石牟礼道子

わし共、西郷戦争ちゅうぞ。十年戦争ともな。一の谷の熊谷さんと敦盛さんの戦さは昔話にきいとったが、実地に見たのは西郷戦争が始めてじゃったげな。それからちゅうもん、ひっつけひっつけ戦さがあって、日清・日露・満州事変から、今度の戦争――。西郷戦争は、思えば世の中の展くる始めになったなあ。わしゃ、西郷戦争の年、親たちが逃げとった山の穴で生れたげなばい。
ありゃ、士族の衆の同志々々の喧嘩じゃったで。天皇さんも士族の上に在す。下方の者は、どげんち喜うだげな。 。。。
。。。そういうふうで、どうしても下方の愚痴が開げんじゃった。それで、西郷戦争は嬉しかったげな。上が弱うなって貰わにゃ、百姓ん世はあけん。戦争しちゃ上が替り替りして、ほんによかった。今度の戦争じゃあんた、わが田になったで。おもいもせん事じゃった。

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  1. shinichi Post author

    西南役伝説

    by 石牟礼道子

    序章 深川

    (p.3 – 4)

    わし共、西郷戦争ちゅうぞ。十年戦争ともな。一の谷の熊谷さんと敦盛さんの戦さは昔話にきいとったが、実地に見たのは西郷戦争が始めてじゃったげな。それからちゅうもん、ひっつけひっつけ戦さがあって、日清・日露・満州事変から、今度の戦争――。西郷戦争は、思えば世の中の展くる始めになったなあ。わしゃ、西郷戦争の年、親たちが逃げとった山の穴で生れたげなばい。
    ありゃ、士族の衆の同志々々の喧嘩じゃったで。天皇さんも士族の上に在す。下方の者は、どげんち喜うだげな。 。。。
    。。。そういうふうで、どうしても下方の愚痴が開げんじゃった。それで、西郷戦争は嬉しかったげな。上が弱うなって貰わにゃ、百姓ん世はあけん。戦争しちゃ上が替り替りして、ほんによかった。今度の戦争じゃあんた、わが田になったで。おもいもせん事じゃった。

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    第二章 有郷きくおんな

    (p.81)

    昔のおなごは寝る間がのうして、子なんど出来る暇もあり申さんじゃったど。あそこの家に子がでけた、そこの家にも子がでけたと聞けばな、ご苦労な世の中、またひとつ、しかめ面が出て来たけ、とおもうて、わが産まん子でもなんやら胸が重かよな、腹が痛か如あいよった。

    おもえば、田植なんどは夢のように楽になって、昔はおはん、一番鋤き、二番鋤き、くれ返し、鋤きかけ、鋤き戻しと七へんも働いて、植えつけをしよったもんじゃ。

    今の銭肥しは、腰も曲げし、立ったまんまばらぁ-と蒔くだけじゃいども、昔は馬の骨を買うて来て、それをば薪物を積んで黒うなるまで焼いて、焼けたのをば臼で搗いて砕き、そいをば木灰と交ぜ、それから人糞と交ぜ申してな。足でぎったぎったと踏み合せ、はい、それはもう、足袋なんど、ぜいたくなものを履くもんけ。我が皮一枚の素足じゃんど。我が足で踏まねば、交ざりぐあいがわかり申さんが。それをばな、流れ出しもせず、固くもなりすぎんように踏み合わせて肥桶に入れ、植ゆる田んぼに持ってゆく。田舟もいっしょになあ。

    とり揃えた苗の一株々々の根を握って、肥桶に漬けて、ひたひたとその根にさきの交ぜ肥しを含ませて、肥しながらにそろいと握り固め、付いた肥しが流れ出さんように、そのようなだんごを付けた苗を、田舟の中に入れ揃えてゆくわけじゃ。

    田舟いっぱい苗がつまったら、その舟を押し押し、鋤きあげた田んぼに這入ってゆくとじゃんさあ。

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    拾遺二 草文

    (p.242)

    おのごのな、色じんけい殿のおしよらしたばい。なして色じんけいち云いよったろかなあ。

    (p.247)

    自分から人間にはもの云いきらずに、犬やら猫やら、泳ぎよる魚にどもものゆうて、遊んでおらばしたばい。おえんしゃまの何か貰いなはればな、すぐにもう裾には犬やら猫やらが待っておって、付いてされきよったけん。いっしょに屈み合うて、分けて食いなはるばっかりだった。

    (p.258)

    死んでな。潮の満ちて来て流されて、茶碗ケ鼻の瀬の辺に、髪の毛をおよおよさせて、ひっかっかっておらいますのを、津奈木あたりの舟を見つけて、引き上げられたちゅうばえ。赤子の方は、目がからじゃったげな。鱶(ふか)にども、食われたじゃろなあ。雪の降る朝になあ。

    あとがき (p.272)
    非常に小さな、極小の村が始まるところ、波の音と松風の音がする渚辺に人がひとり現われて、家というものが出来あがるところから始めたかったのである。その家が二軒三軒になり、つまり自分のいま居る村が出来、町になり、気がつけばもう人間は沢山いて、それぞれ微妙に異なる影を持ち、異なる者が仕事を持ち、その仕事の選択の仕方によって社会というものも出来ぐあいが異なってくる。それには風土の条件があり、他郷の者とどのように交わって文化(暮らしの形としての文化)を創りあげ、その文化はどのような地下の根を持っているのか、形をなぞって見たかった。地上の形はごらんの通りなので、なぜそうなるのか根の育ち方を知りたかった。

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