井上靖

石の階段が水面に向って落ち込んでいた。満潮の時は階段の半分が水に没し、干潮の時は小さい貝殻と藻をつけた最下段が水面に現れた。ある夕方、そこで手を洗っている時、石鹼がふいに手から離れた。石鹼は生きもののように尾鰭を振って水の中を泳ぎ、あっという間に深処に落ち込んでいって姿を消した。
あとには、もうどんなことがあっても再び手の中には戻らぬといった喪失感があった。これは幼時の出来事だが、それ以後、私はこのように完全に物を喪なったことはない。川明りがいかなる明るさとも違って、悲劇の終幕が持つ明るさであることを知ったのもこの時だ。

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3 Responses to 井上靖

  1. shinichi says:

    川明り

    by 井上靖

  2. shinichi says:

    「川明かり」は、叔母まち(靖の母八重の妹)との別離がもとになっているという。

    明治40年 5月 北海道旭川の官舎にて生まれる。
    明治41年 (0-1歳) 父隼雄が韓国へ出動。母やゑに抱かれ湯ヶ島に移る。
    明治42年 (1-2歳) 父が静岡勤務になり、母と共に静岡市の民家に移る。
    明治43年 (2-3歳) 母の身重により一時的に湯ヶ島の祖母かのの許に預けられる。
    明治44年 (3-4歳) 家族全員で東京府牛込区若松町に移り住む。
    明治45年 (4-5歳) 家族は静岡へ、そして豊橋へ移動。靖のみ、湯ヶ島へ。
    大正2年 (5-6歳) 豊橋の親元へ戻されたが、抵抗。再び、湯ヶ島へ。
    大正3年 (6-7歳) 湯ヶ島尋常高等小学校入学。まちが同校の代用教員に。妊娠。
    大正4年 (7-8歳) まち、同僚教員と結婚し中島姓に。男児を出産。結核を患う。
    大正5年 (8-9歳) まち、追われるようにして、伊豆の西海岸に転居。
    大正6年 (9-10歳) まちがいないことの悲しみに沈む。
    大正7年 (10-11歳) 悲しみは続く。
    大正8年 (11-12歳) まち、死亡。23歳。
    大正9年 (12-13歳) 井上かの、死亡。64歳。浜松師範付属尋常高等小学校に入学。
    大正10年 (13-14歳) 静岡県立浜松第1中学校に首席で入学。
    大正11年 (14-15歳) 静岡県立沼津中学校に転校。

  3. shinichi says:

    (sk)

    「川明りがいかなる明るさとも違って、悲劇の終幕が持つ明るさであることを知ったのもこの時だ」

    10歳前後でこのような感受性を持っていたということが、私には驚きだ。

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