世間(佐藤直樹)

日本には1200年の歴史がある「世間」という人間関係があり、目に見えない守るべきルールがある。その中で一番重要なこととして「人に迷惑を掛けるな」というのがすり込まれている。

4 thoughts on “世間(佐藤直樹)

  1. shinichi Post author

    バッシングに「お墨付き」与えた行政 昼カラ、パチンコ店…娯楽が標的 背景に日本人特有の同調圧力か

    東京新聞

    https://www.tokyo-np.co.jp/article/223177

    <コロナ8つの波~あれはどうなった?~第2波>

     2020年1月に始まった日本での新型コロナウイルス感染流行。まもなく丸3年というこのコロナ禍は、現在を含め大きく8つの感染大流行期、すなわち「波」となって日本社会を襲い、人命や健康を損なわせ、生活や人々の意識を大きく変えた。それぞれの波を振り返り、当時騒がれたことの実相と今に残る課題を探ってみた。(文中敬称略、山田祐一郎)

    第2波 2020年7〜10月。全国の感染者数のピークは8月7日の1597人。大阪府知事の吉村洋文は会見で市販のうがい薬を示し、新型コロナ感染拡大防止に効果があるとして、発熱症状のある人らにうがいを呼びかけた。これを受け、商品は店頭から消えた。感染症の専門家からは「エビデンスがない」との批判が上がった。

    ◆「われわれも被害者。なぜ昼カラだけが…」

     昨年12月上旬の昼下がり、千葉県佐倉市内のカラオケ喫茶では、換気のため半開きになったドアからわずかに音楽が漏れ聞こえていた。店内では、10人近い中高年がカラオケを楽しんでいた。いわゆる「昼カラオケ(昼カラ)」だ。客同士が間隔を空けてソファに座り、順番に奥のステージでマイクを握った。

     2020年8月、県はこの店を含む昼カラ5店舗でクラスター(感染者集団)が発生したと店名入りで公表。40人近い感染が判明した。感染者で複数の店に通う愛好家がおり、感染が拡大したとみられている。

     同店では、ステージにビニール製シートを張り、他の客は数メートル離れた場所から拍手する。2年前から変わっていない。「感染対策はしていた。別の店で感染した人に持ち込まれた」と経営者の女性(74)が話す。だが、同店でのクラスターが報じられると、付近の飲食店では同店の利用客の出入りを禁じる張り紙をされた。「張り紙をした飲食店でも感染者が出ていたのに」と女性は漏らす。

     昼カラが取り沙汰されるようになったのは、同年6月に北海道小樽市が昼カラ店を名指しして休業を求めたのがきっかけだ。昼カラは、スナックや喫茶店が日中にカラオケを提供するのが一般的で、飲食と歌い放題が付いて1000〜2000円と安価で楽しめる。地域の高齢者らの憩いの場となってきた。

     「地域のためにやってきたが、いまも客はコロナ前の3分の1程度。毎月20万円の赤字でどこまで続ける必要があるのか」と話すのは、クラスターが発生した佐倉市の5店舗のうち別の店の男性経営者(78)。この店でも当時からステージをシートで囲い、空気清浄機4台を稼働させていた。

     5店舗のうち2店舗は廃業した。男性は「われわれも被害者。感染やクラスターはほかにもあるのになぜ昼カラだけ注目されたのか」と話す。

     特定業種へのバッシングは第1波でも目立った。最たる例がパチンコ業界だ。

    ◆クラスターもリスクもほぼなかったのに

     20年4月、大阪府知事の吉村洋文は、緊急事態宣言に基づき、休業要請に応じないパチンコ店の名前を全国で初めて公表した。各業種への休業要請後、営業中の店についての通報が府に寄せられたが、7割はパチンコ関連だったためといい、「人命を優先する結果だ」と説明した。その後、多くの自治体が追随した。
     横浜市内のパチンコ店も神奈川県に店名を公表された。経営者の50代男性は「なぜ休業しなければならないのか、理由を聞いても納得できる答えがなかった」と振り返る。

     「営業してますか」。同県内で緊急事態宣言が出された後も営業を続けていると、まず警察から連絡があった。住民からの通報が寄せられたためという。同年4月下旬、訪れた県職員に休業を求められた。最終的に休業に応じたが、全ての日で休業したわけではないとして店名公表になった。
     当時、パチンコ店でクラスターが発生したという情報はなかった。店内では客同士は話さず、飲食もしない。同店では空気は4分間に入れ替わるよう換気されている。「そもそも感染のリスクがほとんどない。カラオケや飲食店とは違う」と強調する。

    ◆「根底に業界への偏見」一つの正義が暴走

     帝国データバンクの調査によると、20年はパチンコ店を運営する全国約1700社の約8割が、コロナ禍前の19年から減収となった。男性の店も売り上げは現在も19年の半分ほどまでしか回復しておらず、業種転換も検討している。
     「パチンコ店がやり玉に挙がるのは毎度のこと」と男性。東日本大震災の際、節電を巡って当時、東京都知事だった石原慎太郎は大量消費業種としてパチンコ業界を名指しで批判した。男性は「根底には業界への偏見がある。休業要請と店名公表に科学的根拠はなく、その後の補償も検証も全くない」と語気を強める。

     コロナ感染拡大の最初期、特定業種や感染患者に批判的な視線が投げかけられた。これらのバッシングにお墨付きを与えたのが行政の判断だろう。当時、各地の知事がこぞって強力なコロナ対策を打ち出した。市長が営業中のパチンコ店を訪れて直接、休業を求めるパフォーマンスもあった。

     「何の落ち度もなく、突然、休業を求められた店舗は本来、被害者であるにもかかわらず、加害者にされてしまった」と話すのは、元千葉県我孫子市長で中央学院大教授(地方自治)の福嶋浩彦だ。「当時は、科学的な知見が十分でなく、疑わしいものを規制すること自体は必要だった」とする一方、「コロナ感染防止が社会の唯一の正義になり、自粛競争、相互監視社会の中、同調圧力と排除が生まれた」と指摘する。

     行政を監視するべき議会が機能したとも言い難い。「地方議会は『もっとやれ』というだけで、行き過ぎによって困っている人の声を届けることができたのか」と反省を促す。

    ◆危機の名の下に人権が押しつぶされる

     批判のターゲットとなったのは夜の街も同様だ。20年7月、官房長官だった菅義偉はテレビ番組でコロナの感染源として接待を伴う飲食店を挙げて「警察が足を踏み入れ、根源を一つ一つつぶしていく」と発言。その後、東京都が風営法に基づく調査を実施した。

     九州工業大名誉教授(世間学)の佐藤直樹は「みんな同じという意識が一気に噴き出して凶暴化し、もともと根底にある差別意識が特定業種へのバッシングにつながった」と説明する。不要不急の外出が制限される中、娯楽であるパチンコや昼カラ、夜の街が標的になったとみる。

     背景にあるのは日本人特有の気質だ。「日本には1200年の歴史がある『世間』という人間関係があり、目に見えない守るべきルールがある。その中で一番重要なこととして『人に迷惑を掛けるな』というのがすり込まれている」。欧米が命令と罰則でコロナに対処したのに対し、日本は世間の目による自粛と要請に頼った。「行政のやり方は無責任だ」と批判する。

     同調圧力が強まる状況を精神科医の和田秀樹は「危機の名の下に人権が押しつぶされることへの危機感が足りない」と危ぶむ。営業や移動の自由は誰にでも認められた基本的な権利だ。「一人も死なせてはならないという幻想が、パチンコや飲食店、劇場など特定の文化を壊してもいいという過剰な反応につながった」

     日本では、ハンセン病など感染症への差別がもともと強いという。「建前では差別を否定していても一度、たたいていいと認定された場合のたたき方が尋常じゃない。それだけ多くの人に未知のウイルスへのストレスがあったのだろう」と説明する。

     不安をあおって国民感情を一方向に向けるのは、政府が軍事危機を強調して防衛費増額に突き進む現状とも合致するとし、こう指摘する。「不安によって妥当でない判断をしてしまうことを多くの人が自覚していない。冷静な結果予測や統計に基づく判断が求められる」

    ◆デスクメモ

     元日、近くの寺に初詣に行った。境内には露店が軒を連ねていた。焼き鳥の店のテントはほぼ満席。10人ほどがさほど離れずに酒食を楽しんでいた。季節は違えど、第2波なら「不要不急」と非難される状況かも。適度な対策とは。首長らの言動を含め、検証が不足していないか。(北)

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  2. shinichi Post author

    「法律」より「空気」を重視、「世間」がつくる日本の謝罪圧力

    by 大竹剛

    https://business.nikkei.com/atcl/gen/19/00212/120200002/

    新型コロナウイルスの感染拡大で「同調圧力」が高まっている――。そう警鐘を鳴らすのは、「世間学」が専門で九州工業大学名誉教授の佐藤直樹氏だ。前回の記事「新型コロナで同調圧力が上昇? 一触即発で『謝罪』の窮地に」でも書いたように、「自粛警察」などとして顕在化した同調圧力の高まりは、個人や企業に対する「謝罪圧力」にもなるという。佐藤氏はその背景に、日本独特の「世間」があると分析する。

    佐藤さんは、コロナ禍でさらに同調圧力が高まったと主張されています。そもそも、日本は同調圧力の高い社会だった分析していますが、どういうことでしょうか。

    佐藤直樹氏(以下、佐藤氏):コロナ禍で、日本の同調圧力の強さが誰の目にも見える形で顕在化したと思います。日本では、職場で誰かが残業していると帰りにくいといった意識が以前から強いですよね。それが、コロナ禍で誰が感染しているかよく分からないという状況になり、お互い疑心暗鬼になって、「自粛警察」のような形で現れたということです。

     海外ではロックダウンなど「命令」と「処罰」によって感染拡大を食い止めようとするケースが多いですが、日本では強制力を持たない「自粛」と「要請」によって、これまで感染拡大を抑え込もうとしてきました。つまり、法的な強制力のない周囲の圧力によって、命令と処罰による感染拡大防止策と同じような効果をもたらしてきたわけです。

     海外でなぜ、命令と処罰という強硬な手段が必要かというと、端的に言えば人々がなかなか言うことを聞かないからです。イタリアの刑務所で訪問者との面会を禁止するといった感染拡大防止策に反発する暴動が起きたり、その他の国でもロックダウンやマスク着用に反対するデモが起きたり、日本とは状況が全く違います。

     こういう危機の状況ですからどの国でも同調圧力はあったと思います。しかし、日本ではそれが異様なほど強かったということです。

     東日本大震災のとき、警察がまともに機能しなくなった被災地でも暴動や略奪が起きなかったですよね。一方、海外では災害などで警察が機能しなくなると、すぐに暴動や略奪が起きる。日本でそれが起きないのは、警察という法のルールが十分に適用されない環境でも、法以外のルールにがんじがらめになっているからです。

     それと同じ状況が、今回のコロナ禍でも起きたわけです。法で縛られていなくても、「世間」の目によって似たような効果が発揮された。

    佐藤さんは「世間」というキーワードを重視しています。ここで言う「世間」とはどのようなものですか。

    佐藤氏:日本人の多くが、「ここから排除されたら生きていけない」と思っている世界です。世間から排除されることが、自分にとって一番怖いことだと思っている。

    法律で罰せられることよりも恐れている?

    佐藤氏:法律を犯すのはものすごく悪いことで、罰せられるのは当然ですが、それ以前に、暗黙の世間のルールが山のようにあって、がんじがらめになっているんです。これが、他の国とは大きく違うことだと思います。

     世間のルールはものすごくたくさんあるのですが、いくつか重要なものをあげてみましょう。

    お願いします。

    「既読スルー」がなぜ問題とされるのか

    佐藤氏:1つ目は「お返しルール」です。誰かから贈り物をもらったら、必ずお返しをしますよね。お中元も年賀状もメールも、みんなお返しをするものだという意識が刷り込まれています。

     例えば、LINEで「既読スルー」が問題になるのは、この世間のルールがあるからです。「送ったメッセージを見ているんだったら返信しろよ」となるわけです。それができない人は世間の常識、つまり「お返しルール」を理解していない人だというような人格評価がされるわけです。

     ⽇本ではお返しをしないと「KY」、つまり「空気を読めない」と⾮難されます。しかし、欧⽶ではそうした感情はあまり見られません。欧⽶なら「KY」は「空気読め」ではなく、むしろ「契約書を読め」といった意味になるでしょうね。世間というような暗黙のルールではなく、法律や契約など明確に定められたルールがより優先されるという意味で。

     2つ目は「身分制ルール」です。日本では、先輩・後輩といった上下関係が重視されますよね。

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  3. shinichi Post author

    日本世間学会

    https://www.sekengaku.org/

    日本が「封建制」を脱し「近代化」がはじまってから、およそ100年以上がすぎた。わが国においては、もともとSocietyの翻訳語であった「社会」という言葉がふつうにつかわれるようになった。

    しかし依然としていまでも、なにか不祥事があった場合のお詫びの言葉は、「社会に迷惑をかけて申し訳ない」ではなく、「世間に迷惑をかけて申し訳ない」である。阿部謹也さんが鋭く指摘するように、わが国には世間は存在しても「社会」は存在しない。

    つまり私達は、いまだ世間を離れては生きてゆけないような存在である。

    「社会」を対象化し、学問として語ることはできても、年賀状を出したり、お中元やお歳暮をすることの意味に思いを馳せる人間がどれほどいるだろうか。

    考えなければならないことは、わが国の「社会」の解明にとって、世間の解明が前提であるということである。世間はわが国では「隠された構造」としてあるが、しかし、それは依然として「謎」のままになっている。

    日本には「社会」にかんする学会は存在しても、世間にかんする学会は存在しない。

    この不思議さは、学問がもともと西欧からの輸入品としてのみ展開されてきた事情を考えあわせても、世間をきちんと対象化し、それを冷静に論じてゆくことがたいへんむずかしいことを意味している。

    この「隠された構造」に光をあてるのが、この学会のさしあたりの目標である。大事なことは、それが同時に、自らが存在する「基盤」(実存)をゆりうごかすことになるということである。

    学会のさしあたりの目的を最大公約数的にいえば、以下のようになろう。もちろん、このような方向は固定的なものではなく、ひとつの暫定的な「網打ち」にすぎないし、各自さまざまな読みかえが可能であるし、読みかえてほしい。

    哲学、法学、言語学、歴史学、経済学、経営学、精神医学、文化人類学などあらゆる西欧 から輪入された学問領域を、世間という観点から批判的に見直す学会をめざす。
    細分化されタコツボ化された学問領域や、(学会という世間の)つまらぬしきたりなどといった、いわゆる「アカデミズム」にとらわれない「出入り自由」な学会をめざす。つまりゆるやかであたらしい「知のネットワーク」をめざす。
    なによりも大事なことは、「隠された構造」である世間を対象化すること。つまり自らの存在(実存)を対象化しうるような内容をめざす。

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  4. shinichi Post author

    「世間教」と日本人の深層意識 ―みんな一緒でラクがいい

    by 佐藤直樹

    日本人は無宗教といわれるが、じつは「世間」を信仰する「世間教」の信者である。他人に迷惑をかけないよう気遣い、なにかしてもらったらお返しを忘れない。非常時に暴動も略奪も起きず、一致団結して粛々と行動する。こうした日本人のプラスが、マイナス向きに発揮されるとどうなるか。他人を監視し同調圧力をかけるコロナ禍の自粛警察、ルールに従わない者は村八分、つねに見返りを要求し、「出る杭は打たれる」で成功者をねたみ、足の引っ張り合いがはなはだしい。学校の中にも世間教がはびこり、いじめはその典型である。

    なぜこうなのか、本書では「世間教」のしくみや構造を、身近な事例で読み解いていく。世間教には4つの教義(お返し・身分制・みんな一緒・呪術性)があり、葬式の後に塩をまくなど、それらは日常深く組み込まれている。キリスト教支配がなかった日本には個人・社会・公共が存在しない。法のルールではなく世間のルールで動いている等々、なるほどとうなずける面白さ。世間はなくならないので、世間教と距離をとってうまくやる方法も提案する。

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