多仁照廣

日本旅行に随行した外務省調査部第二課の職員の報告である「ヒトラー・ユーゲント覚エ書キ」には、ヒトラー・ユーゲントが、どこへ行っても神社を見せられるために、「又神社力、面白クアリマセンネ。」という不満を言っていることが記されている。こうしたユーゲントに対して、外務省職員は、「天皇、皇室二関スル吾人ノ考へ、神社二対スル関係、コレガ吾国ノ本質的二他国ト異ル所ダ、兎ニ角コレ丈ハ解ツテ帰レ」と答え、天皇・皇室崇祥、神道を日本理解の本質と彼らに理解させようとしていた。そして、「日本精神」なるものを、「私達ガカウンテ働イテヰルノハ天皇陛下様ノ御陰デス、コノ土地ハ皆天皇陛下様ノモノデス、ツシテ天皇陛下様ノタメニ私達ハ此処二働イテヰルノデス。」「支那事変ノ経緯ヲ例へ知ラナクテモ出征トモナレバ、天皇陛下様ノオ為二私達ハ命を捧ゲル。(中略)コレが日本精神デス。」と説明している。この日本精神と天皇についての説明に対して、ヒトラー・ユーゲントは理解しがたかったことが報告されている。どの点が理解されなかったかというと、天皇が「神」であり、「過失なきもの」であるという点であった。彼らは、ヒトラーは「人間」であり、「過失を侵しうる」と考えていた。ヒトラーはフォルク(国民)であるが、天皇は天照大神の後裔で「神の子」であるという、外務省職員の説明には驚いていた。奈良はこうした天皇制を理解させる上で、もっとも「実物教育」に適したところであった。殊に、折から神武天皇が宮を建て、即位の礼を挙げたと伝えられる橿原に、明治二十三年に創建された橿原神宮の紀元二千六百年記念外苑造営労働奉仕への参加は、そのもっともよい実物教育の機会であった。

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