フィルターバブル(鳥海不二夫、山本龍彦)

ビックデータを使ったプロファイリングとターゲティングにより、我々は情報の海のなかから、自身に「有益」と<される>情報を絞り込まれ、「自分用」 にカスタマイズされた情報を閲覧できるようになった。
しかし、それは良いことばかりではない。人間には、同じような考えを持つ者だけが集まって議論すると、その考え方がより過激化する傾向があると指摘されている(集団分極化)10。こうした人間の傾向とインターネットの特性の相互作用による現象と言われているものとして、「エコーチェンバー」と「フィルターバブル」がある。
アルゴリズムはユーザーの好み(preferences)を分析し、それに基づいた情報を優先的に表示する。ユーザーにとって有益な情報ばかりが優先的に表示される結果、まるで自分色の泡のなかに閉じ込められているかのように自分が見たい<とされる>情報しか見えなくなってしまう(「フィルターバブル」)。そしてこのバブルの内側では、自身と似た考え・意見が多く集まり、反対のものは排除(フィルタリング)されるため、その存在そのものに気付きづらい。
SNS上でも同様のことが起こる。自分と同様の興味関心を持つユーザーばかりをフォローした結果、特定の意見を発信するとそれと似たような意見ばかりが反響してくる(「エコーチェンバー」)。この反響により何度も同じような意見を聞くことで、それが正しく、間違いのないものであると、より強く信じ込んでしまう(「陰謀論」を想起してほしい)。
フィルターバブルやエコーチェンバーなどにより、集団分極化は加速すると指摘される11。傾向を極端化させた人々は考えが異なる他者を受け入れられず、話し合うことを拒否する。この2つの現象は、社会の分断を誘引し、民主主義を危険にさらす可能性がある。

デジタル・ダイエット宣言 ver.1.0(PDFファイル)

2 thoughts on “フィルターバブル(鳥海不二夫、山本龍彦)

  1. shinichi Post author

    「情報的健康」へデジタル・ダイエット宣言…[情報偏食]第1部<特別編>

    読売新聞(聞き手:鈴木貴暁、森田啓文)

    https://www.yomiuri.co.jp/national/20230203-OYT1T50300/

     東京大の鳥海不二夫教授、慶応大の山本龍彦教授が共同で提言した「デジタル・ダイエット宣言」は、言論空間の危機が深刻化しているという問題意識のもとに編まれた。日常の情報摂取を食事にたとえ、「情報的健康」の重要さを訴える。「デジタル空間とどう向き合うか」(日経BP)の共著もある2人に話を聞いた。

    食事と一緒 バランス大事…鳥海不二夫氏 46 東京大教授(計算社会科学)

     情報空間で起きる問題の根底には、人間が先天的に持つ 脆弱性がある。

     コロナ禍では、ワクチンを巡る真偽不明の情報が数多く流布された。不確かな情報をどういう人たちが得ているか分析したところ、もともとワクチン自体に反対している人々や、左派の一部の人たち、陰謀論的な発信をする人々が多かった。一方で、ワクチン推進派は、保守系の人たちが多数みられた。

     人は情報が正しいか、正しくないかという点を、自身の主義主張と整合性があるかによって判断しがちだ。例えば「良い政府が推奨するワクチンは、良いもの」「悪い政府が推奨するワクチンは、悪いもの」という情報は受け入れられやすい。

     逆に「良い政府が推奨するワクチンだが、悪いもの」「悪い政府が推奨するワクチンだが、良いもの」という説明を受け入れるのは難しい。

     このような心理状態は、「認知的均衡理論」によって説明される。

     人間の認知システムには、反射的に動く「システム1」と、じっくり考えて反応する「システム2」の2通りがあり、私たちは基本的にシステム1で動いていると言われている。

     システム1を刺激し、どれだけ関心を奪えるかを競って広告収入につなげる「アテンション・エコノミー」の広がりも情報空間で起きる弊害の要因となっている。発信者側が、多くの人々の興味を引く情報を提供しようとすれば、デマや陰謀論も発信の対象になり得るからだ。

     ただ、アテンション・エコノミーは、プラットフォーマーにとって都合が良く、ユーザーにも便利で、当面は仕組みを変えることは難しいだろう。私たちは、プラットフォーマーが自分の関心に応じて提供する情報だけに包まれる「フィルターバブル」の中にいることを認識する必要がある。

     「デジタル・ダイエット宣言」では、ネット空間での情報摂取を食事に置き換えて考えている。人間はおいしいものばかりを食べたがるが、それだけでは健康に悪い。だが、将来的に健康を害することを知れば、バランスの取れた食生活を心がけることができる。情報を得る際にも、こうした考えが応用できる。

     ただ、暴飲暴食を強制的にやめさせることができないのと同様に、人々が得る情報を規制するべきではない。大事なのは、バランスが取れた情報を適切に取得したいと願う人にそうした環境を提供することだ。ユーザーが自分の「情報的健康」を確認できるように、「情報ドック」を作ることも大事だと考えている。

     2021年には、ツイッターの利用者がどれくらいエコーチェンバーの中にいるか可視化するシステムを開発した。ホーム画面に表れる投稿が、幅広い人たちによるものか、特定のユーザーに限られるのか判定し、エコーチェンバーの程度を計る仕組みだ。自分でも使ってみたところ強いエコーチェンバーに入っていた。

     国内では、アテンション・エコノミーフィルターバブルエコーチェンバーという言葉を知っている人は20%を下回っている。野菜を食べればビタミンが摂取でき、健康に良い。ビタミンの化学式を知る必要はないが、ビタミンという言葉は知っておいた方が良いようにまずは現代の情報を取り巻く環境を知ってほしい。

     情報空間の問題は、特効薬がすぐには見つからない。常に問題を解決し、新しいシステムを作り続けることが必要だ。情報的健康に向けた共同提言も更新していきたい。

    **

    表現の自由 受け手も保護…山本龍彦氏 46 慶応大教授(憲法学)

     今、社会を取り巻く「情報環境」を根本的に設計し直すべき時が来ている。それが「情報的健康」を提唱し、「デジタル・ダイエット宣言」を公表した理由だ。

     歴史的に見ると、人間社会では長く、情報を発信する主体や媒介者(メディア)が限られ、情報の供給量は今よりずっと少ない時代が続いた。そこで、表現の自由を憲法で保障して情報の「送り手」を保護し、流通する情報の量を増やすことに重きが置かれた。

     重視されたのが、「思想の自由市場」という考え方だった。「ある思想や情報の良しあしは、政府ではなく言論空間という『市場』が判定すべきで、劣悪なものは市場での選別により、自然と消えていく」というものだ。

     自由市場に対する政府の直接介入は許されない。政府が都合の悪い情報を「有害だ」と排除すれば、民主主義は成立しない。ロシアや中国、北朝鮮といった現代の権威主義国家を見ても明らかだろう。

     ところが、現代ではインターネットの発達やSNSの社会インフラ化により、誰もが簡単に情報を発信できるようになった。情報の量は激増し、圧倒的に供給過剰な状態になっている。

     そのため、情報の「受け手」の関心(アテンション)を引きつけようと、膨大な個人データと人工知能(AI)を用いて個別化された「おすすめ」の強い波が、真偽ない交ぜになって私たちのスマートフォンに押し寄せ続けている。

    「認知」侵されるデジタル社会のリスク、日本も危険水域…[情報偏食]第1部<特別編>
     米ハーバード大教授の著名な憲法学者キャス・サンスティーン氏は、民主主義が維持されるための条件の一つに、「個人が自らとは異なる『他者』の見解にさらされること」を挙げている。

     ユーザーそれぞれが好みの情報で包まれるフィルターバブルは、そうした「異なる見解」を遠ざけ、異端視することにつながる。閉鎖的なバブルの中で、自身と「同じ見解」だけに触れ続けることで、ユーザーの考え方は次第に極端化し、相互に対話不能な状態にもなる(エコーチェンバー)。

     2018年には、米国で「ケンブリッジ・アナリティカ事件」が発覚した。ロンドンの選挙コンサル企業が16年の米大統領選で、フェイスブックの投稿や属性などを基に個人の心理傾向を分析し、偽情報にだまされやすいと予測されるユーザーを狙って政治広告を送りつけ、有権者の投票行動を操ったとされる事件だ。

     このように、アテンション・エコノミーとAIのタッグが、間接的にも直接的にも民主主義を脅かしている。だからこそ、現代のデジタル社会では、「表現の自由とは、情報の送り手だけでなく受け手をも保護する権利だ」と、特に強く意識する必要がある。それは、「フィルターバブルからの自由」「フェイクニュースからの自由」と言い換えることもできるだろう。

     こうした自由の実現のため、デジタルプラットフォーム(DPF)事業者は、「デジタル・ダイエット宣言」で挙げたような取り組みを積極的に進めてほしい。政府には、それを側面から促進・支援する憲法上の責務がある。思想の自由市場を「自由放任主義」と完全に同視してしまうと、受け手の情報的健康は守れない。

     もちろん、政府が情報的健康とはどういう状態かを決め、国民に「健康」を強いることは厳格に禁じるべきだ。政府による情報統制、検閲は決して認められない。

     新聞をはじめとする伝統的なマスメディアにも注文がある。現在の偽情報への「免疫(批判的能力)」の低下の背景には、メディアへの強い不信もある。

     メディア自身がアテンション・エコノミーから距離を置き、DPF事業者に対して批判的視座を保つ。取材・報道過程も可能な範囲で説明する。そのようにして読者・視聴者の信頼を確保する自己改革が、いっそう求められている。

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