小笠原泰

よく考えれば、ゴーン氏は日産の日本人経営陣にとって、本当は日産に対するフランス政府からの影響を排除してくれる存在でもあり、日産のグローバル企業への脱皮を促す存在であった。それを今回の逮捕により、フランス政府を前面に引き出してしまい、そのために日本政府を引き出すしかなくなった結果、日産はめでたくグローバル化できない日本企業になったということだろう。これが、西川社長のいう「日本企業としての自主独立」なのであろう。また一つ、グローバル化適応の失敗の例、つまりシーラカンス化の例が一つ増えるということだろうか。
今回の一件は、国際政治経済の観点で捉えれば、グローバル化によりパワーが減衰する国家がナショナリズムを利用して、パワーを増強しようとして、国からの離脱を試みる企業を叩くことによって、国民に主権回復を印象付けるという事例である。企業同様に国家が競争力を高める必要に迫られるなかで、これはむしろ目先の国家の生き残りの手段といえるのかもしれない。
日本に関していえば、既存のレジーム(=既得権)を脅かす社会変化(今回は大企業の日本離脱)をもたらす者は日本人でなくとも叩くということを内外に示したことになろう。その代わりに、日本に優秀な外国人経営者ばかりでなく、高度な外国人人材も来なくなるだろう。

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One Response to 小笠原泰

  1. shinichi says:

    日産、実質“国有化”シナリオ…自主独立は幻想、ルノーと日仏政府から逃れられない

    by 小笠原泰/明治大学国際日本学部教授

     仏ルノーは24日、金融商品取引法違反(有価証券報告書虚偽記載)と会社法違反(特別背任)の容疑で逮捕・起訴されていたカルロス・ゴーン会長兼CEO(最高経営責任者)の辞任を発表し、後任の会長に仏ミシュランCEOのジャンドミニク・スナール氏、CEOには現CEO代行のティエリー・ボロレ氏が就任すると発表した。

     今回で最後の論考となるが、最終的にルノーと日産自動車という私企業の問題に、日本政府(経産省)が“神の手”をさし伸ばす可能性と必然性が出てくるのかを検討してみる。

    落としどころはどこか

     ここで、今回のゴーン氏逮捕の落としどころを考えてみたい。

     前述したように、アライアンス解消の可能性はほとんどない。そして、もし日産がルノー株を10%買い増しすれば、アライアンス解消と解釈されるので、株主に拒否されるだろうから実現性は低い。企業としての自主独立を勝ち取ったとみえても、企業は衰退するという選択であろう。

     また、現状の非対称な持ち合い株構成を維持しようが、対等な持ち合い株構成としようが、「アライアンスの維持」という精神論だけでそれが長期的に安定するとは、市場では考えられないだろう。日産の論理は「成長した子どもは親と対等であり、自主独立するのが当然」というものであるのに対し、ルノーの論理は「対等にはならない」という考えだからだ。この両社の違いは、アライアンスの長期的安定には負の方向に作用する。

     加えて、ルノーが仮に日産株の20%を放出すれば、ルノーには1兆円近くのキャッシュが入るが、これを誰が取得するかが注目される。投資ファンドなどが購入すれば、明らかに日産の経営は不安定になる。これを避けるためには日産が購入するしかないが、1兆円近くをどう調達するのだろうか。果たして、株主はこの株式購入の投資対効果を高いと評価するだろうか。残る選択肢は、日本政府の指示によるメガバンクか政府系金融機関による購入だが、これは政府の介入にほかならない。

     また、どう理屈をつけて否定しようが、1999年のルノーの救済による日産の復活とその後のアライアンスの成功という20年の歴史は、圧倒的に不均衡な資本構成と強力なゴーン氏によって成し遂げられた。その認識がルノーの基底に揺るぎないものとして存在する。当時ルノーから資本注入を受けた8000億円はすでに十分に返したという西川社長の発言は、金銭がすべてではなく恩義を尊べと教える日本社会の美学に反していないだろうか。

    日本政府の介入の必然性

     前述のとおり、ルノーと日産の間には支配と独立の相反するベクトルが存在するので、ルノーが完全に日産を吸収しないかたちでのアライアンスの長期安定を望むのであれば、市場原理と組織の対抗を牽制する存在として国家の直接介入が必要となる。これが経産省が目論んでいたことかもしれない。日産にとっての白馬の騎士は、実は東京地検特捜部ではなく経産省だったのかもしれない。

     また、前述のようにルノーとフランス政府のインタレストは必ずしも一致せず、ルノーが資本の論理で押し通せば、フランス政府と日本政府の関係に悪影響を及ぼす可能性がある。マクロン大統領としても、それを考慮せざるを得ないだろう。オールジャパンはフランス政府の譲歩を期待しているのかもしれないが、楽観的過ぎる。フランス政府がルノーの大株主であることを簡単に放棄することはあり得ないので、必然的に国家間のインタレストの調整となるであろう。

     それを示すかのように、ゴーン氏の後任人事が発表された翌日の25日に、フランスからの要請で、安倍首相はマクロン大統領と電話で会談し、「フランス自動車大手ルノーのトップ刷新を機に日産自動車とルノーの協力の円滑な進展に期待することで一致した」と報じられている。安倍首相は「具体的な進め方は日産とルノーの当事者間で話し合ってほしい」と語ったという。

     その会談のなかでマクロン大統領は安倍首相に、ルノーのスナール新会長が日産会長も務めることが適当であり、ゴーン氏についても「早期釈放が望ましい」と伝えていたと報じられている。安倍首相が「はい、そうですか」と受け入れるとは思えないので、2国間の課題となることは明らかであろう。

     そこで難しくなるのは、フランス政府と日本政府のインタレストを優先した場合、それが日産とルノーの株主にとって不利益であれば株は売られる。よって、両国政府はルノー・日産連合の企業価値を上げる方向で調整せざるを得ない。

     フランス政府はルノーの4分の1超の議決権を有する大株主であり、日産株の43.4%をルノーが握るので、両社の資本構成を多少見直したところで、フランス政府が日産の経営に影響を持つ事実は変わらない。これに対抗するには、日本政府が日産とルノーの一定規模の株主になるしか方法はないだろう。両国にとって、アライアンスの維持と拡大が必須であるので、対等合併してフランスと日本の政府が一定数の株式を保有するという選択肢もあるかもしれない。

     この成否は、市場が両国政府主導の対等合併は、日産とルノーが成長しながら資本効率を高めて時価総額を上げることができると評価するかどうかである。もし、評価されなければ、日産の将来は縮小均衡となるだろう。しかし、この合併は存続会社と本社所在国をめぐり揉めるのは間違いない。第三国にするという選択肢もあるが、これは両政府が嫌うので現実的には両社は両国政府の影響下でアライアンスの最適化を進めるしかないだろう。日産はルノーの介入から離れた途端に、今度は日本政府の介入を受け入れることになる。これが日産経営陣の望むところかはわからないが、フランス人よりは日本人のほうがましというかもしれない。

     これが、日産の日本人経営陣にとっての“神の手”である。安倍首相は依然として「民間企業に口を出さない」という建前を掲げているが、菅義偉官房長官は25日の記者会見で「関係者が十分に納得するかたちで議論が進むことが重要だ」とフランスサイドに釘を刺している。日本では法的根拠が不明な行政指導がまかり通っており、加えて金融緩和で日銀が大量のETF(上場投資信託)を保有しているため間接的に多くの大企業の筆頭株主は日本政府となっている。“間接的な総国営化”といっても良い。日産に請われての今回の介入は、経産省の望むところであろう。無駄に税金を投入することになるが、半導体も含めて日本政府が何度も行ってきた税金の無駄使いに比べれば、リターンは大きいかもしれない。

     これは平たく言えば、フランスと日本という国家がルノー・日産連合を太らせて食むという構図である。日産の日本人経営陣は6月の株主総会で無謀な賭けに出て、「すべてを失うよりはよかった」ということになるのだろうが、企業としてのルノーと日産にとって良かったかは別の問題である。

     両国でのインタレスト調整の過程で、雇用維持(日産も国内生産比率は15%あり重要である)も含めて、取り分の奪い合いが起こるであろうが、フランス政府がすでにルノーと日産の大株主であるので、基本的に日本政府が分け前をくださいと言うことになるのであろう。しかし、フランス政府と対等にはなるまい。そして、その分配比率は、下手な先手を打った分、日本に不利になるのではないであろうか。

    ゴーン氏逮捕の一件が示すもの

     よく考えれば、ゴーン氏は日産の日本人経営陣にとって、本当は日産に対するフランス政府からの影響を排除してくれる存在でもあり、日産のグローバル企業への脱皮を促す存在であった。それを今回の逮捕により、フランス政府を前面に引き出してしまい、そのために日本政府を引き出すしかなくなった結果、日産はめでたくグローバル化できない日本企業になったということだろう。これが、西川社長のいう「日本企業としての自主独立」なのであろう。また一つ、グローバル化適応の失敗の例、つまりシーラカンス化の例が一つ増えるということだろうか。

     今回の一件は、国際政治経済の観点で捉えれば、グローバル化によりパワーが減衰する国家がナショナリズムを利用して、パワーを増強しようとして、国からの離脱を試みる企業を叩くことによって、国民に主権回復を印象付けるという事例である。企業同様に国家が競争力を高める必要に迫られるなかで、これはむしろ目先の国家の生き残りの手段といえるのかもしれない。

     日本に関していえば、既存のレジーム(=既得権)を脅かす社会変化(今回は大企業の日本離脱)をもたらす者は日本人でなくとも叩くということを内外に示したことになろう。その代わりに、日本に優秀な外国人経営者ばかりでなく、高度な外国人人材も来なくなるだろう。また、国外のみならず「否認を続けたら保釈されない『人質司法』への非難の大合唱は、国内でも起きている」という日経新聞の記事を引用したが、意図せずして自ら招いた「ガイアツ」によって、これまでの検察捜査のあり方は大きく変わるのかもしれない。「ガイアツ」による変化というのは極めて日本的である。

     今回の論考は論理的な展開の予想であり、今後現実がこの予想どおりに展開するのか、大きく乖離していくのかを注視したい。

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