辻邦生

パルテノンの啓示は、美とは、大きな光のように、この地上を包んでいる絶対 一者的存在だ、ということを語っていた。
セーヌの橋上の啓示は、世界が私と一つであり、私と無縁なものなどは存 在しない。森羅万象は私なのだ、ということを示していた。
リルケの詩の啓示は、美の一つ一つが、それぞれに絶対の美の現れだとい うことを語っていた。
そしてこの三つに共通するのは、われわれの生の根拠 につねに美が存在し、それが生のすべてを包んでいる、ということだった。 私は美を求めて物から物へ喘ぐように遍歴していたが、そんな必要はまったくない。美とは、そして幸福とは、いまここにある。それに気づくことが肝心なのだ――そう思ったとき、一挙に、溟濛の霧が晴れるのを感じた。

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One Response to 辻邦生

  1. shinichi says:

    生きて愛するために

    by 辻邦生

    三つの啓示に寄せて

     パリに最初に留学した頃、私は自分の文学の土台になる三つの啓示に出会 った。その一つは、滞在二年目の夏、ギリシャに旅行して、アテネのパルテノン神殿を仰いだときだった。旧式のバスに揺られ、アテネの街に入ったと き、遠くにアクロポリスの丘が見えた。その丘の上に点のように見えたものが、近づいてきて、やがて神殿の形をとった。「パルテノンの神殿だ」思わずそうつぶやいた瞬間、神殿から光のようなものが私の身体を刺し貫き、私 は我を忘れて、胱惚とした歓喜に震えた。我にかえったとき、全身に、涼し げな鈴の音の余韻のようなものがまだ鳴っていた。

     その二つは、ギリシャ旅行の翌年の春の夕方、パリの国立図書館からの帰 り、セーヌ川にかかるポソ・デ・ザール(芸術橋)の上に立っているときに起こった。その日は朝から本を読んでいたので、私は疲れて、橋からぽんや りシテ島やノートル・ダムやルーヴルを眺めていた。そのとき突然、私の身体が透明な球になって、みるみる大きく膨らみ、セーヌも、ノートル.ダム も、バリの街々も、この大きな透明な球に包まれるのを感じた。私はまるで 気球に乗ったように眼の下に連なるバリの街々を眺めた。そして「あ、これは私のセーヌだ、私のノートル・ダムだ、私のバリだ」と叫ばないではいら れなかった。それまでこの現実は、私の外側に、何の感動もなく拡がってい た。それなのに、その瞬間、世界は私の内側に転入していた。何かとても親 しい大事なものとなって、両腕で抱えこんでいるような気がした。どんな遠 いものも、どんな小さなものも、すべてく私の世界>のなかの住民だった。 そう思った瞬間、ギリシャのときと同じような歓喜が全身に湧き上がった。

     その三つは、それから一ヵ月とたたない頃、国立図書館の広間にリルケの フランス詩「薔薇」の豪華本が展示されているときに起こった。たまたま 「一輪の薔薇はすべての薔薇」という詩句が、ケースのなかに拡げられてい た。それを目にした瞬間、反射的に、一輪の薔薇のなかに無数の薔薇が浴れ、 万華鏡のようにぐるぐると回るのが見えた。しかしその一輪の薔薇は、すべ ての花々を超え、その上に、静かに、高貴に花を開いていた。この純粋な薔 薇の原型のイメージを見たとき、あの同じ歓喜が泡立つ波のように全身を包 むのを感じた。

     この三つの啓示は、私が文学の根拠を求めている遍歴のさなかに起こったという点では、私の激しい問いかけに対する答といっていいものだった。パ ルテノンの啓示は、美とは、大きな光のように、この地上を包んでいる絶対 一者的存在だ、ということを語っていた。

      セーヌの橋上の啓示は、世界が私と一つであり、私と無縁なものなどは存 在しない。森羅万象は私なのだ、ということを示していた。

     リルケの詩の啓示は、美の一つ一つが、それぞれに絶対の美の現れだとい うことを語っていた。そしてこの三つに共通するのは、われわれの生の根拠 につねに美が存在し、それが生のすべてを包んでいる、ということだった。 私は美を求めて物から物へ喘ぐように遍歴していたが、そんな必要はまったくない。美とは、そして幸福とは、いまここにある。それに気づくことが肝心なのだ――そう思ったとき、一挙に、溟濛の霧が晴れるのを感じた。 それは、さらになおさまざまな試行錯誤をともなったが、すすむべき方向 はそのとき定められたといってよかった。一言でいえば、私は、この地上の すべてのものを――季節も、天候も、時刻も、花々も、木々も、海も、山も (ラムのように「悪党どもも」と加えてもいい)――かぎりなく素晴しいものとして、ひしと抱きしめ、刻々、花の香りに包まれた陶酔のなかで生きる ようになったといえる。すくなくとも、それが私の文学の中心の仕事となっ たとはいえるかもしれない。

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