沙漠について(花田清輝)

はたして砂漠とは、砂だけの無限にひろがっている空虚な世界、風が吹けば、砂煙りのため、日の光りさえ薄れてしまう暗い世界、草木は枯れはて、動物の骨の白々と光っている死の世界、――要するに、月世界のように荒れはてた、見捨てられた世界であろうか。…すべての風景は、一つの心の状態の表現であろうが、しばしば、それは、おのれの真の心の状態をみまいとする、一つの心の状態である場合も多く、たとえばかういふ暗澹たる沙漠の風景は、内心の砂漠において、対立し、拮抗し、争闘しつづけている、魔神的なものを避けて通ろうとする、哀れむべき感傷のあらわれ以外のなにものでもなく、虚無の周辺をぶらついたことのある一旅行者の眼にうつった、単なる異国の風景にすぎないのだ。…砂漠には、砂と風があるだけではない。そこには隊商の道が灰いろのリボンのように曲がりくねっており、何千年来、駱駝の調子の整った足音が聞こえ、その首につけた鈴の音が、りんりんと鳴りひびいているのだ。そうして、…そこにはまた、無数の植物や動物が生きつづけている。

2 thoughts on “沙漠について(花田清輝)

  1. shinichi Post author

    七; 錯乱の論理; 二つの世界

    by 花田清輝

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    二つの世界
    沙漠について
    花田清輝

    はたして沙漠とは、砂だけの無限にひろがってゐる空虚な世界、風が吹けば、砂煙りのため、日の光りさへ薄れてしまふ暗い世界、草木は枯れはて、動物の骨の白々と光つてゐる死の世界――要するに、月世界のやうに荒れはて. た、見捨てられた世界であらうか。・・・たとへばかういふ暗澹たる沙漠の風景は、内心の沙漠において、対立し、. 拮抗し、争闘しつづけている、魔神的なものを避けて通らうとする、哀れむべき感傷のあらはれ以外のなにものでもなく、虚無の周辺をぶらついたことのある一旅行者の目にうつつた、単なる異国の風景にすぎないのだ。

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  2. shinichi Post author

    『花田清輝全集』全15巻・別巻2巻
    第6巻 1978.1.16
    砂のような大衆(p.476)

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    大活字版 ザ・花田清輝 上下二巻
    下巻
    砂のような大衆

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    砂のような大衆

     それはまさに砂のようなものであつて、他から手を加えられれば、いかなるフォルムにもなりうる材料にすぎない。しかるに、わたしのみるところでは、大衆というものは、他からあたえられたものであるにせよ、みずからつくりあげたものであるにせよ、ちゃんと一つのフォルムをもっているものなのである。そしてそのフォルムの形成にあたつて、最もあずかつて力のあるものは階級的組織であるとわたしはおもう。

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