堀栄三

太平洋各地での玉砕と敗戦の悲劇は、日本軍が事前の情報収集・解析を軽視したところに起因している

Hori

2 thoughts on “堀栄三

  1. shinichi Post author

    大本営参謀の情報戦記―情報なき国家の悲劇

    文春文庫

    by 堀 栄三

    太平洋戦中は大本営情報参謀として米軍の作戦を次々と予測的中させて名を馳せ、戦後は自衛隊統幕情報室長を務めたプロが、その稀有な体験を回顧し、情報に疎い日本の組織の“構造的欠陥”を剔抉する。

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  2. shinichi Post author

    堀 栄三 『大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇』

    FOOMIN PARADISE (読書ブログ)

    http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/35143530.html

     1943年10月から終戦まで大本営陸軍部情報部に勤務、米軍のルソン島上陸や本土決戦計画を的中させるなど名情報参謀として知られた堀氏が、戦後40年経って初めて自身の参謀としての体験を述べた回顧録。
     堀氏の経歴も情報参謀の仕事も良く知らないまま読んだ本書だが、2011年上半期に読んだ本の中でベスト。一番勉強させてもらった。「日本は戦争になぜ負けたか」に対する有力な答えを提示するとともに、ウォルフレン『日本/権力構造の謎』(http://blogs.yahoo.co.jp/s061139/29868194.html
    )にすら迫る、必読の日本人論にもなっている。

     敗戦の理由について、堀氏は1946年4月の米軍報告を引き、①国力判断の誤り、②制空権の喪失、③組織の不統一、④作戦第一・情報軽視、⑤精神主義の誇張の5点を挙げている。これらの5点について、本書を仔細に読めば、大本営の組織と戦略がどれほど多くの誤りを犯したか、具体的な史実をなぞることができる。
     例えば②制空権の喪失は、太平洋島嶼地域の攻防にあっては致命的であり、まさに大本営の戦略が米軍のそれに遠く及ばないものであったことを示す好例である。なるほど南太平洋に連なる島々は、海岸線の僅かな平野を除いてすべてジャングルか山岳であり、たとえ歩兵や艦隊が進出したところで、あくまで「点」としての攻撃力・防御力しか持ち得ない。対する米軍は、同地域の地形的特徴を正確に掴み、手厚い補給線を敷いた上で要所のみ制圧を行い、航空部隊による「面」の支配によって日本軍の補給を徹底的に遮断、本土爆撃への足がかりを築いた。
     ④作戦第一・情報軽視については、大本営の中でも作戦部と情報部の間で明らかな断絶があったことが赤裸々に語られ、驚きを禁じえなかった。天皇の名の下各作戦を起案する作戦部作戦課は、情報部の戦況判断など「歯牙にもかけず」、外部からの情報を秘匿し握りつぶすこともままあり、まさに大本営の中の「奥の院」として振舞っていたという。作戦部自体が陸軍大学校で1番から5番までの優秀な成績で卒業した者しか入れない超エリートの集団だったことも、同部の独走を招いた一因であったろう。翻って情報部も、米英情報に特化した情報部第六課の陣容がようやく整ったのは開戦2年後、あまりのお粗末さに呆れるしかない。「それゆえに、ニューギニヤ、ソロモン諸島方面では、正確な地図がなくてガリ版刷りの素図をもとに戦争をしたといったら、読者はびっくりするだろう。そんな戦場に赤紙1枚でやられたとあっては、収まるものも収まらないはずだ」と堀氏は述べるが、まさにその通りである。情報なき戦略は罪などと言うことは容易いが、南太平洋の孤島で何十万もの兵士の命を奪った一連の無謀な作戦の罪は、とても贖いきれるものではない。

     本書を読んでつくづく辟易とさせられるのは、一連の戦争を動かした旧日本陸軍の中でも、どの官僚組織にもありがちな部署間の連携不足やつまらない面子の張り合い、責任の押し付け合いが跋扈していたという事実である。戦時中の大本営は一般民衆が知ることすらできないブラックボックスであり、戦後のGHQの情報操作もあって、堀氏によれば「日本人は一握りの間違った戦争や戦略の指導を行った中枢部の軍人や政治家たちの責任に気づかないで、一途に国のためと思って生死を賭けた戦場の軍人兵士、軍属、その他の人々を犬死と思い、日本人は馬鹿な死に方をしたと、思い込まされてしまった」が、こうして具体的な記録を紐解いていくと、「戦争や戦略の指導を行った中枢部」の組織や戦略にこそ、開戦と敗戦の責任があったことは明らかである。

     本書で見られる堀氏の一連の筆には頷くところが多いが、それでもどうしても納得のいかない箇所もある。堀氏は、後手の対応に終始した情報部にも責任の一端があったことは認める一方、「結論として、情報部を別格の軍刀参謀組で固めていたら、戦争も起こらなかったかもしれない」など、作戦課と自らを隔てる壁の厚さを、いわば所与のものとして諦観していた節がある。しかし一般の役所や企業の縄張り争いであればともかく、当時の日本の命運を文字通り左右した戦争指導を司る組織である。作戦部の戦略なき積極方針に対しては、文字通り自らの職務やときには命を賭け、「その無謀な作戦のために何万もの兵士を犬死させるのか」と噛み付き、合理的な作戦への変更、ひいては早期講和の機運を作るべきだったのではないか。諦観する前に、すべきこと、できることが情報部にもあったのではないか。今となっては全ては「もしも~」の世界だが、読んでいてそうした思いを禁じえなかった。

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