2 thoughts on “1815年

  1. shinichi Post author

    ウィーン会議

    https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィーン会議

    ウィーン会議(Congress of Vienna)は、1814年から1815年にかけて、オーストリア帝国の首都ウィーンにおいて開催された国際会議。

    オーストリアの外相クレメンス・フォン・メッテルニヒが議長を務め、ヨーロッパ諸国の代表が集った。会場はシェーンブルン宮殿。

    ウィーン会議は、フランス革命とナポレオン戦争終結後のヨーロッパの秩序再建と領土分割を目的として、オスマン帝国を除く全ヨーロッパ各国代表が集まり、1814年9月1日から開催された。

    会議を主導したのは議長国オーストリアのほか、イギリス、プロイセン、ロシアである。中でも議長メッテルニヒとイギリス代表カースルレイが中心的な役割を果たした。この会議には、ナポレオン戦争に敗れたフランスも招待されており、その代表タレーランも会議において活躍した。

    1792年より以前の状態に戻す正統主義を原則としたが、各国の利害が衝突して数ヶ月を経ても遅々として進捗せず、「会議は踊る、されど進まず」と評された[2][3]。しかし、1815年3月にナポレオンがエルバ島を脱出したとの報が入ると、危機感を抱いた各国の間で妥協が成立し、1815年6月9日にウィーン議定書が締結された。このウィーン議定書により出現したヨーロッパにおける国際秩序は「ウィーン体制」とよばれる。

    **

    この会議で、スイス連邦は、ジュネーブ、ヴァレ、ニューシャトルなどを取り戻し、永世中立国となることを、承認された。

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  2. shinichi Post author

    (sk)

    古地図

    1815年の地図を画面上に広げる
    フランスがある スペインがある ポルトガルがある
    デンマークがある ノルウェーがある スウェーデンがある
    イタリアには たくさんの国がある
    ドイツにも たくさんの国がある

    イギリスがある でも アイルランドはない
    オランダがある でも ベルギーはない
    ロシアはある でも ウクライナはない
    オットマンはある でも ギリシャはない

    スイスがある
    1815年のウィーン会議で
    永世中立国として承認されたという

    200年のあいだに 変わったことがあり
    200年経っても 変わらないことがある

    気になって 別の1815年の地図を広げてみる
    すると ビックリしたことに 別の世界が見えてくる
    別の境界線 そして別の国

    何を信じればいいのだろう
    誰を信じればいいのだろう

    Reply

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