Donald S. Zagoria

(“The Enigma Of Japanese Power” by Karel van Wolferen, reviewed by Donald S. Zagoria, 1989)
This is a harsh and irreverent portrait of the Japanese political system, culture and society by a Dutch journalist who has lived in Japan for more than 20 years. It has chapters with such titles as “The Japan Problem,” “The Elusive State,” “The System as Religion,” “In the World But Not Of It.” Contrary to the usual indictments the author does not claim that Japan is systematically setting out to establish economic hegemony over the rest of the world. Rather, his main argument is that for all their economic success, the Japanese have no responsible central government. No one is ultimately in charge; the political system is “rudderless” and out of control. How, then, does one account for Japan’s undoubted successes over the past several decades? Do not the Liberal Democratic Party, the bureaucracy and the business community provide some degree of leadership? Moreover, the argument that Japan is rudderless seems to be inconsistent with another of the author’s central arguments borrowed from Chalmers Johnson-namely that Japan is not a free market system but a special variety of system he calls “the capitalist development state.” It is rather a pity he has gone to such an extreme to make his point, because he does have a number of important insights into the Japanese political system.

2 thoughts on “Donald S. Zagoria

  1. shinichi Post author

    カレル・ヴァン・ウォルフレン 『日本/権力構造の謎』

    FOOMIN PARADISE (読書ブログ)

    http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/29868194.html

     社会人になってから、「学生時代にこそ読んでおけばよかった」と思わされる本に出会うことが、しばしばあります。この本もそのうちの一つ。ある特定の集団の社会や政治について議論するとき、えてして外部者のほうが本質を突く主張を展開するもの。文庫本裏表紙のコメント「本書に匹敵する日本論を、日本人はついに書き得なかった」は、この本の凄さを的確に言い当てています。

    1.「システム」とは

     ウォルフレン氏は、日本では国を代表するような強固な権力を有する主体がいない、と論じた。「権力をもつ者たちが力の均衡を図りながらも究極的な責任主体がどこにも存在しない、というこの奇妙な社会のあり方を<システム>と名づけた」。

     同氏はこの「システム」の起源を明治の元勲たちの制度設計に求める。明治維新直後の独裁政権による「寡頭政治は暫定的なもので、後に日本の制度と西洋の制度とを混ぜ合わせた、十分な整合した制度にとってかわられる予定であった」が、「彼ら近代日本の政治制度の設計者は、自らの権力を失うのを恐れて、このような整合には不可欠な政治権力の責任の所在の問題を無視してしまった」。やがて維新期の元勲はこの世を去り、政治家、軍、官僚、実業家、枢密院、皇室顧問らの間での国内の諸機関どうしの権力争いが始まることになる。

     この「究極的な責任主体がどこにも存在しない」国内の権力構造は太平洋戦争を経て戦後も温存され、自民党・官僚・財界から成る今日の「政・官・財」トライアングルに引き継がれている。「システムの上部では、官僚、民間企業の最高幹部に転じた元官僚、官僚出身の政治家、官僚出身あるいは官僚化した財界指導者が渾然一体となり、親密に付き合いながら、経済全体を監督し、社会を管理している」。
     
    2.「システム」が目指すもの

     ウォルフレン氏は、「システムにおいて自己の力を保つことが、構成員それぞれにとっては最優先事項である」と、「システム」の行動様式をみごとに言い当てている。「システム」の「管理者」として位置づけられる政・官・財の各グループを見てみる。自民党は、内部の構成員の個人差・濃淡こそあれ、総体として、永年その最優先の目的を政権与党の座に鎮座することに置き、単独での政権維持が難しくなった1990年代以降は公明党とも手を組んだ。官僚機構の既得権益・省益優先体質は、永年語られてきたところである。大企業の経営層から成る財界も、時折々の政府・与党との結びつきを強めつつ、国内外での自身の発言力を強化することに余念がなかった。

     2000年代に入り、システムの構成員を取り巻く状況は徐々に変わってきている。グローバリゼーションと少子高齢化の到来に伴い日本企業を取り巻く環境は劇的に変わり、限られたパイの再分配を担う政府・与党に対する国民の目は確実に厳しくなった。しかし、権力者が既得権益に固執するのは世の常。世代や環境が変わったとしても、政体や憲法が変わるといった革命的な変化が起こらない限り、「管理者」たちの行動様式が根本から覆されることはないだろう。

    3.「システム」以後

     ウォルフレン氏は、1989年発行の本書のなかで日本人のことを「彼らは自分たちのことを権利をもった市民と考えるのではなく、管理者が寛大な心を持っていると信じるよう求められているのである」「西欧の権力は原理という幻想の仮面をかぶっているが、日本の権力は恩恵という幻想の仮面をかぶっている」と論じた。

     一方、2009年の衆院選挙および政権交代は、日本の政治史のなかで大きな転換点となった。「管理者」の一角であった自民党が下野したことで、既存の「システム」に亀裂が入ったことに間違いはない。民主党政権は、内政・外交・予算・行政機構、過去の自民党政権が作り上げたあらゆる制度・政策の見直しに着手している。民主党に吹いた風はあまりにも強烈すぎたが、それでも民意によって既存の不透明な「システム」の権力構造に三行半が突き付けられたのは事実。

     しかしながら、新たな「権力」が今後何を目指し、この国をどの方向に導いていくのか、はっきりとした全体像が未だ国民の間で共有されているわけではない。願わくば今回の「風」を起こした国民が、真の意味での「主権者」として政策・制度づくりの一翼を担っていかんことを。本書の結びで述べられているウォルフレン氏の提言「選挙区に政府助成金をいくら持ってこられるかに依存する政党ではなく、中産階級と工場労働者の利益を真に代表しようとする意思を持った政党が出てこなければならない」も参考になる。

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