山田詠美の表現抑圧への怒り(伊藤氏貴)

(山田詠美が書いた小説の主人公が)わざわざブログに毎回「私個人の」と断り書きを入れなければならない。「個人も一般論もごちゃまぜにして、誰の目から見ても男と女が平等でなくては駄目ということになった」現在では、女性が男性に組み敷かれるシーンすら許されないという。
(ほかの小説では)より直接的に現在の「PC」すなわち「政治的な正しさ」の混迷ぶりをあげつらう。… 底には一貫して表現の抑圧への怒りが渦巻いている。あとがきに言うとおり、「差別を描くことと、差別主義者であることは、全然違う」のだ。

One thought on “山田詠美の表現抑圧への怒り(伊藤氏貴)

  1. shinichi Post author

    今の時代は「山田詠美」にとって逆風か? 表現抑圧への怒りが渦巻く作品集

    by 伊藤氏貴

    https://www.bookbang.jp/review/article/768266

     山田詠美は、脱走米兵との愛欲を描いたデビュー作『ベッドタイムアイズ』以降、何度も芥川賞候補になりながら直木賞を受賞し、のちに芥川賞の選考委員になるという、純文学/大衆文学の垣根を越える作家だ。先年、白寿で大往生を遂げた瀬戸内寂聴も幅広く活躍したが、それは、純文学作家としてデビューしながらも、女性が性を描いたせいで「ポルノ作家」の烙印を押され、純文学雑誌に書けなくなったのがきっかけだった。

     山田の場合は、瀬戸内という先達のおかげか、はじめからタブーなどものともせず無敵の快進撃を続けてきたが、しかし今、一番のピンチを迎えているのではないか。

     たとえば「家畜人ヤプ子」は、かの奇書『家畜人ヤプー』に感銘を受けた女性が、「沼正子」の名で「私個人の趣味嗜好の記録」としてのブログを綴る話だ。タブーを恐れず性的快楽について語る点で一向に衰えていないが、ただ、正子はわざわざブログに毎回「私個人の」と断り書きを入れなければならない。「個人も一般論もごちゃまぜにして、誰の目から見ても男と女が平等でなくては駄目ということになった」現在では、女性が男性に組み敷かれるシーンすら許されないという。

    「F××K PC」では、より直接的に現在の「PC」すなわち「政治的な正しさ」の混迷ぶりをあげつらう。土筆のように陰茎の群生する村を描いた「陰茎天国」や、衝撃の結末が待ち受ける「私の愛するブッタイ」「たたみ、たたまれ」などファンタジーからホラーまで作風は多様だが、底には一貫して表現の抑圧への怒りが渦巻いている。あとがきに言うとおり、「差別を描くことと、差別主義者であることは、全然違う」のだ。

     瀬戸内の筆は、晩年に近づくにつれ闊達さを増した。山田もこの困難に屈せず、自由に健筆を揮わんことを願う。

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