肝要なのはある事象についてなるべく多くのメディアから情報を入手し、メディアを保有する媒体社も営利を目的とする企業であり(これはNHKなどの公共媒体団体も大きな変化はなく、団体が解散すれば失業者が出る)利害が存在し、なおかつ媒体、行政機関、またはメディアに関わってくる各種団体などの組織に関わる人々には個々に思想があり、個々人ごとの社会や人間との様々なつながりがある事を前提にし、自分自身で時に自己批判をし、時に受諾しながらその都度考えていくことである。リテラシーの根本は、情報を与えられるその度に自ら考えることである。
ただし、先にも言ったように「事実は一つしかないが、真実は人の数だけある」ということを知っておくべきである。いかに客観的であろうとしても、自分の中で作り上げられた事実のイメージ(または真実と解釈しているもの)はその時点で既に偏っているのである。客観とは「どの程度主観から距離を置けるか」という問題であり、生を全うするために判断行動するという生物の根源的な動きがある限り、本当の意味で客観的な立場をとることは永遠に不可能なのである。
また、広告主を始め、自分が利用しているマスメディアと何かしらの繋がりがある存在(人物、企業、団体、政党、国家等)をあらかじめ知っておく、といった事も役に立つ。
メディア・リテラシー
http://ja.wikipedia.org/wiki/メディア・リテラシー
6 要因別に見た情報の偏りの例
6.3 情報操作
6.3.2 「語られない情報」の存在
(sk)
あまりにも日本的な文章。今の日本を理解するのにとても役に立つ。
「事実は一つしかないが、真実は人の数だけある」という文が好んで用いられるが、いったい誰の言葉なのだろう。
真理 (希: ἀλήθεια、羅: veritas、英: truth、仏: vérité、独: Wahrheit) とは、確実な根拠によって本当であると認められたこと。ありのまま誤りなく認識されたことのあり方。
真実 (希: ἀλήθεια、羅: veritas、英: truth) は、虚偽の反対語。本当のこと、偽りでないこと。歪曲や隠蔽や錯誤をすべて排したときに明らかにされることをいう。
ウィキペディアの真実の項から他の言語に行くと、英: satya、仏: satya、西: satya、露: Сатья。。。つまり、インドの哲学でいうところの真実、サティアにリンクされているのだ。
サティアって。。。サイババこそが真実。。。ていうわけ。。。ないだろう。。。ね。