記憶

何かを学ぶということは、
それがどんなものなのかを、考えたり書いたりしながら、
それと私たちとの相関関係を作り出すことなのだと思う
だから私たちの知識はいつも具体的で、
記憶の中に、それと私たちとの相関関係として、ずっと残っている

何かを理解するということは、
その内にあるものと、私たちのシナプスの内にあるものとの、類似点を探り
それと私たちとを同一化することなのだと思う
だから私たちの理解はいつも抽象的で、
記憶の中に、それと私たちの心との繋がりとして、ずっと残っている

私たちの個人的なそして集団的な記憶には、無限の豊かさが隠されている
記憶の豊かさと現実の豊かさが、相関関係を持ち、
時間の経過とともに、バランスよく織り交ざってゆく。

電子、陽子、中性子といった素粒子は、みんな原子のなかにある。
水素、酸素、窒素といった原子は、みんな私たちの体の内にある。
ということは、電子も陽子も中性子も、みんな私たちの体の内にあるということになる。

陽子を研究する時には、陽子との相関関係を作り出さなければという
でも、自分の内にあるものとの相関関係なんて作り出せるのだろうか
陽子のことを理解するには、陽子と自分とを一体化しなければという
でも、そもそも自分の内にあるものと自分とは、一体ではないか

僕の内にある陽子と、海の水の中にある陽子は同じかと
CERN の物理学者に聞いてみた
その人の答えは明快で
陽子は陽子だと言う

君も僕も 海に繋がっている
君と僕も 繋がっている
君も僕も 海と同じ
君と僕も 同じ

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