国債累増(渡瀬義男)

わが国の歩みが示すように、国債の大量発行下にあっても、そのインパクトを緩和する制度・環境を政策的に整備することは不可能ではない。低成長期や不況期にあって資金余力のある金融機関が貸出よりも国債投資に活路を見出す場合、しかもその余力を生み出すような潤沢な資金供給を中央銀行が続ける場合、また、財政当局の国債政策が精緻化されて公募発行が広く浸透している場合、さらに家計貯蓄の豊かさがそれらの根底にあり、公的部門が大きな受け皿を提供しているような場合、一国における「国債消化力」が弾力に富むことは確かである。ただ、それが無限大でないことは改めて強調しておかなければならない。
国債発行において持続不可能な地点・状況を一義的に特定することはもちろんできない。しかし、①国民経済の成長力と規模、②家計貯蓄率の高さ、③企業金融の状況、④資本市場における大衆化・国際化の進展具合、⑤当該国債および国債政策に対する内外からの信認・評価・格付け等、諸々の条件で決められる限度、いわば「危険水位」は存在するはずである。この危険水位に近づいたとき、政策対応によって遅速はあっても国債にリスク・プレミアムが生じることは避けられない。償還能力に疑問符が付けられ、将来におけるインフレ昂進が予想されて、金利への上乗せが生ずるからである。そうなると、市場の安定を泥縄式に確保するのは難しい。それゆえにこそ、その手前の時点で、財政規律と歯止め装置を機能させ発行量の削減を図る、着実に残高を減らす、これを可能にする経済基盤作りと財政改革を行う、という基本姿勢が肝要なのである。現状に当てはめるなら、景気回復最優先の「非常時」にあっても長期の視点から財政規律と財政再建ビジョンを堅持する、ということである。最後に付け加えておきたいのは、日銀引き受けのような「禁じ手」に手を染めないことの重要性である。財政と中央銀行への国民の信頼はそこから生まれるのではないだろうか。想起されるのは戦前の高橋是清蔵相である。昭和7(1932)年11月、日銀引き受け発行を創始した高橋蔵相は、これを「一時の便法」としていた。すなわち、国債発行の漸減方針とセットであった。しかし、ひとたび開かれた水門からの奔流は2・26事件の弾雨となって蔵相をなぎ倒し、最終的には戦後インフレと化して国民に惨害をもたらしたのであった。

国債累増をめぐる諸問題(PDFファイル)

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