蓮如

夫、人間の浮生なる相をつらつら観ずるにおほよそ、はかなきものは、この世の始中終まぼろしの如くなる一期なり。されば、いまだ萬歳の人身を、うけたりといふ事を、きかず。一生すぎやすし。いまにいたりて、たれか百年の形體をたもつべきや。我やさき、人やさき、けふともしらず、あすともしらず。をくれ、さきだつ人はもとのしづく、すゑの露よりも、しげしといへり。
されば、朝には、紅顔ありて、夕には、白骨となれる身なり。すでに、無常の風きたりきぬれば、すなはち、ふたつのまなこ、たちまちにとぢ、ひとのいき、ながくたえぬれば紅顔むなしく變じて、桃李のよそほひを、うしなひぬるときは、六親眷属あつまりて、なげきかなしめども、更に、その甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外にをくりて、夜半のけぶりと、なしはてぬれば、たゞ白骨のみぞのこれり。あはれといふも、中々おろかなり。
されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかひなれば、たれの人も、はやく後生の一大事を、心にかけて、阿弥陀仏を、ふかく、たのみまいらせて、念仏まうすべきものなり。あなかしこあなかしこ。

2 thoughts on “蓮如

  1. shinichi Post author

    白骨 (御文)

    ウィキペディア

    https://ja.wikipedia.org/wiki/白骨_(御文)

    浄土真宗本願寺八世蓮如が撰述した御文の5帖目第16通「白骨」は、御文の中でも特に有名なものである。存覚の『存覚法語』を基に作られている。

    この御文は宗派により呼び方が異なる。

    • 本願寺派 – 「白骨の御文章(ごぶんしょう)」
    • 大谷派 – 「白骨の御文(おふみ)」
    • 興正派 – 「白骨の御勧章(ごかんしょう)」

    この御文は浄土真宗の葬儀(灰葬 還骨)で拝読される。

    大意

    今日・明日の事しか考えない人々の姿を見て考えると、人の生涯は儚いものであります。まるで幻のようなものです。今は元気でも、次の瞬間には死んでしまうかもしれない。死は、年齢を問いません。だから、その日暮らしの生活ではなくて、これからの生き方を考えてください。それには阿弥陀仏に深く帰依し、称名念仏をするべきであります。

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