ドナルド・キーン

東山文化は、応仁の乱と戦国時代の戦乱の中の束の間の静けさの中に栄えた。その継続期間は短く、それに携わった者たちの数は決して多くはなかった。しかし、その後の日本文化への影響力には計り知れないものがあった。近代化と国際化がすべての日本人の生活に影響を与えている今日においてさえ、日本人が特に日本的なものとして、特にあらゆる日本人に身近なものとして考えるものの大半は、この時期に始まった。
義政は、かつて日本を統治した将軍の中で最悪の将軍であったかもしれない。義政は、武人としては完全な失敗者だった。義政が将軍だった治世に、幕府は徐々に弱体化していった。義政は、私生活においても成功したとは言いがたい。若き日の数々の情事は、義政に何の喜びももたらさなかった。また、義政の結婚は惨憺たるものだった。唯一の息子義尚との関係も、はかばかしいものではなかった。応仁の乱が文明九年(一四七七)に終わった時点で、おそらく義政は自分自身にとってさえ失敗者に見えた。
しかし、義政が東山山荘に住んでいた時期に目を向けるならば、我々の印象はまったく異なってくる。日本史上、義政以上に日本人の美意識の形成に大きな影響を与えた人物はいないとまで結論づけたい誘惑に駆られる。これこそが義政の欠点を補う唯一の、しかし非常に重要な特徴だった。史上最悪の将軍は、すべての日本人に永遠の遺産を残した唯一最高の将軍だった。

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