ウクライナ大統領選挙

2004年ウクライナ大統領選挙(西部の親欧米派が勝利)

2010年ウクライナ大統領選挙(東部の親露派が勝利)

2014年ウクライナ大統領選挙(東部ドネツク、ルガンスク両州の4分の3の地域では投票が行われず、クリミア半島では投票所が設置出来なかった)

2019年ウクライナ大統領選挙(クリミア共和国・セヴァストポリ連邦市と、ドネツィク州とルハーンシク州の一部で投票が行われなかった)

One thought on “ウクライナ大統領選挙

  1. shinichi Post author

    2004年ウクライナ大統領選挙(西部の親欧米派が勝利)
    レオニード・クチマ大統領の任期満了に伴い行われた。
    当初、決選投票により親露派の与党ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ首相が当選とされた。しかし、親欧米派の野党「我らのウクライナ」の指導者ヴィクトル・ユシチェンコ元首相の陣営はこれに反発、与党陣営が不正を行ったとして勝利宣言。以後、野党支持者によるデモや政府施設への包囲が続き、同国内は混乱状態に陥った(オレンジ革命)。親欧米感情が強い西部が野党支持で、親露感情の強い東部が与党支持。一時は分裂の危機さえあった。
    同年12月26日に実施された再決選投票でユシチェンコ元首相の当選が確実になる。翌2005年1月23日にユシチェンコ元首相は最高会議で宣誓し、大統領に正式に就任した。

    2010年ウクライナ大統領選挙(東部の親露派が勝利)
    第1回の投票は2010年1月17日に行われ、前首相で地域党の党首である親露派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチが1位、首相である親欧米派のユーリヤ・ティモシェンコが2位となった。同年2月7日に決選投票が行われ、ヤヌコーヴィチがティモシェンコに勝利した。

    2014年ウクライナ大統領選挙
    元々は2015年3月29日に行われる予定であったが、2014年ウクライナ騒乱により親露派ヴィクトル・ヤヌコーヴィチ政権が崩壊したため、前倒しで行われることとなった。決選投票を待たずして、親欧米派でウクライナ南部・クリミア半島の編入を認めない元外相のペトロ・ポロシェンコが大統領が過半数の票を得て当選した。2位も親欧米派のティモシェンコ元首相で約13%、ロシア寄りのチギプコ元副首相(54)は約5%で5位にとどまった。親露派武装勢力が投票所を襲撃し、国外からの選挙監視員や記者団が泊まるホテルを占拠や投票所に火炎瓶が投げ込まれる事件が発生した。そのため、東部ドネツク、ルガンスク両州では投票所が34選挙区域のうち9つの選挙区域にとどまり、ロシアが実行支配下に置いたクリミア半島では投票所が設置出来なかった。

    2019年ウクライナ大統領選挙
    第1回投票が3月31日に行われたが、いずれの候補者も当選に必要な過半数の得票を獲得できなかったため、4月21日に決選投票が行われ、大統領の役で出演したドラマが大ヒットしたことを受けて、大統領選挙に立候補すると若者を中心に幅広い支持を集め、ヨーロッパとの統合路線を訴える一方でロシアとの対話も重視する姿勢も示したウォロディミル・ゼレンスキーが73.22%の得票率で対露強硬派として知られた現職大統領のペトロ・ポロシェンコを破り当選した。ゼレンスキーは同年5月20日に大統領に就任した。

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