安島喜一

誰もが「えーっ」と怪訝顔
東京も狭山丘陵も武蔵野も、海の中だったなんて。
その証拠に、クジラの化石がある。
カキやアサリやホタテガイの化石がある。
その後が、また、大騒ぎ
地球が気ままで、気温が上がったり、下がったり
海面が押し寄せたり、退いたり
たまったものではないから、そろそろ陸になろうかと、頭を出した。
そしたら、多摩川が元気で、大暴れしていて、一面に河原石を振りまいた。
それをもとに、できたのが
「狭山丘陵」
今度は、河原の上に、八ヶ岳や箱根や富士山が噴火して、灰を積もらせた。
多摩川は負けじと、それを削って、幾つかのテラスをつくった
その中の一つが
「武蔵野台地」
この謎解き
一緒に、迫って下さい。

2 thoughts on “安島喜一

  1. shinichi Post author

    500万年前、東京・武蔵野は海のなかで、飯能、青梅、五日市、八王子などを海岸線とする古東京湾には、クジラが泳いでいた。

    200万年前~100万年前、地球の温度が変わり、その都度海面が上がったり下がったりし、東大和、立川あたりが遠浅になって、カキやアサリ、ホタテガイなどが生息していた。

    70万年前~40万年前、陸化が進み、東京が海から顔を出し、多摩川が自由気ままに流れて、一面が河原になった。

    40万年前~20万年前、火山灰が多く降り積り、6万年~5万年前にも、火山灰が降り積もり、ローム層が形成された。

    3万年前~2万年前、地球は最後の氷河期を迎え、海面の低下はピークに達し、現在より約100メートルも低くなり、東京湾は陸地となった。ユーラシア大陸と日本列島の間は陸続きに近い状態になり、北からはバイソン、ヘラジカやマンモス、南からはオオツノシカやナウマンゾウ等が渡ってきた。人間も両方から渡ってきて、石器の作られ方が大きく変わった。

    1万3千年前、氷河時代は終わり、気候温暖化が始まった。氷が溶けだし、海水面が上昇。陸だったところが海の中に沈み、植生が大きく変化した。それまでの草原の風景から、森林の風景へと大きく変わっていった。

    1万年前~6000年前、温暖化が進み、日本列島は大陸から離れた。関東地方では、それが徹底して、それまでの川筋に沿って陸地の奥まで、海が進みました。ピーク時には栃木県の藤岡付近まで入江が入り込んだといいます。この時期は縄文時代で、縄文人が、埼玉県の大宮や川越に「貝塚」をつくっています。
    海面の上昇は、6000年前頃がピークとなり、大宮、川越、多摩川園前の東横線の鉄橋付近まで海になった。
    内陸部の武蔵野地域には、海の影響は及ばなかったが、植物や動物の種類が変わり、ほぼ現在の姿になった。植物や小動物は、極めて豊富だった。

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