エマニュエル トッド(2)

麻薬中毒、自殺、アルコール中毒。
自由貿易と規制緩和の効用についての議論は、もはや「これにて終了!」である。

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  1. shinichi Post author

    「米国社会について真実を言っていたのはトランプのほうだった」エマニュエル・トッド見抜いた「トランプ支持者の合理性」

    『我々はどこから来て、今どこにいるのか?』 #2

    by エマニュエル トッド

    https://bunshun.jp/articles/-/58485

    トランプへの投票の合理性

     グローバリゼーションは、そもそも米国に先導され、管理され、当然米国に利益をもたらしていると思われていたのだが、その発展の果てに、ほかでもない米国の住民たちのただ中にまで、過剰な経済的不平等と社会的不安定を発生させた。かくして、バーニー・サンダースやドナルド・トランプの保護主義を選好する方向への逆転が起こるための必要かつ充分な条件が満たされたのだった。

     成功したトランプの擡頭のみならず、阻止されたバーニー・サンダースのそれをもよく理解するために、われわれはまず、アメリカが国外に対して相対的に閉鎖的だった1930年代初頭から、貿易と移民に最大限に門戸を開いている昨今の状況まで、どのような歴史的プロセスを辿ってきたのかを瞥見しておかなければならない。

     南北戦争の終結から1929年の危機まで、米国の経済的離陸は、高い関税障壁に護られた中で実現したのだった。1930年代初頭、課税輸入品の課税率は平均50%だった。1934年になって初めて、フランクリン・D・ルーズベルト大統領の下で、貿易の門戸が開かれ始めた。

     当時の関税率は、課税品も非課税品も一緒にして平均すると18.4%であった。それが2007年、ちょうど金融恐慌〔日本では「リーマンショック」と呼ぶことの多い国際金融危機〕にさしかかる頃には、1.3%という低水準にまで下がっていた。

     米国は、1970年代の初めにはすでに構造的な貿易赤字を抱えるようになり、以来今日まで、その状態から脱け出たことがない。つまり、当時からずっと、米国は全世界の主要で中心的な消費市場として、ケインズ経済学でいう世界総需要を調整する機能を担ってきたのである。しかし、早くも1970年代の終わり頃には、国内自動車産業が凋落するなど、産業危機が到来していた。ところが、まさに同じ時期に、新自由主義の政策が加速的に実施された。

     レーガンが1980年に大統領に選出され、さらに1984年の大統領選では民主党候補ウォルター・モンデールの挑戦を歴史的な大差で退け、悠々と再選された。この折、モンデールは選挙キャンペーンで保護貿易を唱えていた。当時の民主党は、まだ昔どおり、白人も黒人もひっくるめた労働者階層の代表として振る舞っていたのである。勝ったレーガンが打ち出していたのは、黒人を厚遇し過ぎるというイメージの定着した福祉国家に対して宣戦布告し、福祉政策に敵対する反連邦税的アイデアをうまく混ぜ合わせた政策だった。

     輸入が伸び始めたのは、1960年代に入ってからだった。当時、「1965年の移民および国籍法」〔別名、ハート=セラー法〕が、1924年以来かなり厳重に制限されていた移民への門戸をふたたび開いた。これを機に、経済的に安全でないと感じていた米国人の心に、国境も安全ではないという新たな感情が加わった。

     1960年には、人口1億8100万人のうち、外国生まれが970万人で、総人口の5.4%であったが、それが推移して、2013年には、人口3億1500万人のうち外国生まれが4130万人で、総人口の13.1%を占めるという状況になった。2009年頃には、不法移民──主にヒスパニックである──の数が1000万人と見積もられた。実際、オバマ大統領時代のアメリカは、哲学者カール・ポパーのいう「開かれた社会」として描ける社会であった。

     1980年から1998年にかけての米国を振り返ると、第一に、いわゆる格差拡大のすさまじい勢いに目を奪われる。それでもこの間、世帯所得の中間値は、4万8500ドルから5万8000ドル(2015年時点のドル換算)へと上昇した。この上昇は、個人の給与額が上がった結果というよりも、世帯収入への女性たちの貢献の結果だった。当時、女性が大勢労働市場に参入し、共働き世帯の数を大きく増やしたのである。

     1999年~2015年は、米国にとって、経済的自由主義の推進が絶頂に達するとともに、グローバリゼーションに起因する危機が始まった時期だった。2001年12月に中国が世界貿易機関(WTO)に加盟し、中国は、米国で中国製品に課せられる関税が再上昇するという脅威から解放された。たちまち現れた結果は、米国の産業危機の加速だった。国内の製造業はぶん殴られたも同然だったからである。

     1965年から2000年まで、米国の第二次産業の被雇用者人口は、相対的には減少しつつも、絶対値では1800万人前後で横ばいに推移し続けた。ところが、2001年3月から2007年3月に到る期間には、その数値が18%下降した。

    国際金融危機は本当に終わったのか?

     格差拡大がまた始まった。1999年から2015年にかけて、米国の世帯所得の中間値は、2013年と2014年にわずかな上昇が見られたものの、5万8000ドルから5万6500ドルへと低下した。

     この途中に金融恐慌があったわけだが、あの国際金融危機は本当に終結へと導かれたのかどうか、よく分からない。なにしろ、2009年に10%にまで上がった失業率が、2016年初めには5.5%にまで下がったのは事実だが、人口に占める被雇用者率は、危機の前には63%だったのに、60%を少し下回る水準で止まってしまっている。

     2000年代初頭に米国の人びとが感じていたストレスの大きさを理解するためには、さまざまな経済的データや所得額の領域の外へ出なければならない。実際、「自由貿易をやめたら物価がもっと高い水準にとどまるので、消費者が商品を買えなくなってしまうのですよ」と、わずかな謝金で難なく教え諭してくれるノーベル経済学賞受賞者のたぐいは、いつだって見つけることができるのだ。しかし、消費者が買えるか、買えないかではなく、死んでしまうのだとしたら、果たしてどう考えるのか。

     人口学者の判断は決定的である。アン・ケース〔米国の医療経済学者、1958年生まれ〕とアンガス・ディートン〔英米国籍の経済学者、2015年ノーベル賞受賞。1945年生まれ〕が2015年12月付のジャーナルに発表した共著論文が、1999年から2013年までに、45歳から54歳までの年齢の白人住民の死亡率が上昇していたことを明らかにした。このような死亡率上昇は、世界中の他の先進社会にも類例がない。

    白人の主な死亡原因は…

     主な死亡原因は、グラフ14─2が示すように、明らかに社会心理的なものである。

     すなわち、麻薬中毒、アルコール中毒、自殺。したがって、自由貿易と規制緩和の効用についての議論は、もはや「これにて終了!」である。成人死亡率のこの上昇が示唆するものこそが、2016年にドナルド・トランプがまず共和党の大統領候補者に指名され、次に大統領に選出されるという事態を可能にしたのだと、私には思われた。奇しくもかつて私が、1970年~1974年のソ連の乳幼児死亡率の上昇に注目した結果、早くも1976年の時点で、ソ連システムの崩壊を予想することができたのと同じように。

     その後、2016年11月に発表されたジャスティン・ピアース〔経済学者、貿易問題等を研究〕とピーター・ショット〔米国の国際経済学者、貿易問題等を研究〕のジャーナル論文が、米国各地の郡のレベルで、中国との貿易自由化と死亡率上昇の間に確乎とした統計学的関係があることを明らかにした。

     実際、産業面で中国製品の競争力に直接的に晒された郡では、死亡率が独特の形跡を残して上昇したのだった。彼らの分析結果によれば、最も意味深い死因は麻薬中毒よりも、むしろ自殺一般であるようだ。なお、J・ピアースとP・ショットの論文は、倫理的含意によっても読者を惹きつける。自由貿易の効用を公にアピールする共同嘆願書などに署名する経済学者たちが犯罪者に相当することを暗示し、その責任について、過去にさまざまな市民グループがたばこメーカーや製薬会社を相手取って訴訟を起こしたのと同じような手法での告訴の対象になり得ると見做しているのである。

     A・ケースとA・ディートンの論文で分析されている死亡数増加の分布は、教育による階層化を反映している。その増加は、中等教育またはそれ以下しか享受していない白人の米国人に集中しているのだ(10万人当たり134.4人増)。高等教育課程の途中まで就学した者の死亡率は横ばいであり(3.3人減)、高等教育を修了した「大卒」カテゴリーの死亡率は少し下降している(57.0人減)。

     しかし、だからといって高等教育享受者の幸福度を誇張するのは控えよう。やはりここでは──私がしばしば述べている方針と逆のように見えるかもしれないが──経済学的データに立ち帰るべきだ。所得推移の比較分析は、学歴による優位性が相対的なものでしかないことを示唆している。

     2000年~2016年に起こった推移をよく理解するには、次の事実をつねに意識していることが重要だ。死亡率上昇のような種類の劇的変化が白人米国人の最低学歴層において特に目立つとしても、経済の推移は、高等教育修了者たちにとっても、もはや本当には恵まれたものでなかった。実際、2000年以来、グラフ14─3が示すように、彼らの世帯の平均所得は年々横ばいだったのである。

    「社会的転落から身を守る術」と化した高等教育

     この頃から高等教育は、社会的上昇への道であるよりも、社会的転落から身を護るものとなっていた。そして実際、それこそが、学生生活を長く続けようとする志向が近年復活してきていることの原因なのだ。

     背景には、知的な解放や自己実現への意欲よりも、むしろ身の安全を追求する心理が垣間見える。長期就学を支える財政手段を教育ローンに頼るケースがますます増える以上、累積する負債が将来の所得を減じる役割を果たすにちがいなく、経済的に恵まれない家庭出身の高等教育修了者たちは、悪くすれば何らかの形の経済的隷属に追い込まれかねない。こうなるとどうしても、昔の年季奉公人(indentured servants)の身分に思い到らざるを得ない。彼らは、米国がまだ植民地だった時代に、欧州から大西洋の向こうへ渡るための渡航費用を、何年もの「奉公契約」を結ぶことで捻出したのだった……。

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     経済学者たちの不思議な魔法の世界から外へ出てくると、ドナルド・トランプの大統領選勝利という現象を理解することができる。ヒラリー・クリントンと彼の間で交わされた数々の侮辱と嘘をもってしても、次の事実を覆い隠すことはできない。ふつうの有権者の視点から見て、米国社会について真実を言っていたのはトランプのほうだったのだ。

     実際彼は、『THE TRUMP──傷ついたアメリカ、最強の切り札』の中で、米国社会が苦しんでいる姿を描いていた。その時、他方の民主党陣営は、アメリカとその「諸価値」──寛容性、開放性──の永遠の卓越を讃えていたのである。

     トランプへの投票の社会学的・人口学的構造はこの診断を裏書きし、グローバリズムというイデオロギーから離脱する時点での米国のメンタリティの様態を、まさにX線で撮影したかのようにまざまざと映し出してくれる。

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