>瀬戸内寂聴

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「もうこりた」という伝教大師・最澄のお言葉についてお話しいたしましょうか。私がこのお言葉を口にしますと、たいていの人は「もう懲りごり」の意味の「もう懲りた」という字に早合点するようです。実は「忘己利他」と書きます。
伝教大師・最澄は私が僧籍を置く日本天台宗の開祖です。その最澄が、いまから約1200年ほど前に、小乗仏教の戒律を捨て、大乗仏教の戒律だけをとることを決意したときに、その理論づけとして『山家学生式』を書きあらわしました。”山家”とは、日本では比叡山に住まわれた最澄を山家大師とも呼び、その法系に連なる修行僧たちをさします。
ですから『山家学生式』は山の規則とでもいうべきもの。最澄はその中で、忘己利他 慈悲之摂 と書いておられます。…己れを忘れ他を利するは慈悲の極みなり、と読みます。
その前に「好事を他に与え、悪事を己れに向え」とあります。いいことは人にあげ、悪いことはみんな自分に引き受け、自分の幸せは忘れ、人の幸福のためこ尽くすのが慈悲の最高のものだというのです。

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