原研哉

いずれにしても、デザイナーは分断され、パッケージ化されたデザインを供給する職能ではない。もしもそういう錯覚が社会に発生しているとするならば、僕らはそれを払拭しなくてはならない。当然のことだが、あらゆるコミュニケーション、あらゆるメディアにデザインは有効である。コミュニケーションに関与するデザイナーの仕事は、物事の本質を把握し、それに相応しい情報の形を与え、最適なメディアを通してそれらを社会に還流させていくことである。古いメディアに執着する姿勢も、新しいメディアに固執する姿勢も不自然である。

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One Response to 原研哉

  1. shinichi says:

    デザインのデザイン

    by 原研哉

    (2003)

    現在のデザインは、テクノロジーがもたらす「新奇な果実」を社会にプレゼンテーションする役割を担わされ、ここでも歪みを加えられている。「今日あるものを明日古く見せる」ことに力を発揮し、好奇の食卓に「新奇な果実」を供するサービスになれたデザインは、新しいテクノロジーに従えられた格好で、さらにその傾向を強めてきているのである。

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    21世紀は、みたことがないようなものが生み出されて、何を次々と革新していくのだろうと考えていたが、そういう発想はむしろ20世紀に置いてくる方がいい。新しい時代は、知っているはずの日常が、次々に未知化されるように現れてくる。いつの間にか携帯電話がコミュニケーションの主役に座っているように、見慣れた日々のあらゆる隙間から、未来は少しずつ僕らの目の前に姿を現し、気がつくと僕らは未来のまん中に座っている。新たなものが「波」のように海の彼方から押し寄せてくらようなイメージは過去のものである。

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    つまり問題はいかにマーケティングを精密に行うかということではない。その企業がフランチャイズとしている市場の欲望の水準をいかに高水準に保つかということを同時に意識し、ここに戦略をも持たないと、グローバルに見てその企業の商品が優位に展開することはない。これが、問題なのである。ブランドは架空にできあがるものではない、やはりそのフランチャイズとなる国や文化の水準を反映している。

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    顧客の本音に寄り添った商品はよく売れるが、これは一方でマーケティングを通した生活文化の甘やかしであり、この反復によって、文化全体が怠惰な方向に傾いていく危険性をはらんでいる。そこに生み出される商品は、グローバルな視点で見た場合に。かならずしも他の市場を啓発するような力を持ち得ない。

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    デザイナーは本来、コミュニケーションの問題を様々なメディアを通したデザインで治療する医師のようなものである。だから、頭が痛いからといって「頭痛薬」を求めて患者に簡単にそれを手渡してはいけない。診断するとそこには重大な病気が隠れているかもしれない、時には手術も必要になろう。それを発見し最良の解決策を示すのがデザイナーの役割である。「頭痛薬」を売ることに専念しているデザイナーは安価な頭痛薬が世間に流通すると慌てることになる。
    いずれにしても、デザイナーは分断され、パッケージ化されたデザインを供給する職能ではない。もしもそういう錯覚が社会に発生しているとするならば、僕らはそれを払拭しなくてはならない。当然のことだが、あらゆるコミュニケーション、あらゆるメディアにデザインは有効である。コミュニケーションに関与するデザイナーの仕事は、物事の本質を把握し、それに相応しい情報の形を与え、最適なメディアを通してそれらを社会に還流させていくことである。古いメディアに執着する姿勢も、新しいメディアに固執する姿勢も不自然である。

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