Hiikichi

応仁の乱という戦争の理由がよく分からない、途中からは誰が戦争指導者なのかさえ分からなくなり、最後は勝者が誰なのかよく分からないまま終わった。そういう意味不明な大乱が、日本全国津々浦々まで巻き込んで11年間も続き、特に主戦場であった京都はその大半を焼き尽くされ、屍で埋め尽くされ、本当に「都」であったのかという有り様。
で、結局勝者は誰か?

  1. 焼かれ尽くしたが見事再興し、現在でも世界有数の文化都市として君臨する京都
  2. 理由はどうあれ欲望の為なら盗賊同様が、道徳心と知識欲を手に入れてしまった平民
  3. 財布の紐は女が握っていた方が良い、と認めざるを得ない結果を示した日野富子
  4. 良書を熟読した者こそが正しく判断出来る、と認めざるを得ない功績を残した一条兼良
  5. 何のかんの言いながらも四畳半文化(侘び寂び)を築いてしまった足利義政
  6. 知恵こそ必要なり、正しい考え方こそ必要なり、を各地で説き、「やっぱり偉い人なんだな」と民衆にその後何百年もそう思わせている公家=官僚
  7. 知恵こそ必要なり、正しい考え方こそ必要なり、を各地で説き、「やっぱり偉い人なんだな」と民衆にその後何百年もそう思わせているお寺&宗派&食いっぱぐれしない僧侶達
  8. 京都が焼き尽くされた事により、逆に、京都の財や商や技や知などを手に入れた近隣地方都市
  9. 京都の知識人達が全国へ逃げた事で各地に出来て、今も観光資源として生き続けている「小京都
  10. だから結局「応仁の乱」の勝者は誰か?で永遠に決着つかずでメシが食えてる歴史学者、作家等々

One thought on “Hiikichi

  1. shinichi Post author

    応仁の乱の勝者は誰かを考える

    by Hiikichi

    社会怪説録

    http://hidexhirax.hatenablog.com/entry/2013/10/18/193517

    NHKのBS放送のドキュメンタリー番組で「応仁の乱」を取り上げ、我が国の重要な転換点として番組制作されていました。放送日は先週だったのですが、とても面白かった。で、今朝も再放送してたのでちょこっと見ました。歴史ってのは、こういう風に見るものだって改めて思わされましたよ。

    戦争の理由がよく分からない、途中からは誰が戦争指導者なのかさえ分からなくなり、最後は勝者が誰なのかよく分からないまま終わった。そういう意味不明な大乱が、日本全国津々浦々まで巻き込んで11年間も続き、特に主戦場であった京都はその大半を焼き尽くされ、屍で埋め尽くされ、本当に「都(みやこ)」であったのかという有り様。

    日本人なら誰もが知っている歴史なのですが、この意味不明の大騒乱があって、京都が破壊の限りを尽くされた事こそが、今日の我が国を我が国たらんとする最も重要な役割を果たした。・・・という風に感じ取らねばならないらしい。そして番組内でのゲスト解説にはイチイチ納得させられて、こりゃたまげたなぁ・・・って思いましたよ。

    それにしても・・・

    ・お金持ちの金は、貧乏人の為にこそ使われるべき・・・だから略奪しても構わない

    ・自分達の望むものの為なら、やり方は問わない・・・だから何を破壊しても構わない

    ・・・正に何でもあり。それが自分達日本人の約500年前の祖先達の姿。中東各国で国内動乱で国民同士で破壊し合う姿と何ら変わらない。寧ろ、それ以上。「応仁の乱」が、現代の日本で起きていたら、国連軍でも米軍でも何でもかんでも外圧受けて、イラクやアフガニスタンやソマリアや・・・のように収拾つかなくなっていた。その頃、国内動乱に乗じて他国から攻められていたら、今の日本は存在していないのかもしれない。11年間、国内だけの殺し合い、京都だけの大犠牲で済んだのが奇跡のようなものなのかも。

    そして、奇跡は奇跡を生む。

    京都を脱した公家の知識が日本各地に散らばり、日本各地に「勉強」を芽生えさせた。京都の知識特権階級でしか読む事の出来なかった多くの書物が、地方へ”避難”した事で知識の拡散が出来た。京都にこそ集中していた「道徳」や「文化」や「技術」等々の極意が、京都を離れた僧や偉人達によって、全国津々浦々へ伝わり、民の心や考え方や、そして何より、「都への憧れ」「天皇や為政者を敬う心」を全国共通のものとしていった。

    破壊され何もかもを失った(特権階級者の為の)京都が、次は、全国の民の心尽くしによって(我が国の本物の首都として)再興されていく。一度は焦土と化して、焼き尽くされてはならなかった価値有る書物や建築物の数々は「惜しい」の言葉では代えられない、取り返しようの無い大損失。だが、日本人の心を一変させる事に大成功した。京都こそ、人間の心を大きく進化させた「革命の都」と言ってけっして言い過ぎではない。

    日野富子を大悪女・愚母・愚妻と見るか大才女・賢母・賢妻と見るかとか、足利義政の早過ぎる隠居願望を大院政への野望と見るか単なる煩わしさからの逃避と見るかとか、何も出来なかった天皇や上皇を如何見るかとか・・・応仁の乱は、何がどう正しくて何がどう間違いか、本当に分からない。細川vs山名、そして畠山、斯波その他の有力武将達に次々と起こったお家騒動を発端に下克上が為されていくとか、その下克上によって「戦国大名」が明確化されやがては信長、秀吉、家康と天下取りが続くとか・・・

    で、結局勝者は誰か?

    1.焼かれ尽くしたが見事再興し、現在でも世界有数の文化都市として君臨する京都

    2.理由はどうあれ欲望の為なら盗賊同様が、道徳心と知識欲を手に入れてしまった平民

    3.財布の紐は女が握っていた方が良い、と認めざるを得ない結果を示した日野富子

    4.良書を熟読した者こそが正しく判断出来る、と認めざるを得ない功績を残した一条兼良

    5.何のかんの言いながらも四畳半文化(侘び寂び)を築いてしまった足利義政

    6.知恵こそ必要なり、正しい考え方こそ必要なり、を各地で説き、「やっぱり偉い人なんだな」と民衆にその後何百年もそう思わせている公家=官僚

    7.知恵こそ必要なり、正しい考え方こそ必要なり、を各地で説き、「やっぱり偉い人なんだな」と民衆にその後何百年もそう思わせているお寺&宗派&食いっぱぐれしない僧侶達

    8.京都が焼き尽くされた事により、逆に、京都の財や商や技や知などを手に入れた近隣地方都市

    9.京都の知識人達が全国へ逃げた事で各地に出来上がった「小京都」。今も観光資源として生き続けている。

    10.だから結局「応仁の乱」の勝者は誰か?で永遠に決着つかずでメシが食えてる歴史学者、作家等々

    番外.因みに京都・西陣の名は、山名が大将となって率いた西軍が陣取った地帯なので西陣。細川率いる東軍は東陣。でも東陣って名は大きく残らずに西陣は、西陣織とかで強く残っている。地名だけなら圧倒的な勝者。でも実際の勝者が西軍ではない・・・不思議。

    もっと他にも多くの勝者がいるし、敗者は数限りなくいる。だから結局、「応仁の乱」は何が何だか分からないが、何がなんだか分からないけど「文明の乱」として我が国を大変革させた。だから、我が国は周辺国にとって「何が何だか分からない」国なのかもしれない。我が国が何故、周辺国と違って欧米列強と対峙出来たか、それを知りたいなら、自分達で血を流して首都(政治)を作り直す事だ。と締めておこうかな。

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