網野善彦

それでは、現在の転換期によって、忘れ去られようとしている社会、いまや古くなって、消滅しつつあるわれわれの原体験につながる社会はどこまでさかのぼれるのかというと、だいたい室町時代ぐらいまでさかのぼれるというのがこれまでの研究の常識になっています。つまり、ほぼ十四世紀に南北朝の動乱という大きな変動がありますが、それを経たあとと、それ以前の十三世紀以前の段階とでは、非常に大きなちがいがある。十五世紀以降の社会のあり方は、私たちの世代の常識で、ある程度理解が可能ですが、十三世紀以前の問題になると、どうもわれわれの常識ではおよびがつかない、かなり異質な世界がそこにはあるように思われます。
いわば、現在の転換期と同じような大きな転換が南北朝動乱期、十四世紀におこったと考えられるので、この転換期の意味を現在の新しい転換期にあたってもう一度考え直してみることは、これからの人間の進む道を考えるうえでも、また日本の文化・社会の問題を考えるうえでも、なにか意味はあるのではないかと思うのです。

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2 Responses to 網野善彦

  1. shinichi says:

    日本の歴史をよみなおす(全)

    by 網野善彦

    (2005)

    日本が農業中心社会だったというイメージはなぜ作られたのか。商工業者や芸能民はどうして賤視されるようになっていったのか。現代社会の祖型を形づくった、文明史的大転換期・中世。そこに新しい光をあて農村を中心とした均質な日本社会像に疑義を呈してきた著者が、貨幣経済、階級と差別、権力と信仰、女性の地位、多様な民族社会にたいする文字・資料の有りようなど、日本中世の真実とその多彩な横顔をいきいきと平明に語る。

  2. shinichi says:

    私は日本の社会と自然とのかかわり方が、いろいろな意味で現在大変大きく変化しつつあるということを、否応なしに思い知らされました。

    一般的にいって、現在の人間の知っている技術がいままでとは各段に質が変わってきたといえます。人間が自分自身を滅ぼし得る力を自然の中から開発してしまったということの意味は決定的で、これはいうまでもなく人類史的な問題と思うのですが、それだけではありません。これは日本の社会にそくして考えてみると、現在、進行しつつある変化は、江戸時代から明治・大正、それから私どもがわかかった戦後のある時期ぐらいまでは、なんの不思議もなく普通の常識であったことがほとんど通用しなくなった。という点でかなり決定的な意味を持っています。

    たとえばトイレにしても、その臭さにはもう彼らはほとんど無縁になっているのだとおもいますし、便所に行くのが怖いという経験を、私どもの子どものころは共通して持っていたのですが、いまや家の中に暗いところがほとんどなくなった結果、われわれの抱いていたような暗闇にたいする恐怖感は、もはら彼らには完全に無縁のものになっている。そして、別の形の、先ほどのエイズと同じような性格のものに、強い恐れを抱いているという時代になっている。この変化の意味を、われわれはもっと深く考えてみる必要があり、と私は考えるのです。

    いままでの歴史は、ふつう原始、古代、中世、近世、近代と時代区分され、その中で時代の流れをとらえるのが、基本的な枠組みであったわけですが、いまいいましたような、人間と自然とのかかわり方の大きな変化という点から考えますと、これまでのような歴史の時代区分の仕方だけでははかりきれない変化があり、そのことを考慮に入れないと歴史をほんとうにとらえることはできないと思います。

    私は日本の社会の歴史をとらえる場合にも、さきほどのような原始、古代、中世…という時代区分とはちがう区分を考えてみる必要があると思っており、それをこれまで、社会構成史的次元の区分にたいして、民族史的次元、あるいは文明史的次元の区分などといってきましたが、この表現がよいかどうかは別としても、いまいいましたような、人間の社会と自然との関係の大きな転換にそくして、日本の社会の歴史を区分してみる必要があることは間違いないのではと考えています。

    それては、現在の転換期によって、忘れさられようとしている社会、いまや古くなって、消滅しつてあるとわれわれの原体験につながる社会はどこまでさかのぼれるかどうかいうと、だいたい室町時代ぐらいまでさかのぼれるというのがこれまでの研究の常識になっています。つまり、ほぼ十四世紀に南北朝の動乱という大きな変動がありますが、それを経たあとと、それ以前の十三世紀以前の段階とでは、非常に大きなちがいがある。十五世紀以降の社会のあり方は、私たちの世代の常識で、ある程度理解が可能ですが、十三世紀以前の問題になると、どうもわれわれの常識ではおよびもつかない、かなり異質な世界がそこにはあるように思われます。

    いわば、現在の転換期と同じような大きな転換が南北朝動乱期、十四世紀におこったと考えられるので、この転換期の意味を現在の新しい転換期にあたってもう一度考え直してみることは、これからの人間の進む道を考えるうえでも、また日本の文化・社会の問題を考えるうえでも、なにか意味はあるのではないかと思うのです。そこて、この十四世紀の転換点が具体的にどういう形で現れているのかをお話してみようと思います。

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