり
    • 周りの環境やニーズと無関係な建造物
    • 借金を返さず 配当がつかない株式市場
    • 粉飾決算と嘘だらけのバランスシート
    • 暗記させるだけの 創造力や分析力とは無縁の教育
    • 就職までのつなぎでしかない 社会から孤立した大学
    • 外国と外国人を閉め出し 外国流を嫌悪する国際化

    それぞれを説明しようとすれば『犬と鬼』一冊になる。

    大きな話題になった『美しき日本の残像』(アレックス・カー著、新潮社、1993年刊)の出版から10年近く経って、アレックス・カーの日本へのスタンスは驚くほど大きく変わっている。

    アレックス・カーの変化の要因のなかでいちばん大きなものは、拠点を移したことだろう。1997年に、日本からタイに移している。その後 バンコクで 『Bangkok Found: Reflections on the City』(Alex Kerr著、River Books Press、2010年刊)という本を出版しているのだが、その本はタイへの愛で溢れている。『美しき日本の残像』のなかの日本への愛が消え、タイへの愛がそれに取って代わったと言えなくもない。

    日本が沈んでゆく嫌な時期に、アレックス・カーも嫌な経験をしたのではないか。そんな想像もしてしまうほど、『犬と鬼』のアレックス・カーは、日本に批判的だ。

    「本書にはどうしても怒りと悲しみの感情が入ってしまっている。なぜなら日本で起きていることはあまりにも悲惨だからだ」と書くアレックス・カーは、この本を書くことが自分の義務だと捉えている。自分が書かなければ、誰も書かない。それを知っているからこその『犬と鬼』なのだろう。

    問題は、「実がない」ことではなく、「アレックス・カーが書かなければ、誰も書かない」ことなのではないか。海外を拠点にしている日本人の多くが、アレックス・カーが問題にしていることに気づいている。私も例外ではない。それなのに、誰も言わないし、誰も書かない。

    そう考えてみると、アレックス・カーが進んで嫌な役割を買って出たのではないかという考えにたどりつく。でも、アレックス・カーが何を書いても、日本は変わらない。日本が急に「実のある」社会に変わったりはしない。

    年度末までに予算を使い切らない公務員は現れないし、土木工事を自ら止める自治体は現れない。旧弊が骨の髄まで染みついた教員が変わるわけはないし、教育のやり方がすぐに変わるはずもない。日本には、変わる要素など何もないのだ。何を言っても、何を書いても、何も変わりはしない。

    それを承知で書いた。不思議ではないか。私なら書かない。変わりはしないことがわかっていて、6年もかかってこんな本を書いたのはなぜか。

    「本来の姿」からかけ離れてしまった日本には、家路を探し求めるという課題がある。そう言って、アレックス・カーはこの本を終わらせている。「本来の姿」にたちかえれば、「強国・貧民」のパラダイムから脱し、「実」を持つようになるとでもいうのだろうか。

    思うに、アレックス・カーの言う「本来の姿」など、はじめからないのだ。日本に必要なのは「本来の姿」にたちかえることではなく、新しい姿を模索することではないのか。

    日本にいれば、火山噴火、地震、津波、台風、洪水、豪雨、豪雪、土砂災害などと共に 生きていかなければならない。と同時に、官僚、政治家、教員、警官、消防士、税務署員、自衛官、医師、看護師、介護士、調理師、栄養士、事務員、販売員、清掃員といった日本人と付き合っていかなければならない。

    日本の自然状況が変わることはない。日本人も変わらない。変わらないなかで、明治時代から続く戦前のパラダイムから脱してゆくのは難しい。民主主義とか人権とかいった戦後に押し付けられた概念から自由になってゆくのはもっと難しい。自分たちに相応しい新しい姿を模索してゆくなんていうことは、夢のまた夢だ。

    そんなことを書いているうちにも、日本は変わっている。いまの若い人たちは、もう以前の日本人ではない。格差が増すことを何とも思わず、結婚や出産を嫌い、個性的であることを避け、思ったことを口にせず、みんなと同じでなければ安心できない若者たちに、明るい未来を期待するのは間違っている。

    最近、日本のことを考えると、とてもネガティブになる。いやな感じだ。この本を読んだのを機に、日本のことを考えるのはやめようと思う。

    これから何年も日本のことを考えなくなったとしたら、いいタイミングでいい本にめぐりあったということになる。いつかこの本に感謝する日がくるのかもしれない。

    **

    今回の文章をこんなふうに終わらせるのは どうにもいやなので、ここに長々と引用を付け加えようと思う。

     日本はいったいなぜこうなってしまったのかと考える時、意外と生け花の世界からひとつの答えが得られる。先日、ある華道家に質問をした。それは長い間、気にかかっていたことだった。昔ながらの生け花と。奇抜な今日のそれとの、真の違いは何なのか。針金やビニールの使用、花と葉がホッチスで留められ、折り曲げられるよう、マニュアルで示されたX度の角度などを私は変に思うが、ある意味でこれらはすべて伝統に由来するものなのだ。ではその決定的な違いとは。友人の答えは、現代の生け花には「実がない」というものだった。伝統的な生け花には宗教上あるいは儀式という目的があった。昔の人々は自然の神秘に尊敬の念を持っていた。宇宙の創造力にあふれた息吹を見出し、応えるための手段として生け花を用いたのだ。しかし今日、それも失われ、単なる飾り物としての目的しか持たず、植物や花そのものの本質を問うことはない。代わりに、花は生け手の気まぐれなニーズに応えるためだけに使われる、ビニールや針金などの材料と、ほとんど変わらない「素材」として扱われている。要するに「実」もなければ精神的な目的もなく、自然が本来持つ力に通ずるものも何もない、ただ空っぽなデザインなのだ。
     華道家のコメントは問題の核心をつくものであった。というのも、「実」がないというのは現代日本のすべての事柄にも言える。土木工事(目的もなく進める)、建造物(周りの環境とニーズに無関係)、教育(歴史や方程式を暗記させ、独自の創造力や分析力を教えない)、街並み(古きを壊す)、株式市場(配当を払わない)、不動産(利潤を生まない)、大学(就職までのつなぎ・社会に貢献しない)、国際化(世界を締め出す)、官僚制(真のニーズに関係ないところで金を使う)、企業のバランスシート(粉飾決算)、環境省(環境保護に無頓着)、薬品(テストされていない模倣薬)、情報(曖昧、秘密、嘘)、空港(人間に適さず、大根には適す)― 体系全体に「実」がないのだ。
     日本のものごとのやり方と、現代生活との間には、内外を問わず予想をはるかに超えたギャップがあるとしか言いようがない。だから、私は日本を近代化に失敗した例であると申し上げている。手の込んだ「鬼」のモニュメントは、「実」の重みに対する一種の防護壁なのだ。しかし、最後には「実」が勝つ ― それでも地球は太陽の周りを回るから。

    そう、アレックス・カーは日本をよく知っていた。そして日本が好きだった。そんな人を日本から遠ざけたのは、変わってしまった日本なのだ。「本書にはどうしても怒りと悲しみの感情が入ってしまっている。なぜなら日本で起きていることはあまりにも悲惨だからだ」と書かせたのは、いまの日本なのだ。

    ただ ただ 悲しい。

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  6. Pingback: めぐりあう書物たちもどき | kushima.org

  7. Grief

    Netflix
    “Good Grief “
    Don’t cover avoid feelings
    Let all kinds of grief
    turn into a Good Grief

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