田中淳夫


「日本の林業は成長産業である」。
最近よく耳にする言葉です。その証左はどこにあるのでしょうか。そしていま、日本の林業現場で何が行われているのでしょうか?
補助金漬け、死傷者続出、低賃金、相次ぐ盗伐、非科学的な施策……。林業の現場には時代遅れで、悲惨な現状が隠されています。
若者の就労者が増えたことで、成長産業と期待されている日本林業。しかし、その実態は官製成長産業であり、補助金なくしては成り立たない日本の衰退産業の縮図といえます。

3 thoughts on “田中淳夫

  1. shinichi Post author

    絶望の林業

    by 田中淳夫

    30年にわたり森林ジャーナリストとして日本の森、林業にかかわってきた田中淳夫だからこそ書けた、林業業界の不都合な真実に鋭く切り込んだ問題作。

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  2. shinichi Post author

    私は、このところ「絶望の林業」という言葉をよく使うようになった。日本の林業の抱える問題を一つ一つ確認していくと、前途洋々どころか絶望してしまうからだ。

    日本の林業には多くの障害がある。私は、それらの問題点に対して、どうすれば解決するか、という視点でこれまで見てきた。しかし知れば知るほどさまざまな要因でがんじがらめになっており、最近は「何をやってもダメ」という気持ちが膨らみつつある。近年の林業界の動きは、私の思う改善方向とは真逆の道を選んでいると感じる。その方向は林業界だけでなく、将来の日本の森林や山村地域に致命的な打撃を与えるのではないか、という恐れさえ抱く。それが絶望へとつながるのだ。

    そこで思いついた。現状を俯瞰して絶望するのなら、いっそ現在とは遊離した「希望の林業」を描けないか。私なりに理想の林業形態はある。それに近い事例もあるにはある。ただし時代を遡ったり外国だったり、あるいは数少ない林業家が強い意志を持って挑戦していたりする事例だ。

    それらを取り上げて日本の林業も希望が持てる、というつもりは毛頭ない。例外的事象にすがるのは自己満足のごまかしにすぎない。しかし、目標となる「希望」を提示することで、そこまでの道筋を考える契機になるかもしれない。現状に改善を積み重ねる「フォアキャスト」手法が上手く行かずに絶望させられるのなら、到達したい目標から遡り今すべき行動を考える「バックキャスト」の手法もあるのではないか。

    そんな思いで執筆することにした。

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  3. shinichi Post author

     

    はじめに――騙されるメディアと熱い思い

     時折、私のところにメディアから取材依頼、あるいは出演依頼が舞い込むことがある。テーマで増えたのは、林業を取り上げたいというものだ。
     本来取材する側の私が取材を受けるのは妙な気分になるのだが、それ自体は歓迎である。マイナーな産業である林業に興味を抱いてくれるのは嬉しい。林業を通して日本の森林事情にも眼を向けてくれることを願っている。
     その際に電話やメールなどで取材意図の説明があるのだが、そこで言われるのは「林業って、最近盛り上がってきていますよね?」。
     そうかもしれない。
     戦後植林された人工林は五〇年以上を経て太ってきたので伐り時を迎えている、国産材の生産(伐採)量も増えてきた。木材自給率は急上昇し、一時期一八%まで落ちたものが今や四〇%近くになり、目標の五〇%も見えてきた。使い道のなかった間伐材などが合板材料として活用されたりバイオマス発電の燃料用に引っ張りだこ。また海外輸出も急増して輸出産業になりつつある。さらにCLT(直交集成板)やセルロースナノファイバーのような新しい木材の使い道も登場して、木材は引く手あまたの素材である。日本の山は宝の山になった。また田舎暮らしのライフスタイルが見直されて、山村の仕事として林業に参入する若者も増えた。女性でも林業をめざす人が増えて「林業女子」と呼ばれている。高性能林業機械が導入されて体力がなくてもできるようになったからだ……。
     こうした事例を並べられる。なかなかよく勉強している。林業に関する最近の動きは事前に調べてきたようだ。そんな情報を元に、林業は産業として前途洋々……という記事にしたい、番組をつくりたいわけだろう。それに対して私のコメントが欲しいという。
     そこで私が知る範囲の現状を話す。すると、肝心の出演依頼は消えてしまう。コメントとしても使われない。番組が描きたかった「宝の山」の絵が描けなくなるからだろう。それでも番組は作られるのだが。前途洋々の日本林業を語ってくれるコメンテーターを、ほかに見つけたらしい。
     ここで私はテレビ番組に出演できなかったとか、情報を提供したのにギャラが払われないと文句を言いたいのではない(少しは言いたい)。私と彼らの認識の差に暗澹とした気分に浸るのだ。
     一方で、私のところに連絡してくる人々の中には、学生が結構いる。中学生や高校生もいたが、多くは大学で学ぶうちに林業に興味を持ったという若者だ。話が聞きたいという。誰でもメールで簡単に連絡を取れる時代だからだろう。こちらも歓迎だ。学生には可能な限り対応する心づもりで臨む。私も、若い頃に学者や著名人に手紙を送りつけていろいろお願いをした記憶があるから、今度は私がお返しする番である。
     肝心の学生には、林業に直接つながる森林科学系の学部学科の学生もいれば、社会学系、環境学系、建築学系など林業と少し離れるが関係のある分野を学ぶ人もいる。彼らは森林や林業に興味を持って拙著を手にしたところ、私の描く林業の姿が一般に言われているのと違うと感じて、詳しく聞きたいと訪ねてくるのだ。不思議と女子学生が多い。
     近隣の学生ばかりではなく、結構遠方からもやってくる。女子が夜行バスに乗って、泊まりはネットカフェという話を聞くと恐縮してしまう。もっとも私ばかりが語るのではなく、彼らの考えも話してもらう。なぜ林業に興味を持つのか。現状をどう考えるのか。こんな問題があるのだけど、どうしたら解決すると思う? そして君は何をしたいのか。
     そのうえで私が現実に林業現場で起きていることを具体的に紹介する(たいていは暗い話になってしまう)と、なんとかならないのか、と食いついてくる。彼らの熱心さ、彼女らの林業に対する思いになんと応えたらよいのだろうか……。
     私は、このところ「絶望の林業」という言葉をよく使うようになった。日本の林業の抱える問題を一つ一つ確認していくと、前途洋々どころか絶望してしまうからだ。
     日本の林業には多くの障害がある。私は、それらの問題点に対して、どうすれば解決するか、という視点でこれまで見てきた。しかし知れば知るほどさまざまな要因でがんじがらめになっており、最近は「何をやってもダメ」という気持ちが膨らみつつある。近年の林業界の動きは、私の思う改善方向とは真逆の道を選んでいると感じる。その方向は林業界だけでなく、将来の日本の森林や山村地域に致命的な打撃を与えるのではないか、という恐れさえ抱く。それが絶望へとつながるのだ。
     そこで思いついた。現状を俯瞰して絶望するのなら、いっそ現在とは遊離した「希望の林業」を描けないか。私なりに理想の林業形態はある。それに近い事例もあるにはある。ただし時代を遡ったり外国だったり、あるいは数少ない林業家が強い意志を持って挑戦していたりする事例だ。
     それらを取り上げて日本の林業も希望が持てる、というつもりは毛頭ない。例外的事象にすがるのは自己満足のごまかしにすぎない。しかし、目標となる「希望」を提示することで、そこまでの道筋を考える契機になるかもしれない。現状に改善を積み重ねる「フォアキャスト」手法が上手く行かずに絶望させられるのなら、到達したい目標から遡り今すべき行動を考える「バックキャスト」の手法もあるのではないか。
     そんな思いで執筆することにした。

     第1部では、日本の林業界を取り巻く錯誤を総論的に描く。主にメディアや一般人の持つ勘違いの指摘だ。第2部は各論として、林業現場の実態、林業の当事者たち、木材の用途、林政の問題点を指摘する。そして第3部は、私の考える「希望の林業」だ。第1部、第2部で林業界の現状を知ったうえで、第3部の可能性を考えていただきたい。
     ちなみに事例を挙げて問題点を指摘すると、どうしても当事者たちを否定的に記してしまうが、もちろん全員にダメ出しするつもりはない。優れた当事者もいる。森に対して熱い思いと優れた技術を秘めた林業家もいる。私も彼らに会うと感動してしまう。だが、一部の篤林家の頑張りを紹介して「日本林業スゴイ」と唱えるつもりはない。残念ながら大半がそうでない点こそ問題なのだ。だから、あえて私の耳目に飛び込んできた問題のある人々や事象を取り上げる。当然、匿名とする。
     私は林業だけを論じるつもりはない。テーマとするのは森と人の関わりである。森林を語るうえで林業は重要な要素の一つだが、林業が今のままでは森林全体が不幸になる。
     林業に期待する人が増えているのならば、勘違いで盛り上がるのではなく、現実と背景を知った上で応援することが望ましい。一度絶望しないと、その向こうにある光も見えないだろう。

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