長谷川櫂

芭蕉の死から三百年後、病苦にあえぐ子規は「悟りといふは如何なる場合にも平気で生きて居る事であった」と書いた。子規を支えたこの「平気で生きて居る事」という悟りは実は晩年の芭蕉が唱えた「かるみ」のことだった。子規自身は気がついていたかどうか。それは「俳句分類」という作業を通じて江戸俳諧から子規へとたしかに受け継がれたものだった。

芭蕉の心の「かるみ」とはこのことだった。「かるみ」の発見とは嘆きから笑いへの人生観の転換だった。『おくのほそ道』の旅の途中、芭蕉が見出した言葉の「かるみ」はこうした心の「かるみ」に根ざし、そこから生まれたものだった。
俳諧はもともと滑稽の道、笑いの道なのだ。とすれば、「かるみ」とは俳句の滑稽の精神を徹底させることでもある。そして、芭蕉の見出した「かるみ」はその後も時代を超え、言葉を変えて俳人たちによって脈々と受け継がれてゆく。

One thought on “長谷川櫂

Leave a Reply

Your email address will not be published. Required fields are marked *