安宅和人

「人工生命」という研究分野があります。仮想空間で人工的に造った生命体の変化プロセスから、生命に関するシステムに迫る学問です。この分野で、興味深いファインディングがあります。
外的な影響を受けない「閉じた環境」において、同じ初期値で、モデルを同じにして生命体の進化を観察しても、毎回異なる結果になる、ということです。シンプルにモデル化されたクローズな系でもそうだということは、それよりもはるかに要素が多く、閉じた系とはいい難いこの地球上では、仮に過去と同じ出来事がすべて繰り返し起きたとしても同じ人類は生まれない、ということ。そんな環境下で我々は生きているわけです。数秒後とかならともかく、未来の本当の姿を予想できると考えること自体が非科学的なのです。

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2 Responses to 安宅和人

  1. shinichi says:

    「ブレードランナー」な暗黒未来を迎えるのか、豊かな「風の谷」を創るのか

    安宅和人 x Future Society 22

    http://www.future-society22.org/blog/ataka

    未来の社会はどうなるのか?――そんな問いかけは非科学的で意味がない。未来とは、技術的進化と社会的課題と意志の掛け算。技術分野では、デジタル、マイクロマシン、そして生命など、「見える世界」から「見えない世界」での産業革命に突入する。あとは、私たちが「社会的な課題」を見据え、みずからの意志で豊かな社会を創り上げていくことだ。 ディストピアの社会を迎えぬために、今、私たちがやるべきことは多い。(Future Society 22)

    **

    ――Future Society 22では、豊かな未来の社会像を求め、各分野の専門家の方々に未来のお話を聞いています。マッキンゼーにいた頃、安宅さんを慕うメンバーによる自発的な繋がり、「安宅塾」のメンバーだった僕(=柴沼)としては、Deep thinkerであり、データサイエンティスト、脳神経科学者でもある安宅さんには、ぜひお話を伺いたいと思っていました。よろしくお願いします。

    安宅: こちらこそ!

    ただ最初に言っておきたいのは、そもそも、未来の社会がどうなるのか、という問いかけ自体が科学的にはあまり意味がないということです。

    「人工生命」という研究分野があります。仮想空間で人工的に造った生命体の変化プロセスから、生命に関するシステムに迫る学問です。この分野で、興味深いファインディングがあります。

    外的な影響を受けない「閉じた環境」において、同じ初期値で、モデルを同じにして生命体の進化を観察しても、毎回異なる結果になる、ということです。シンプルにモデル化されたクローズな系でもそうだということは、それよりもはるかに要素が多く、閉じた系とはいい難いこの地球上では、仮に過去と同じ出来事がすべて繰り返し起きたとしても同じ人類は生まれない、ということ。そんな環境下で我々は生きているわけです。数秒後とかならともかく、未来の本当の姿を予想できると考えること自体が非科学的なのです。

    ――同じ出来事があっても同じ結末を迎えない以上、「過去」を遡っても意味がない。未来を予想するにしても再現性がないんだから、科学じゃないので当たらない。

    安宅:そうです。でも、じゃあ、未来のことについて考えることにまったく意味がないかと言えば、そうではない。「我々はどういう世界をつくりたいのか」「どういう世界を目指すのか」という問いかけには意味があります。我々の「意志」を問うているからです。

    技術だって、「将来このように技術が発展するだろう」というざっくりとしたトレンドは語れますよ。でも技術は技術でしかありませんし、見えるのは方向性にすぎません。その技術を何のために使うのか。社会的に抱える課題と、「解決したい」という人たちの「意志」が合わさって、はじめて現実社会にモノやサービスになって登場してくるのです。未来は「課題(夢)」×「技術」×「デザイン」の掛け合わせで現実になるからです。

    確変モードに突入した「3大トレンド」

    ――なるほど。この3つの要素のうち「技術」の進化に関しては、大きな動きがありそうですね。

    安宅:進化が激しい。「確変(確率変動)モード」に突入したかのように、振れ幅が大きくなっています。

    まず一つ目が情報処理と利活用周りの進化です。コンピュータの処理能力が急速に進化し、扱えるデータ量が膨大に増え、アルゴリズムも高度化しています。情報処理そのものの自動化が進むことで、「人間じゃなくてもできること」が急速に増え始めています。「クルマの自動運転」が急に現実味を帯びてきたのもそう。工場以外でのロボットが増えはじめたのもそう。AI×ビックデータの掛け合わせで「人間じゃないとできなかったこと」が減り、「ロボットもできること」が増え、その境界線が変わってきています。

    2つ目が「ものづくり」の進化です。これも「確変モード」に突入してきました。2016年、「分子マシンの設計と合成」に貢献してきた3氏(ジャンピエール・ソバージュ(Jean-Pierre Sauvage)、J・フレーザー・ストッダート(J Fraser Stoddart)、バーナード・フェリンガ(Bernard Feringa))にノーベル化学賞が贈られましたが、これは歴史的な出来事でした。分子マシンにノーベル賞が出たということは、産業化まで「あと一歩」という意味。

    見えない機械を服に塗り込んだり、身体内に注入して身体をモニタリングしたり、病気を治療してくれたりする、まるで映画『ミクロの決死圏』の世界が現実に近づいてきました。「見えるスケールのものづくり」から「見えないスケールのものづくり」へのシフト。そもそも、分子レベルで動く機械って力学的な方式と言うより、化学反応で動くのですから。サイズ的にも機能的にも「機械の常識」が変わるんです。

    3つ目に確変モードに突入したのが「生命」です。2017年夏に、世界的な科学雑誌『Nature』で重大な論文が掲載されました。遺伝子を編集した「人の胚」を作ることに成功したというのです。ちなみに、これは胚なので子宮に戻せば子供として生まれてきます。これまで人のような高等な霊長類でのクローンすら極めて困難であったのに、突然、遺伝子を望むように改変したデザイナーベイビーまで視野に入ってきたということです。これは我々のような、昔からのライフサイエンティスト(生命系の科学者)にとっては、極めて衝撃的な一歩と言えます。人類は壁を超えたのです。もはや我々が遺伝子操作できる対象は、これまで親しんできたウイルスや大腸菌、マウスやラットだけではないのです。

    1953年、ジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックが、DNAの二重らせん構造を解明しました。これと、これに引き続く様々なセントラルドグマ的な発見の意味は、多くの人に正しく理解されていません。生命の持つ遺伝情報はデジタルである、ということが一つ。そしてもう一つは、生命とはデジタル信号をアナログ化するD to Aコンバータ(デジタル-アナログ変換回路: digital to analog converter)だ、ということがもう一つです。

    我々の生命の持つ遺伝情報はDNAであれRNAであれ4つの塩基で出来ている、つまり生命情報は4進法で書かれているのです。しかし、そもそも一つの細胞が父方と母方からの2つのゲノムを持ち、ヒトの場合、合わせて60億塩基対もある。データとしても極めて大きく、なかなか自由にはさわれなかったのです。ちなみにExcelはかなりの大きなデータを扱えるようになりましたが約100万行(220)しか入りません。

    我々人類は、これまでも、大腸菌やマウスなどの実験動物ではこのデータそのものを自分たちで編集してきたのですが、ついに難攻不落のようであった人間自体も、その対象になったのです。データサイエンスとライフサイエンスがダイレクトにつながっていきます。これがビッグデータやAIについての技術の革新期と重なり合って起きるところに、大いなる歴史の偶然を感じます。

    見えない世界が主戦場に。ビジネスはどうなる?

    ――どれも「見えない世界」の進化ですね。産業の捉え方も変わりそうです。

    安宅:ですね。いままで多くの人が「ICT (information, communication, and technology) 産業」と「非ICT産業」、あるいは「new economy」と「old economy」のような言い方をしてきたわけですが、全産業がICT化します。

    1万年以上前からあると思われる最古の産業の一つ「農業」も変わります。事実、データとAIの活用によって照射光までも最適化する試みが始まっています。同じく大変古くからある「小売業」も変わり、店自体がなかば知性を持つようになります。エジプトから1万年以上前の布が出土していますが、その末裔であるアパレル業界だって変わります。あのリーバイスから生地がスマホ化したジージャンが出るような時代です。

    農業、小売り、アパレルという有史以前からある産業でさえICT化するのですから、ICT化しない産業はないと考えるべきです。

    そして、多くの産業が「アフター寄り」になっていくでしょう。これまでの、モノを売ったら終わり、サービスを一回提供すれば消費者との関係も切れる、そんな「一回きり」で終わるサービスではなく、一度つながったお客さんとは売った後にも付き合いが続くようになります。これはデータやAIの世界の必然です。常にアルゴリズムであり、パラメーターを刷新し、ハードも定期的に見直していく必要があるからです。この間、発売になったSONYのAIBOもそうです。あの毎月の数千円がないと、やはり正しいパフォーマンスをしなくなるのです。

    これまで無関係だと思われていた産業同士の連携も増えるでしょう。人・モノ・カネといったハードだけじゃなく、「見えないもの」のバリューチェーンが増えるんです。

    ――「見えないもの」のバリューチェーンとは?

    安宅:たとえば、鉱山で金を掘り出し、工場で精錬し、ファッションデザイナーがアクセサリーとして店頭を飾る。これらは「見えるもの」のバリューチェーンの例です。一方、人・もの・カネが動くプロセスでは、同時にいろんな情報が生まれていたにも関わらず、その情報を集めて精錬、加工し組み合わせて、さらに高度に活用するという仕組みはなかった。それが、データ同士、データから生み出されるインサイトを突き合わせ、組み合わせることで新しい価値を生むことが分かってきたわけです。

    これが、いわゆる「プラットフォーマー」たちが様々なデータホルダーと連携しつつ、やっていることなのです。今後は、いろんな業界で展開されるでしょうし、これらのデータがロボットやマイクロマシンなどの「機械」や、「生命」ともダイレクトにつながっていくことになるでしょう。

    ――見える世界、見えない世界を同時に考えないといけない。

    安宅:見えるもののバリューチェーンが、リアルな「実数軸」の世界だとすれば、「見えない」バリューチェーンは「虚数軸」の世界。ビジネスとしては、実数と虚数を同時に扱う「複素平面」でのベクトルを伸ばすことを考えないといけない時代に突入しつつあります。

    この背景には、先進国および中国が人口調整局面に突入し、当面人口、とくに消費の中心である生産年齢人口は減る一方であることが大きく効いています。既に規模の大きい大企業にとって、このトレンドは事業価値を縮小させる方向にしか働かないからです。

    この虚数軸では、米国GAFA(Google, Amazon, Facebook, Apple)や中国のBAT(Baidu, Alibaba, Tencent)が先行していますが、今後も強いのかといえばそうとも限りません。データ×AI的なゲームには、画像処理、音声処理などの情報の入口側と、クルマの運転、病理診断、先ほどの農業の自動化など最終用途側の出口側があります。

    米中のプラットフォーマーが圧倒的に強いのは入口側です。市場の出口側、消費者と繋がっているエリアは、発生する情報もドメイン知識もそれぞれの領域の主要プレーヤーが握っているからです。これら出口側での戦いはまだ始まったばかり。多くの分野で相当のプレゼンスがある日本企業には十分にチャンスがあるでしょう。

    『ブレードランナー2049』のようなディストピアを我々は望んでいるのか

    ――AIの話もそうですが、「見えない世界」「未来の話」にはなんだか不安がつきまとうんですよね。

    安宅:こういう話をすると、日本に限らず米国、ヨーロッパどこでも同じで、なんとなく会場に「不安」が立ち込めるんですよ。「AIは人間を超えるだろう」「人間はもはや要らない」「人間は人間につくった機械に殺されるであろう」――みんな、そんな方向を見ているんですよ。

    映画『ブレードランナー2049』を観ましたか? ブレードランナーの続編。そこで描かれていた世界が強烈なディストピアです。自然環境の多くが動物、植物がまともに育たたない状態に陥り、人間たちは極端に都市に集中して生活している。当然のようにかなりの場所がスラム化している。人間は孤独で、自分たちの技術が作り出した存在(レプリカント)と対立しあっている。腹を割って話せる相手は仮想空間に生きる女性アンドロイドぐらいなもの。多くの人の不安を、そのまま映像化したような世界です。

    ――前作以上にリアリティがありますね。

    安宅:美しい映画ですが、描かれているのは悪夢のような未来です。

    ここで話はちょっと変わるんですが、僕の田舎は室町時代の地図にも普通に載っているような北陸の昔からの漁村なんです。旧北陸道沿いで、軽く千年以上も前から人が住んでいたような場所。海は近く、魚は多く、川も多く、水に恵まれ、どこを掘っても豊かでキレイな井戸水が吹き出てくる。稲も植えればバンバン育つ。そんなとても豊かな土地です。僕が小学生の頃は、町内に小学生だけで10数名いました。

    ところが、今どうなっているかといえばその町内に小学生はなんと1人しかいない。世帯主は40年前と同じか、もう人が住んでいない家も多い。限界集落になりかねない状況です。いま、こんな場所が日本全国に増えています。ニュースにも流れましたが、郵便局員がいなくて集落が回らなくなった町もあります。

    ランドスケープデザイナーの友人がいるのですが、彼が言うには、「数年前までは、なんとか限界集落を立て直したい、という相談が多かった。でも、この数年は潮目が変わり、限界集落をいかに終わらせるか、という相談が主になっている」と。これらの多くは縄文時代から人が住んでいたようなところということです。山や海があり、水や自然に恵まれ、人間が本来住むのに最も適した場所なのです。

    この現象は日本だけじゃありません。

    昨年(2017年)夏、フランスのプロヴァンスに出かけました。フランスの最も美しい村に選ばれた「ゴルド(Gordes)」がある地域です。確かにゴルドには、フランスのみならず、ヨーロッパ中から多くの観光客が訪ねています。

    しかし、その10km圏に、0.85ゴルドぐらい美しいのに、10分歩いても人一人出会わない村がある。本当に美しい、千年以上も歴史のある、本来人間が住むのにとっても適したところなのにです。有名な観光地からほんの少し離れるだけで限界化した集落があるんです。この間TIMEの特集になっていましたが(2018/1/27号)、人口の都市集中に伴う限界集落問題は、なんとテクノロジー大国アメリカでも顕在化しつつあります。

    これはおかしくありませんか。

    昔に比べれば、人間ははるかに多い。それなのに、人が足りないと言って限界集落化する。日本の場合、たとえ江戸時代と比べても人口は約4倍です。縄文時代などと比べれば数十倍はいるでしょう。また、本来テクノロジーというのは人間を開放するためのものです。100人や1000人でやっていたことが、1人でできるようになるものです。産業革命、そして情報産業革命というべきデータ×AIの力が生まれている中で、このような極端な都市集中と古い集落の限界化が世界的に起きている。

    単なる「人口移動」や「都市の寿命」の問題ではないのです。生命としての人にとって、本来適した環境であっても、効率が悪くなれば街や村が簡単に死んでしまうのが「現代の都市化」なのです。モノやサービスのデジタル化、産業の自動化もこのまま進めば、さらにアンバランスで極端な都市化が進みます。

    僕らは、このまま「ブレードランナー的な都市集中型のディストピア」に向かっていくのか、「人がもっと技術の力を活用し、自然と共存し、豊かに生きられる社会」に進むのか。その岐路に立っているのではないか、と思うのです。

    「風の谷」プロジェクトで、先端テクノロジーとシンプルな集落を共存させる

    ―― Future Society 22が言っている「人が豊さを感じる未来社会」もそうなんです。技術主導の未来論からは楽しさ、豊かさを感じることができない。もっと「人に寄り添った価値観」を広げていかなといけない、と感じています。技術は技術だけでしかない。未来が技術×課題×意志(デザイン)の掛け合わせである以上、どんな未来にしたいのか、「意志」が大事ですね。

    安宅:その通りです。ディストピアの巨大都市の片隅で細々と生きるのか、限界集落の最後の住人になるのか――。僕たちの選択肢はこの二つだけじゃないんですよ。限界集落とは違った新しいコミュニティを築きあげる道もある。

    例えばですが、技術の力を使って自動化できるものは自動化し、自然と共存する社会を創ろうと思えば、いまなら創れるはずです。最先端のテクノロジーを使った自動運転や農業、遠隔医療、ドローンを使った配送も使えます。世代を超えたシェアハウスもあれば、ネットを使った教育を導入してもいいのです。四六時中そこにいる必要もない。週に何日かは街に行って仕事をしてもよいのです。必ずしも同じではないですが、風の谷のナウシカの「風の谷」のような。

    古い集落では、確かに地縁血縁また慣習も強くて、このような取り組みは極めて困難かもしれない。よそ者が来ることを拒みがちですし、新しいアイデアを試すことに抵抗が大きく、うまくいかないでしょう。

    しかし、限界集落なのであれば、一度ここで廃村、というか一旦リセットして、今までは試みが難しかったことも含めて、様々なアイデアを試すことが可能なはずです。そうすれば、全く新しい形で、その土地本来の良さを活かしつつ再生することができる。Star WarsのA New Hope(エピソード4:新たなる希望)のルークが育った風景のような、砂漠地帯でも構わない。

    このアイデアは、鎌倉の建長寺で「100年後に語られる一歩を創ろう」というコクリ!プロジェクト(※)の集りに参加しているときに偶然おりてきたもので、「風の谷」プロジェクトと名付けました。共感してくれる何人かの同志と、すでに活動を始めつつあります。1つと言わず1000でも、日本に限らず世界中で作れるだろうと思っています。まずは1つか2つでいいから、このビジョンに共感してくれる候補地を探し、試行錯誤しつつ、回る形を作ることが第一だと考えています。

    ※コクリ!=co-creation!

    ――面白そうです。

    安宅:僕が仕事でお会いする霞が関や企業、大学の人たちにこの話をすると、反応がいいんです。自分が田舎に帰り、首長になって、そこのどこかの土地でやりたい、といってくれる方もいる。民間でも関心をもってくれる人たちが少なくない。いままで反応が悪かったのは1人だけです。

    ――え。逆に、反対した1人が気になりますね。

    安宅:いきなり「うーん、コストが」とか言い出した人が1人いました。別に国に頼ろうなんて思っていませんし、その人が働く省庁に金を出してくれと話したわけではないのですが(笑)。

    まずは、「風の谷」に提供できるものを持っている人たちが集まればいいんです。そもそも答えがよくわからないので、圧倒的な情熱のある人が知恵を出し合って、しつこくやるしか無い。知恵ある人は知恵を、技術ある人は技術を、労働力のある人は労働力を、愛ある人は愛を、お金のある人はお金を。世界全部を変えようとしているのではない。未来に対してオルタナティブ、別の選択肢を生み出したいだけなのです。

    このコミュニティには最初から学校は創れないので、子どもがはじめはいないと思いますが、将来的に子どもがここで育つようになれば、教育は大胆に変わっていくべきだと思いますね。自然の中で暮らす力を育て、機械や道具も使いこなし、徹底的にサバイバル能力を鍛える。それと同時に、さまざまな科学やテクノロジー、人間の生み出すもの、生み出してきたものに関する知識だけでなく、知恵も、さらにそれらを使う力とそこに伴う落とし穴も、ネットや専門家、具体的な日々の試みを通じて身につけてもらう。

    人間が蓄積し、生み出してきたものへの皮膚感覚での理解に加え、科学やテクノロジーを道具として使いこなし、新たなものを生み出す力があるかどうかは、ますます重要になっていきますから。

    ――「技術の進化で、人間は勉強しなくてもよくなる」という予測もありましたが、逆ですね。

    安宅:「イノベーション」って異質なものの組み合わせですよね。どこが異質なのか。どこに組み合わせるべき要素があるのか。それを考えるだけの知識があり、多面的に理解できる素養がないとできないです。例えば、先ほど例に上げた「分子マシン」の図を観て何も感じないようでは困ります。

    結局、人間は自ら動いて感じて知ったことしか、理解できないし楽しめないんですよ。僕は昔から「手から知性が生まれるし、人間は手を使わないことから滅びる」「世の中、目に見えないものばかりなんだから、自分で感じ取ること、知覚が大事」と思っているのですが、これからは、もっと「よく見て」「よく感じ」「よく動く」ことが必要でしょうね。

    (参考資料:「分子マシン」について Wiki/図版

    ――僕、安宅さんと一緒に働いてた頃、よく「しばちゃん、よく見てよー」「見えてないでしょー」と言われていたことを思い出しました(笑)。

    安宅:(笑)例えば、このコカ・コーラに入っているペットボトルを単なる「容器」と見るか、原材料のポリエチレンテレフタラートの塊と見るか。このカタチや感触から得られるものから更に考えるか。単に目で見える以外のイミの方がはるかに多いんです。

    でも、感じるための素養がないと見えないでしょ。AI、データ分析、ハイテクだって同じなんです。見えないけど、自分の道具としてガンガンに使う人になるのか、なにもしないままの人たちに分かれるでしょうね。

    シンギュラリティの前に考えるべきこと。日本という国の未来。

    ――話はちょっと変わりますが、安宅さんは、「シンギュラリティの議論より、もっと近い未来にいくつも課題がある」と言っていますよね。それは何でしょうか。

    安宅:近い未来、日本をとりまく内外の環境は大きく変わる。ただ、全部しゃべっていたらキリがない(笑)。だから、数例だけ言うと…。

    例えば「覇権国家・中国」です。

    中国はあと10年以内に、名目でも実態でも経済的にトップになります。これは僕らの子どもやその子どもが死ぬまでそうである可能性が相当に高い。そもそも数百年前まで、中国とインドは長期に渡り1位か2位しか経験したことがない国であり、実はこの200年だけが異常値。単に正常に戻ってきただけとも言えます。

    そして中国が世界のGDPの2、3割を占める一方で、米国的経済・文化圏の地位は相対的に下がっていきます。かつて15%近かった日本のプレゼンスは5%を割る可能性が高い。そこで中国は、これまでの覇権国家と同じように、自分の国を基準にしたプロトコルを世界中に求めはじめるでしょう。

    実際、すでに中国では「英語教育は不要だ」という議論が出はじめています。近隣国である日本はこうした動きと無関係ではいられません。外交、経済、文化、教育内容を含めて影響が出ます。にも拘わらず、こうした歴史的大転換を迎えるための議論はほとんどされていません。

    ――歴史的変節点が来るということですね。

    安宅:はい。あと日本最大のビックイシューは、国のお財布、国家予算ですよ。

    驚くべきことに、日本は1990年からこの27年間、国家として普通に想定する支出が約26兆円とほとんど変わっていないのです。そのうち、国防が組織維持のためのミニマムレベルで約5兆円(ちなみに米国は約60兆円)なので、それを引くと約21兆円です。この27年間、国の予算はひたすら増大し、一般予算+社会保障予算が現在 約170兆円もあるのに、です。

    未来からお金を借りつつ、ひたすら社会保障費 約120兆円と、半ば過去の社会保障費の残債である国債の支払い約25兆円に突っ込み続けています。これを国と地方財政から年に45兆円以上も補填して支えています。

    社会保障費のうち、ざっくり約100兆円は、国家功労者だが引退層である65歳以上の方々への費用(主として年金と医療費)です。ちなみに社会保障費は2025年には財務省の予測では約150兆円になります。社会保険料収入約70兆円でおさめるなら良いですが、変わらず一般歳出で補填する必要があるとすると、先ほど26兆円といった普通の歳出をゼロにしても払えない額です。

    その一方で、若い世代への投資、未来の成長力に使うお金が削られ続けています。

    研究機関や大学にかけるお金は、主要国の中で貧弱過ぎます。国を支える大学同士で比べると、東大・京大の学生辺り予算は米国主要大学の3〜5分の1です。科学技術予算を見ると、この歴史的な技術革新期に、2004年以降、韓国は倍、ドイツは1.4倍にしている中で、日本は増やすどころかむしろ減少傾向です。将来の研究、技術開発および教育を担うPhDを、借金しないと取れない主要国は日本ぐらいです。大学教授の給与は世界的には日本の倍以上が現在水準になっているのに、30年以上据え置きで、PhD学生と共にトップレベルの才能の流出が顕在化しています。今、技術革新を引き起こしている一つの中心である情報科学系の国研の予算も削られています。

    ――日本の国力そのものに直結する話です。

    まさに。その結果、国際競争力を示すデータを見ると既に順位が急激に落ちています。一人あたりGDPは、1990年代前半は3位で小国を除くと主要国の実質トップでしたが、今は26位。58年前、1960年のときの順位にまで落ちています。事業価値ランキングでは国内トップのトヨタがほぼ50位。Tencent、Alibabaを10位以内に持つ中国はおろか、12位のサムソンを抱える韓国にも企業単位では完全に敗北。

    科学論文シェアは2004年ぐらいまで15年近く米国の次で2位でしたが、今は5位です。ノーベル賞などにつながるような引用の多い論文では既に6位で、人口5千万人しかいない韓国に数年以内に抜かれるかどうか、という状況です。正に貧すれば鈍する、なのです。この状況下で、「研究者に更に生産性を上げろ」という人がいますが、過酷すぎます。まるで先の大戦中です。なぜこれほど豊かな国で「欲しがりません、勝つまでは」を、研究者だけやらなければいけないのでしょうか。

    成長の源に一切投資をしないで、所得以上にひたすら借金を増やして過去に使い続ければどうなるか。これが家計だったら、破綻して一家離散。企業なら倒産です。

    国は一つの家族のようなものです。我々はお父さんお母さんの稼ぎより多くの額を、借金までしてしておじいさんおばあさんにつぎ込み、これからの未来を担う子どもたちや若者たちに、今のみならず、未来にまで犠牲を強いているのです。当然、勤労層の我々も産業の競争力、生産性が上がらず疲弊している。

    それでも、国家はそれを続けている。ストラテジスト的に見れば正当な戦略的説明がつかないんです。大切なお金の使い方が、投資になっていないのです。ここは踏ん張って、社会保障支出を見直し、年にあと5兆円だけでもいいから、未来にどうしても僕らは張らないといけない。お金はあるのですから。

    でも、このことを誰も分かってないのかといえば、そうではない。財務省も主計および幹部の方々は理解していますし、日銀も分かっています。それでも動かないこと自体が、問題です。今の法律に縛られた彼らでは動けないのです。民意を変えるしかないのです。

    AIやシンギュラリティなど技術軸での議論は大事。大事ですが、そもそも「自分の仕事がロボットに奪われる」前に、日本に企業や産業がないかもしれない。日本という国が成り立たないかもしれない。

    僕らは、後に続く世代のためにどんな未来を残したいのか。次世代に対して責任を感じる大人たちの「意志」が、問われているのだと思います。


    安宅和人(あたか・かずと)

    ヤフー株式会社チーフストラテジーオフィサー。慶應義塾大学SFC特任教授。データサイエンティスト協会理事。応用統計学会理事。東京大学大学院生物化学専攻にて修士課程修了後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。4年半の勤務後、イェール大学脳神経化学プログラムに入学。2001年春、学位取得(Ph.D.)。ポスドクを経て2001年末、マッキンゼー復帰に伴い帰国。マーケティング研究グループのアジア太平洋地域における中心メンバーとしてブランド立て直し、商品・事業開発に関わる。2008年9月ヤフーへ移り、COO室長、事業戦略統括本部長を経て2012年7月より現職。途中、データ・ソリューション部門および研究開発部門ほかを統括。国の人工知能技術戦略会議 産業化ロードマップTF副主査、内閣府 官民研究開発投資拡大プログラム (PRISM) 運営委員、経産省 産業構造審議会 新産業構造部会 委員ほか公職多数。著書に『イシューからはじめよ』(英治出版)がある。

  2. shinichi says:

    (sk)

    安宅という人は、一方で「未来の本当の姿を予想できると考えること自体が非科学的なのだ」と言いながら、他方で未来を断定形で語る。

    ビジネス・スクールを出ていなくても、マッキンゼーにいただけで、人はこんなふうになる。

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